川原七奈 ⑥ ストレスは受験生にはつきものであると割り切ろう
神よ、あなたはどうしてこの迷える子羊である私に、かくも酷い仕打ちをお与えになるのですか?
甘い甘いご褒美だけで私は十分なのですが。
それともこの甘い甘いご褒美は実はご褒美などではなく、アダムとイブが食べたという禁断の林檎なのでしょうか――?
フラペチーノを取り上げられたオレの脳内から、またたく間にセロトニンが減っていき、代わりにコルチゾール(※)が急激に増えていく。
ああ!
オレは魔王の軍門に降った。
もとい。
川原に屈服させられた。
川原の前に移動させられたオレのフラペチーノを、川原の手ごと包み込むようにしてオレは自分の手元にそっと引っ張り戻した。
川原の顔には悪魔のような笑みが浮かんだままだ。
く、悔しいっ。
さすがに2人はそれ以上、深追いはしてこなかった。
代わりに、
「はい。私のはチョコ盛り盛りのチョコレートクリームチップフラペチーノ。チョコたっぷりで甘~いよ?」
「えー? だったら私のを先に食べたほうがいいよ? アイスキャラメルスチーマー。ミルクを豆乳に変えてあるんだ」
2人揃ってオレにスプーンを差し出してくる。
「ここここ、これをオレに食え、と?」
「当たり前じゃん」
「一口ずつ交換っこ、ってさっき言ったでしょ。早くしてよ」
何なんだ、この事態は。
こいつらのこの要求、オレには到底、理解不能だ。
オレは別に一口交換なんてしなくていい。
ただ自分の分をゆっくりと味わえればそれで十分、幸せだ。
交換するならせめて自分のスプーンを使って、自分で取らせてほしい。
しかし、ここで断ると確実に、フラペチーノはまたも取り上げられ、今度こそ本当にオレとオレのマイスィートハートは離れ離れにさせられてしまうのだろう。
それは、嫌だ。そんなこと認められない。
南無三。
オレは目をつぶった。
覚悟を決めて目を開くと、差し出されたスプーンを順に咥えた。
どちらもとてもとても甘くて美味しいのにもかかわらず、後味が妙にほろ苦く感じられたのは気のせいだろうか。
だがしかし。
これでようやく拷問から開放され、オレはマイスィートハートと向き合える。
かと思いきや。
「はい。じゃ、三崎くんのも一口ね」
「もちろん私も」
オレの目の前で、2人がアゴを心持ち上に突き出すようにして、こちらに迫ってくるではないか。
「三崎のはホワイトモカフラペチーノ。それも安定の美味しさなんだよねぇ」
「……知ってるなら、別に今、オレのを食べなくてもいいだろ」
ようやく反撃の糸口を見つけて、果敢に突っ込むと。
「ウソ。そういうこと言うんだ三崎って。信じらんない。私たちのは食べたのに」
「うん。ひととしてそれはない」
「いや別にオレはおまえたちのを味見させろとは一言も言わなかったのにそれをお前らが無理やり」
「ひどっ。食べておいてからのそれってあんまりじゃない?」
「しかも『無理やり』って何、その言い草」
「そもそも食い逃げはダメだよ三崎くん」
「ホントだよ。そんなこと言うならおまわりさん呼んじゃうよ?『ここに食い逃げ犯がいますっ』って」
「呼んじゃえ、呼んじゃえ」
反撃の糸口どころか、火に油を注いだだけだった。
オレはすぐさま魔王にひれ伏した。
黙って手元のフラペチーノから大きく一口分をすくい、まずは久保に、次いで川原に、差し出した。
2人は不敵な笑みを浮かべたまま、オレが差し出したスプーンを咥えた。
食べると満足げな顔で頷く。
「んー。やっぱ、美味しいね」
「ほんと。どれも好きで甲乙つけがたい。一度に3つも味わえて良かった。ね? 三崎くん」
く、悔しいっ。
空になって手元に戻ってきたスプーンをオレはじっと見つめる。
スプーンが陵辱されて泣いている気がしたので耳をそばだてる。
しかし。
スプーンはオレに何も語りかけてはこなかった。泣き声も聞こえなかった。
オレは黙ったまま、スプーンを自分のフラペチーノにぶっ刺した。
何度も、何度も。
そんなオレを見た目の前の2人は、肩を震わせて笑いをかみ殺していた。
オレはもう、何も言わず、何にも
優しい甘さのオレのフラペチーノを、ただ無言で味わう。
さっき、ホワイトモカ、とかって言ってたっけ。これ。
何が飲みたい? 何味が好き? と注文前に聞かれた時。
甘いモノは何でも好きだし分からないから任せる、とオレは言っただけだった。
なぜ2人がこれをオレに選んだのか、そう言えば聞いてなかったな。
選んだ理由は分からないが、この柔らかい甘さはとても好きだ。
こいつらが飲んでいるのより、オレにはこれが一番しっくりきた。
数少ないフラペチーノ遍歴の中でも、一番美味いんじゃないかと思う。
ただ。
フラペチーノはオレにとってもはや、甘くて幸せなだけの飲み物ではなくなってしまった。
神よ。
おお、神よ。
あなたはなぜこの悩める子羊である私に、かくも苦い苦悩をお与えになるのですか。
乗り越えられない苦しみを神はお与えにはならない。などといった言葉は、今の私には何の救いにもなりません。
ビタースウィートな味は、もっと大人になってから知りたかったです。
※コルチゾール
ストレスホルモンの一種。心身にストレスを受けると急激に分泌が増える
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます