宮地航 ② リアル経験値を上げると読解力が上がることもあるかもしれない
無糖の缶コーヒーは、フラペチーノの後だからか、やけに苦い。
ぐぐっと一口、飲み込むと、オレは腹を
「あのさ。これはオレがどうこうしたって話じゃないんだ。
はっきり言えば、もらい事故みたいなもんなんだ。
だから、あれこれ説明しなきゃいけないようなことじゃないんだが、おまえに変な誤解をされるのも気持ち悪いし、根も葉もないうわさ話が流れた時におまえのことを疑うことになるのも嫌だから、話す。
分かったか?」
真剣な表情で宮地は頷いた。
オレは言葉を選びながら順を追って話し始めた。
久保に頼まれて一昨日、一緒に電車に乗って帰ったこと。乗る前に、ひとりでは怖くて電車に乗れないと言われたこと、背後に立たないでほしいと懇願されたこと。
昨日、川原が自分の代役を果たしてくれたとお礼を言いにきたこと。やっぱり久保はひとりで電車に乗れなくて、今朝から一緒に登校を始めたと聞かされたこと。そんな久保が心配だから万一の時はまた頼むと言われたこと。もちろん了承したこと――。
「それで、さっきのスタバは、一昨日のお礼として久保が奢ってくれることになったんだ。”勉強会”って名目で。
本当のことを言えば、気落ちしている久保を励ます意味のほうが大きかったんだと思う。川原が言い出した話だったから。まあ、お礼だけならオレは行かなかっただろうな。川原の久保を思いやる気持ちに乗ったというのが正確なところだ」
それがまさかあんな羞恥プレーまでさせられるとは思ってもいなかったんだが、とため息をつきながら説明をすると。
宮地が口をぽかんと大きく開けてから、はあ、とマヌケな声を上げた。
「今の話。色々とツッコミどころだらけだけど。
とりあえず三崎。
おまえって勉強は本当にデキる凄いヤツだと思ってるけど、それ以外はどうやらかなりボケてんだな」
オレは思わずムッとした。
半ば脅迫みたいにして話をさせられたのに、何で宮地にそんなこと言われなきゃならないんだ。
「どういう意味だよそれ」
「だって。電車に乗るのが怖い。人が後ろに立つのがダメ。ってそれ、すぐに分かるだろふつう」
「だから分からないって言ってるじゃねーか」
「痴漢だよ、それ」
オレは言葉を失った。
そんなこと、全く思いつきもしなかった。
「他でも聞いたことがある。朝、通学の時にそういうことされた、って話。オレら男には縁がない話だけど。だからおまえには分かんなかったのかもしれないけど。でも、ちょっと考えれば男でも分かるはずだと思うんだ、オレは。
アレ、かなり傷付くみたいだよ、された方。電車が怖くなる、って久保のリアクション、多分、よくあるんだと思う。しんどいだろうな。そういうところから毎日の生活が変わっちゃうのは。
した方は、どうなんだろう。楽しいのかね、そんなことして。少なくともオレにはちっとも分からない。
いや、そりゃもちろんオレも男だから、可愛い女の子のお尻とかデカい胸とか見ると、ううっって思ったりしちゃうこともあるけど。だからといって痴漢となると、それは全然別の話だろ。っていうか、キモいよはっきり言って。だってそれって誰でも良くて、しかも相手の気持ちなんて完全無視ってことだからな。ありえない」
そうか。そういうことだったのか。
”目からうろこ”とはこのことか。
「宮地。おまえって頭いいんだなあ。オレ、本当に全然、何にも、まるで、分かってなかった。おまえが説明してくれなかったら、ずっと気付かないままだったと思う」
「だから、頭がいいのはおまえの方。ただし勉強限定な。他のこと、特に女子の気持ちなんてもんは、ちっとも分かっちゃいないんだろうな」
呆れ顔のまま、宮地が続ける。
「それにしたって、久保も何でそんなおまえを頼ったんだろう。同じ方向ってだけならそんなヤツ女子でも他にいただろうに」
「たまたまだろ。オレはいつも授業が終わればさっさと図書館に行くから、一番最初に外に出てきたのがオレだったってだけで」
「ふぅん」
宮地の目は、なぜか冷ややかだった。
イケメンのクールな目、って、何かこう、同じ男でもドキッとする。
「ホントにそう思ってるなら、ボケてるだけじゃなく、情緒面での発育不全だな」
「何だよそれ」
「勉強ばっかしてねーで、たまにはお尻とかおっぱいも見てみろよ、って話」
「ざけんなよバカ」
そんなの見てどうするんだよ、それこそヘンタイだと思われるじゃねーか。
「冗談はともかく」
ホントこいつの冗談って、冗談に聞こえない見えないから困る。
「三崎、おまえ、女の子見て、誰にも何にも思ったりしないのかよ?」
「思う、って何を?」
「だから、ドキドキとか、わくわくとか、むずむずとか」
「前言撤回。おまえ、やっぱ頭、良くないな。何、その小学生みたいな副詞の羅列。受験生ならせめて”さしも知らじなもゆる思いを”とか”ものや思ふと人の問うまで”くらい言えよ」
「言わねーよふつう」
一瞬、目を点にした宮地は、
「だから秀才の考えてることは理解不能なんだ」
そう言ってオレの顔をガン見すると、あっという間に笑い崩れた。
「秀才というよりは、これはもうやっぱりただのバカかもしれん」
と涙目で付け加えながら。
これだから洒落の分からんヤツは。全く。
オレは憮然として空を仰いだ。
カラスが一羽、カァと鳴きながら飛んでいくのが目に入った。
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