宮地航(わたる)

宮地航  ① うまくいかない時は早めに見切って撤収せよ



勉強自体は、ほとんど妨害されることなく出来た。

思っていたより2人ともよっぽど勉強していて、オレの手をわずらわせるようなことはほぼなかった。

そういう意味では、手がかからない自主勉強会ではあった。


ただ。

心理的にはかなりのダメージを喰らった。

何というかその、勉強を教えるという優位性よりもはるかにデカい負い目というか負け犬根性というか、とにかく強烈な魔法をかけられた気がする。

それも、とてもありがたくない魔法、だ。


魔法をかけられた身としては魔法を解くのが一番いいのだが、それが出来ないとなると、後はさっさと逃げ出すしかなかろう。

このままこの2人に最後まで付き合う必要は、ない。



「じゃ、オレ、そろそろ帰る」

テーブルの上に広げていた勉強道具を手早くまとめてしまうと、オレは勢いよく立ち上がった。


「え? もう帰っちゃうの?」

「もっと一緒に勉強していこうよ?」


「いや。もう飲み終わってずいぶん経つし」


空になった器を掲げて見せる。


「じゃ、他に何か頼む?」

「今度はハーブティーとかでもいいよね」


「そんなに飲んでばかりだとトイレに行きたくなるし、夕飯が食べられなくなっても困る。おまえらの質問にも答えたことだし、もういいだろ」


2人ともまだ何か言いたげな顔をしていたが、


「そういうことで、今日はごちそうさま」


器ごと片手を高々と挙げると、それ以上は引き止められず、


「こちらこそ今日はありがとね」

「ほんと、三崎くんの説明、すごく分かりやすかったから、また教えてほしい」


ひどく真っ当な返事が返ってきて、さすがにオレもホッとした。


「ああ。じゃあまた明日、学校で」


ぽん、と当たり障りのない言葉を置くと、オレは足早に店を出た。






内心、「じゃあ私たちも一緒に帰る」と言われるのが何より怖かった。

帰りの電車でもあいつらにいじられまくったら、さすがにメンタル持つ気がしなかった。

だからそうならなくて、今、めちゃくちゃホッとしている。

体中が一斉に緩みだしている。

あー、なんか無意識のうちに変な所に変な力がいっぱい入っていたような気がする。


疲れた。

甘くて美味しいのを飲んだのに疲れた。

いつもの図書館での勉強の百倍は疲れた。

疲れた疲れた疲れたーっ!


叫び出しそうになるのを抑えて、代わりに伸びをしようとした、その時。




「よぉ、」


いきなり後ろから肩を叩かれた。

文字通り、飛び上がるほどオレは驚いた。驚き過ぎて声も出ない。

のどに息を詰まらせたまま、後ろを振り返ると。



立っていたのは、宮地だった。



「何、そんな驚いてるんだよ」


笑顔も清々しい二枚目は、同じクラスの野球部元副キャプテンだ。

部活を引退してから真っ黒に日焼けしていた肌の色が徐々に薄くなってきているが、精悍な体つきは変わらない。しっかりと節制しているのだろう。

やはりモテ男は違うと言うべきか。


「いや、だって、いきなりだったから……」


口ごもりながら答えると、


「いきなり、じゃあないんだ」


含み笑いが意味深で、ドキッとする。

まさか。


「今まで、オレ、スタバにいたんだ」


……ああ、やっぱり。

なんで嫌な予感ほど当たるんだろう。

一難去ってまた一難。オレは泣きたくなった。


「三崎って勉強命の秀才だとばかり思っていたけど、実はチャラ男?」


「……!!」


「ははっ。冗談、冗談」


その冗談は笑えない。逆に、情けなくて涙がこぼれてきそうだ。

抗議の声ならぬ抗議の視線を宮地に送ると、その言葉とは裏腹に、宮地の目は笑ってなどいなかった。

ガチな目、に見えた。


な、なんで?

なんでオレがおまえにそんな目で見られなきゃならないんだ?

『学校』という名のひとつの閉鎖空間において、伝説の魔法使いのごとくその名を轟かせているおまえが、その魔法使いの使い走りにもならないような小動物に等しい存在のこのオレを、なぜそんな目で見る必要がある?

訳が分からない。

抗議の視線が困惑の視線と化したところで、宮地が言った。


「ちょっと聞きたいことがあるんだ。スタバの後で悪いんだけど、奢るから缶コーヒー一本分、付き合ってくれないか?」


断りたかったが、そうもいかないことは宮地の目が雄弁に語っていた。


「……仕方ない。その代わり、コーヒーはブラックで頼む」


「分かってるって」


宮地の口元から白い歯がこぼれた。

ああ、その白さが目に染みる。






店から駅へ向かうのとは反対方向に少し歩くと、小さなせせらぎに沿って遊歩道が整備されている。遊歩道には所々ベンチが置かれていて、そのひとつにオレたちは腰を下ろした。


――プシュッ


遊歩道の入り口近くの自販機で買った缶コーヒーのプルリングを宮地が開けた。

宮地もオレと同じ、無糖の缶コーヒーだ。


「甘いのもいいけど、ブラックも悪くないよな」


「ああ。勉強が煮詰まった時は、だいたいはブラックのコーヒーを飲むかな」


「だったら今日のアレは何なんだよ?」


早速、宮地が突っ込んできた。


「アレ、って何だよ?」


「しらばっくれるなよ。見てたんだからな」


「だから何を」


「あーんしてぇ」


そう言って、宮地が口を開けてオレの方へと突き出してきた。


「ぅ、うわバカやめろっ!」


血が上る、とはこのことか。

顔が一瞬で赤くなったのが、自分でもよく分かる。


「三崎って、ああいうキャラだったっけ?」


「ちちちち違うっ。断じて違うっ!」


「だよなあ。だからビックリしたし、その理由が知りたくて今、こうしている訳だ」


宮地はそう言うと、イケメンのその顔をオレにぐいっと寄せてきた。


「話してくれるよな? 三崎」


気のせいだろうか。

宮地の顔にわずかながら、イケメンらしからぬ邪悪な影を感じてしまったんだが。

そのせいで、

「余計なことに首を突っ込まないで、見なかったことにしてほっといてくれ」

とは言い出せなかった。

そうしたら。


「自分で言うのも何だが、オレはかなり口が固い方だと自負しているんだ。

でも、今日のアレはあまりに衝撃的な映像だったもんでね? 

つい何かの弾みで口が滑ってしまうこともないとは言い切れないからさ」


……ああ、やっぱり。

なんで嫌な予感ほど当たるんだろう。

今日はもう、一難どころか十難くらい訪れている気がする。

これも全て、あの2人の魔王たちによる魔法のせいだろうか。

今、オレが必要としているのは、魔法を解いてくれる存在(助けてくれるのでさえあれば、それがイケメン王子様だとしたってオレは一向に構わない)であって、さらに黒魔術をかけてがんじがらめにしてくるようなヤツではないのだ。

オレは赤くなってしまった顔と一緒に頭を抱えた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る