3-3教室

3-3教室 文化祭・事前準備



進路指導室での一件以来、オレはすっかりダメ人間に堕ちていた。


自慢の”受験の為の勤勉なる右手”はとりあえずノルマをこなしていたが、あくまでもこなしているというだけで、身になっている実感はまるでない。

井川との話からこのかた、オレの頭は考えなくてもいいことばかりを考えている、ただのポンコツに成り下がっていたからだ。


肝心の井川はあれっきり近寄ってこない。オレも井川の顔すら見ない。

ついでに言えば、三木先生はたまにオレのことをじろじろと無遠慮に見てくるが、特に何か言ってくる訳ではない。面白そうな顔をしているだけだ。

クラスの中はオレ以外、文化祭の準備で盛り上がり、ひどく忙しい毎日になっていた。

その喧騒の中に紛れ込めるのが、今のオレの唯一の気休めというか逃げ場になっている。皮肉なものだった。





ポンコツ頭は、では一体、勉強以外の何を考えているのか。


それは、井川が発した言葉と、取った行動だ。

井川がしたことに対し、オレは腹が立ったらしい(らしい、と敢えて言うのは今はそんな感情がどこにも残ってなくて困惑しているくらいだからだし、ああいう行動を取ってしまったことを恥じているからだ)し、納得できていない。

そのくせ、妙に惹きつけられてもいる。

『クラスの皆優先で自分の考えは棚上げしてきた』と言ったあいつが、自分の考えであんなにひとを巻き込んで動くなんてこと、多分、初めてだったと思うから。

曖昧さを受け入れていたはずのあいつが、突然、白黒つけたがったこと、そのことも不思議だ。オレとは逆だ。



そして、あの時のメンバー全員が、進路指導室に行った翌日以降、入れ代わり立ち代わり毎日、鬱陶しいくらいオレにちょっかいを出してくる、その行動と気持ちも考えざるを得ない。






木曜日の昼休み。

川原が、まだ弁当を食べているオレの横で、「お菓子分けたげる」と言いながら、机の上にクッキーとのど飴の山を作った。

それがオレの目には仏前へのお供えか賽の河原で積んだ石の山に見えてきて、かえって食欲が萎える。


だいたい川原はなんであんなに久保のために尽くせるのか。

久保の知らないところで久保のための頼み事をオレにする。そのくせ、そんな気配は微塵も久保に感じさせない。久保がLHRでコスプレを提案した時は、即、援護射撃をしていたっけ。今も学校への行き帰り、当たり前のように久保に付き添っている。

どうしてあんなに自然に自分以外の誰かのために動けるのだろう。こいつだって同じ受験生なのに。





宮地。

金曜、6時間目が終わってすぐ。照れくさそうな顔をしながらスマホを取り出し、スタバのギフト券500円分をわざわざオレの目の前でLINEで送って寄こした。

ご丁寧にも「これは貰い物の横流しだから気にするな。それよりこれでフラペチーノ飲みに一緒に行かないか?」とのメッセージ付きで。


宮地はなぜ、あの動画のあんなイヤな役を引き受けたのだろう。

久保の話をした時、あいつはその意味するところをすぐに理解してオレに教えてくれた、当の本人だ。説明しながら「そんなことをするやつの気が知れない」と断言したやつだ。

そんなやつがなんで、と思う。

そしてあの時、そんな役を演じかけていたにもかかわらず、直前で止めに入ってくれた。

あいつは一体、どんな気持ちで止めに入ってくれたんだろう。

宮地の目の前でスマホを取り出して、わざと既読スルーしてからひとり帰り道を歩くオレの頭の中は、そんな疑問で埋め尽くされている。






月曜日の朝。

教室に駆け込んだオレの机の上には木崎が描いたメモが置いてあった。

「おまえがいなかったらあの絵は描けなかった」の言葉を手にしたメイド姿の天使のイラスト。

イラストはさすがのクオリティ、家宝モノだけれど、その言葉、オレにどうしろって言うんだよ。まさかもう一度、その格好でモデルになれとか言わないよな? あの絵がどれだけ好きでも、それとコレとは別問題だぞ?


木崎はオレの「好きだ」って言葉をあんなに喜んでくれて、そのことがオレもとても嬉しかった。自分の正直な気持ちを真っ直ぐに言葉にすることで、相手を喜ばせ、励ませるとしたら、こんなに幸せなことはないと思った。そんなあいつは、どんな気持ちで電車の中、オレを撮っていたんだろう。考えると、足元がぐらぐらと揺れる気がする。




真田は火曜日の昼休みに、オレの前にいつものように仁王立ちした。

御大層にエクセルで作った表を片手に「当日のシフト、三崎の都合最優先で組むけど?」って言われたって、部活も入っていなかったこのオレに、クラス以外のどんな都合があると思ってるんだよ。

その気遣い要らねえ、ってか超不要だろう。


中学時代の黒歴史、結局ずっと口にしないでいてくれてるんだよな、こいつ。あの動画撮影だって、止めに入ってくれたひとりだ。それこそオレは、こいつがあの動画企画の首謀者じゃないかと疑っていたくらいだったけれど、とんだ濡れ衣、着せてたって訳だ。それにしたって、久保と同じその経験を思い出すと今も辛いと話してくれたこいつは、一体どんなつもりであの動画撮影を引き受けたんだ? 考えれば考えるほど鉄仮面の下に隠されたその素顔が分からなくなる。





そして、水曜日。

放課後すぐ、昇降口を出たところ。体育館横の脇道、あの時と同じ場所に、あの時みたいに久保がひとりで立っていた。

あの時と違うのは、その目。オレからわざと目を逸らせたままで、「違うフラペチーノの裏メニュー教えてやるぞ?」って、恩着せがましいにも程がある。本当なら「『スタバで勉強教えてください』の言い間違いだろ?」とか何とか言ってやりたかったのだが、言わずにそのまま黙って通り抜けた。後ろは振り返らない。


一番、不可解なのは、久保だった。どうしてあの動画を撮ることにOKを出せたのだろう。思い出して怖くなったりしなかったのか? あんなに怖がっていたことを知っているだけに、オレはそれが不思議でならない。今だって川原と2人で行き帰りしているクセに。動画撮影を止めに入ってオレをかばうより先に、自分のことをもっとかばえ、無理するな、と言いたい。




毎日、毎日、こんなんで、オレはどうしていいか分からない。

どうしたいのかも分からない。

どうすればいいかも分からない。

分かるのは、いよいよ明日、金曜日が文化祭である、ただその事実だけだった。





木曜日。オレは朝から1日、誰にも絡まれることなく過ごした。

明日の文化祭準備で慌ただしくも活気あふれる放課後の教室を、ひとりするりと抜け出して、オレは校門を出た。

(既にポスターのモデルを務めたからと、オレは当日のシフト以外、全て免除されている。結果的に、他のクラスメートよりもオレの時間的な拘束は短かったはずだ。皆は食材の買い出しや準備、コスプレの手配、支度など、結構な時間を費やしている)

出た所ですぐにぐいっと肩を掴まれた。

振り返ると松川が息を弾ませ、立っていた。


「……オマエ、意外と、歩くのっ、早い、な……っ」

「うっせーな。んだよ。もうオレの仕事ないはずだけど?」


肩に置かれた手を振り払いながらオレは松川に背中を向ける。

松川は気にする様子も見せず、当たり前のようにオレの横に並ぶ。


「いや。オレもオマエと同じ、やることやって、終わってる、んだ。だから無理、して残る必要、もないんで、オマエと一緒に帰ろう、と思ってさ」

「何、キモいこと言い出しやがって。ほっとけよ」

「まあ、そう言うなって」


上がっていた息がすぐに整うところはさすが元バレー部、鍛え方が違うというべきか。


「ジュースでも奢るから、さ。ほら」


ポケットから小銭をジャラジャラと取り出し、すぐ近くの自販機にそのまま突っ込む。


「なんでもいいぞ?」


って、アホか。それじゃどっかの父親が小さい子供に言ってるみたいじゃねーかよ。

オレはそれこそガキみたいにむくれたまま、ドクター・ペッパーのボタンを黙って押した。


―――ガシャコンッ


派手な音を立てて缶が落ちる。

松川が大きなガタイを屈めて缶を取ると、


「ヘンな趣味だな」


笑いながらオレに手渡した。


「ほっとけよ」


もう一度、同じ言葉を繰り返すと、プルリングを引っ張ってすぐに口をつけた。

甘ったるく薬草みたいな味がシュワシュワと口の中を満たす。

オレは袖口でぐいっと口を拭った。


誰から見ても”いいヤツ”というのは、実は手強てごわい。

いいヤツ過ぎて、振り払えないからだ。

松川がオレの横に当たり前のようにして並んで歩くのを、オレは結局、止められなかった。

飲み物を手に、オレたちは黙って歩いた。





校門を出て駅の方へしばらく歩くと、右手にコンビニが見えてくる。

その裏側に小さな公園がある。

帰りがけ、小腹が減ってコンビニで何か買った時、ちょっと寄ってベンチなんかに座って食べるのに丁度いい公園だ。

”公園”と書かれた看板がでかでかと出ている割にしょぼくて、その分、子供の姿をほとんど見かけないところもまたオレたち高校生にとっては好都合だった。

お互い何も言わなかったが、オレたちの足はまっすぐに公園へと向かい、運良く誰もいなかった公園のベンチに腰を下ろした。


オレの左側に座った松川の手には、お茶のペットボトル。


「なんだ。やけにツマンナイの飲むんだな」


さっきの”ヘンな趣味”のお返しに言うと


「部活引退したから節制してないとすぐ太っちまうんだよ」


松川は苦笑いを浮かべてキャップを開け、口をつけた。


「おまえみたいに何食べても太らなさそうなヤツには分かんないだろうけど」


一口飲んでから、松川がオレを見る。


「別に好きで細いワケでもなければ、好きでこんなナリしてるわけでもねえ」

「……あ。悪かった。そういうつもりで言ったワケじゃ」

「分かってるって、んなことくらい。言ってみただけだ」


オレの言葉に松川が申し訳無さそうに体をすくめた。


「皆、悪いことした、って思ってるんだよ。

木崎は、あの時、止めに入れなかったこと、自分で自分をひどく責めてる。

川原もだ。なんで3人みたいにとっさに動けなかったんだろうって言ってた。悔しそうに。

久保も真田も、動画自体に反対しておくべきだったか、って悩んでた。でもあいつら、実際にそんなことされたんだって? それを皆に分かりやすく伝えて反対表明するにはいい方法なのかも、って思ったらしい。おまえのことを騙していいとは全く思ってなかったけど、違う方法を考えつけなかったのはバカだったって悔やんでた。


オレはさ、皆と違って後から引き入れられたから、こんなこと言えてるだけで」


分かってる。

こいつに言われるまでもない。そんなのとっくに気付いてた。

オレだって、毎日、遠巻きにしてオレのことを気にかけつつ、当番制みたいに順繰りにひとりずつオレの元に来るあいつらに対し、面倒くさくも申し訳ないような気持ちになってるんだ。

ただ、それを素直には表せないだけで。





オレは進路指導室で、三木先生が言った英文を思い出しながら、ドクター・ペッパーに口をつける。


甘い。甘いなあ。




松川もお茶を一口、飲んでから、話を続けた。


「でもさ、一番、凹んでいるのは井川なんだ。顔には出さないだけで。

あいつは、久保と真田の話を聞いて、2人がまともに電車に乗れるようになるためなら何でもしてやりたいって思っただけなんだ。

文化祭が学内だけになったからって、文化系団体のやつらの活躍の場が減ったことも、気にかけてて。だから動画を撮って、しかも現場だけでなく編集作業部分もある程度多い内容なら、そこに参加することで形に残せるし、それをコンクールなんかに出せたらなおのこと、意義もできるし、って。

実際、声の吹き替えに演劇部、ナレーションに放送部、BGMに弦楽部、って具合に色々な部の有志に声かけて、すごく喜ばれてたんだよ」


「なんでバレー部だったおまえがそんなことまで知ってるんだよ」


呆れてオレは松川の顔を見上げた。


松川は「や、そ、それはほら、オレ、井川からこの動画、こっそり声かけられた時に、色々とそれでほら、」とか何とかモゴモゴ言っている。

その顔が、妙に赤い。


何だよ、こいつ。

あ、これはもしかして。





オレは何とも言えない気持ちになった。

目のやり場にも困った。

仕方なく空を見上げると、大きないわし雲。秋の空だ。

この前より、空がきーんっと冷えてきたように見える。

そのままオレはボケッと見上げていた。




横で松川がコホン、と咳払いした。


「でさ。明日なんだけど」

「ん?」

「クラスの皆、おまえに謝りたいんだって。それで文化祭の準備を始める前、朝7時に、校舎の屋上に全員集合ってことに決まったんだ」

「は? 何、それ」


謝るって、しかも文化祭当日の朝、謝るって、しかもクラス全員って、ほんと何、それ。訳分かんねえ。

そんなことされたら、かえってこの先、居づらくなるだけって分かんねーのかよアイツら。こういうのはしれっとなし崩し的にスルーしとくのが一番だろうが。

そのシチュエーションを想像しただけで、ケツがムズムズして逃げ出したくなる。


「あ? もしかして松川、おまえオレにそれを伝えるためだけに走って追っかけて来たのかよ?」

「……ま、まあ、そういうことになるのか、な……」


誰だ、こいつにこんな役やらせたヤツは?

ろくにウソもつけないこんなひとのいいヤツが、デカい図体、縮めて、困った顔して鼻の頭掻いて。

似合わねえ、ホント似合わねえ。泣きたくなるくらい似合わねえ。

配役ミスもいいところだ。


……いや、それでオレに「仕方ない、行くか」と思わせる作戦だとしたら、そっちのほうが一枚上、ドンピシャ配役か?


なんてオレが考え込んでいたのを松川は勘違いしたらしく


「ごめん。

 三崎が不愉快に思うんじゃないかと心配したんだけど、でも、やっぱり文化祭の前に白黒はっきりさせないと、おまえみたいなヤツは辛いんじゃないのか、って」

「……誰が?」

「え?」

「誰がそんなこと言ったんだよ?」

「えっ? も、もしかして怒ってる?」

「怒ってねーから。だから誰が」

「ホントだな? 怒ってない、よな?」

「しつこい。あんましつこいと怒るぞ?」

「わ、わわわ分かった、言う。……い、井川、だよ」


やっぱ、アイツか。



オレはドクター・ペッパーを一気に呷ると、空になった缶を思いっきり蹴飛ばした。


―――カーン


威勢よく飛んだ空の缶を、松川が慌てて拾いにベンチを立った。








バカ、松川、おまえ、いくら何でもいいヤツ過ぎるぞ?


オレは呆れすぎて、怒る気にもなれなくなった。


ちくしょう。

だから”いいヤツ”は苦手なんだ。

それを分かってて井川のやつ、こんなやつを使いに出しやがったな。


さすがに悔しくて、オレは頭を掻きむしった。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る