宮地航  ④ 笑福来門・笑う門には点来たる


これが女子だったら完全にノックアウトだったろう。

残念ながらオレは男で、多分、ストレートだ。

だからイケメン宮地に口説きまがいのことを言われつつ肩に手まで回されても、

ほぅ、と感心するだけだ。

なんかちょっともったいない話ではある。


「じゃ、そろそろ帰るぞ」


すっかり遅くなっちまったなあと思いながらべンチから腰を上げる。


「最後にひとつだけ」


一緒に立ちながら、宮地が真顔になった。


「三崎。おまえ何でそんなにガチ必死で受験勉強してるんだ?」


「は? 受験生が受験勉強に必死になるのは当然じゃないかよ」


「それはそうだけど。でも、LINEアカウント全部ブロックって、さすがに聞かないぞ?」


「幼なじみが不治の病でそれを治すために医者を目指しているとか、親が悪徳業者に騙されて破産したから弁護士になって弱者の味方になるとか、そんなベタなストーリーを期待されても困る」


「何だそれ」


宮地がヘンにウケている。


「まあさ、特別な話は何もないよ? 『ここだけの話』なんて前置きして話し出さなきゃいけないようなことは何もない。本当だ。

言うなれば、秘密。

これに尽きる」


「何だそれ」


全然答えになってないじゃん。そう言いながら、宮地はくくくっと喉を鳴らしてまた笑い出している。


「逆にオレこそ聞きたい。何でさっきスタバにいたんだよ。あれ、偶然のワケないよな?」


オレの問いかけに対し、返ってきた言葉は


「言うなれば、秘密。

っていうか、それくらい自分で考えろよ秀才くん」


宮地は心底、可笑しそうに笑っていた。

ふん。笑い過ぎだ、このイケメンめ。

腹立ち紛れにオレは手元のコーヒー缶で宮地の頭を小突いてやった。


「何だよ三崎、痛ぇよ」


それでもまだ笑っている宮地のことなんかいい加減放っておいて、さっさと帰ろう。

昨日に引き続き今日もまた、予定より全然、勉強がはかどっていないのだから。




📖 📖 📖 📖 📖




家に帰って机に向かっていたら、スマホがぽろん、と鳴った。

近頃スマホが鳴るなんてこと皆無に等しかったから、ぎょっとした。

見ると、何のことはない、さっき別れたばかりの宮地だった。


やれやれ。


うっとうしいような、くすぐったいような、めんどくさいような。

なんというか、やけにごちゃまぜ気分で、オレはスマホを手にした。


スマホの画面には、さっきの写真と

「秀才くん、またな」

の一言。


「バーカ、このイケメンめ」

と打ってから、んん、と逡巡しゅんじゅん

「おぅ、またなイケメン」

と打ち直して送信した。

送ると同時に既読がつく。

オレはそのまますぐにアプリを閉じた。




スマホを持ったまま、オレはベッドにひっくり返った。


頭の中にはまだ、宮地の笑顔がチェシャキャットのそれみたいに残っている。


いや、違うな。チェシャキャットとは。

チェシャキャットのはニヤニヤって感じで、腹に一物ある笑いだけれど。

あいつのはほとんどが屈託のない爽やかな笑顔だったな。

それにそもそもが笑い上戸なんだろう。

笑う門には福来たる、ならぬ、笑うイケメンには女子が群がる、って感じか?

オレだったら、笑う門には点来たる、くらいがせいぜいだろう。


それにしても、

と思う。


それにしても、

あの宮地が、ひとりスタバでお勉強、ってことはやっぱりないよな?

誰かと一緒にいたけどひとりでオレを追いかけてきたって可能性もなくはないが。


ふつうに考えたら、

久保か、川原か、

が気になって隠れて店まで追っかけてきたってことか?

(オレ、という可能性は万にひとつもないであろうから考慮の対象には入れない)

ふーん。ふーん。

ちょっと意外。


でも、ま、あいつのことだ。

どっちが気になってるとしても、きっとうまくいくだろう。

あんな顔して笑うスポーツ万能好青年に言い寄られて、断る女子がいるとは思えないからな。

口説くなら受験が終わってからにしろよ、くらいしかかける言葉はない。




それにしても、

と思う。


それにしても、

宮地がどう思っているかは知らないが、別にオレだってふつうの男子だ。

ごくごく一般的な高校生だ。

だから、

「女の子を見て、誰にも何にも思ったりしないのか」

という宮地の質問は、あえてはぐらかした。


女の子のこと、全く気にならないんだったら、もっと気が楽だと思う。

もう少し肩の力を抜いて勉強していたと思う。

こんなに遮二無二しゃにむになって全てをシャットダウンしてはいなかったと思う。

そんなふつうのことが気にならない特別な人間だったら、逆にもっとふつうに生活しているんじゃないだろうか。

そうでないから、特別にならざるを得ないんだ。


別に、女の子、だけが理由な訳じゃないけれど。

でも、やっぱり、その存在は大きい。

だからといって、特定の誰かのことじゃあないはずなんだ。

もっとなんというか、いろんなもの、いろんな気持ちが、

形作られていく直前の、ふわっとした、柔らかい景色。




例えば、

ひるがえるスカートの裾。

例えば、

風になびく柔らかい髪。

例えば、

前髪をかきあげる華奢で白い指。

例えば、

靴下の上の細いくるぶし。

例えば、

小さくて丸い肩。

例えば、

笑うと浮かぶ片えくぼ。

例えば、

うなじをひっそりと彩る小さなほくろ。

例えば、

目を伏せた時に気付く、長いまつ毛。

例えば、

突然の沈黙にふっと見せる、遠い眼差し。

例えば、

すれ違った時に立ち昇る、優しい匂い。



遠い夢のような、かそけき気配。

そういうものに気付いてしまうと、オレの心は勝手に走り出してしまう。

彼方まで。



でも、今は、そんなことにうつつを抜かしている時じゃないんだ。

今は、目の前の一問一答に集中しなきゃいけないんだ。

だから、

今は、

鈍感なくらいで丁度いい。



そんなオレだから、

久保の身に起きたことに気付いてやれなかったのかもしれない。



あの時、今日の宮地みたいにすぐに気付いてやれていたら良かったのだろうか。

気付いたとして、もっと他にしてやれたことはあったのだろうか。

そうしたら、何かが久保の中で変わったのだろうか。

そもそも男のオレが、女のあいつにしてやれることなどあるのだろうか。

何も気付けなかったオレと、事をすぐに理解した宮地、そしてそういう”事”を久保にした、顔も名前も知らない卑劣漢。

皆、同じ”男”だけれど、あいつの中でこの先それは、どんな風に消化されていくのだろう。

オレたち”男”は、一体、どうすればいいんだろうか。



何も見ないようにしている。

何も感じないようにしている。

頭の中を勉強だけで埋めようとしている。

他のことを考えるなら、全部終わってからでいいだろ?


いいよな、それで?


それとも、


違うのか?












……いけない。

宮地のせいで、つい、余計なこと考えちまった。


今日はもう、寝よう。


って、それじゃ、一昨日と同じじゃないか。

やっぱりバカだな、オレは。

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