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LHR     答案用紙には読みやすい字を 



週末、金曜日。

一週間の全ての授業が終わった後のロングホームルームは、最初から賑やかだった。

高校生活最後のメインイベント、文化祭の参加詳細を決めるのだから、それも当然だろう。


しかし。

今年の文化祭は、例年とはかなり様相が異なる。

学内だけの開催になってしまったのだ。


「今回は開催中止も検討されていました。しかし、生徒、及び生徒会からの要望や、体育祭を中止した為せめて文化祭だけでも何とかならないかという先生方からの意見も数多く、結果、学内だけではありますが、開催することに決まりました」


ホームルームの冒頭、担任の三木先生が手短に説明をした。

学内だけでの開催とは、要は他校の生徒、近隣住民、卒業生、学校見学を兼ねた中学生はもとより、在校生の家族でさえ入れない。とまあ、そういうことだ。

詳細な説明は校内放送でも流されたしプリントも配られていたから、皆に驚きはない。

確認事項として話しただけだろう。


「判断を下すまでに時間がかかったこともあり、準備期間が例年と比べてかなり短くなっています。その分、皆で協力し合って、高校生活最後の文化祭を悔いのない充実したものとしてください」

言うだけ言うと、先生はさっさとクラス委員に後を任せ、自分は横に座って事務仕事か何かを始めている。


代わりに教卓の前に立ったのは、女子クラス委員の井川。

男子クラス委員の佐々木が黒板の前でチョークを握り、大きな文字で「飲食」と書いた。さすが書道部だけあって読みやすく美しい文字だ。こういう文字で答案用紙に書ければ、採点ミスをされる心配は皆無だろう。ぜひ手本にしたい。


「私たち3年3組は今回、飲食での参加となっています」


これも、事前調整で決まっていたことだ。

3年生は受験勉強があるため、準備が少なくて済む飲食系を選ぶことが多い。

うちのクラスもご多分に漏れず、事前アンケート結果で飲食が一番人気になっていた。


「で、飲食メニューですが、学年内での調整の結果、第1希望のホットドッグで無事に決まりました」


井川の言葉を受けて、佐々木が黒板に「ホットドッグ」と書く。


「後は、材料の調達方法、調理に使う機材確認、値段設定、メニュー作成、当日の販売と調理の段取り、担当分け、後片付け、などをこれから決めていきます」


手慣れた様子で井川が話を進めていく。

毎年クラス委員を務めている優等生だけのことはある。

この調子なら特に揉めることもなく、さっさと全てが決まるだろう。

ホットドッグなら買い出しにしろ調理にしろたいした手間はかからないだろうから、何を担当することになったとしても特に困ったり時間が必要以上にかかったりすることはないはずだ。


オレは安心して手元に開いた古文の問題に取り組む。


実際、賑やかな割に話はスムーズに進んでいるようで、それに合わせるかのようにオレの右手も軽やかに問題を解いていく。

これだけはかどるなら、先週の遅れも少しは取り返せそうだ。

思わずにんまりしながら問題を解いていたら、突然、どよめきが起きた。


ん? 何かあったか?


顔を上げてあたりを見回すと、久保が立ち上がって何かを発言した後のようだった。

ちょうど椅子に座るところが目に入った。




スタバのあの後からこっち。

顔を見るだけで照れ臭くこっ恥ずかしくなるので、オレは久保と川原には接触しないよう、それとなく避けていた。

彼女たちも一応、気を遣ってくれているのだろう。

あれ以来、特に声をかけられることもなく、もちろんいじられることもなく、いたって静かに過ごしている。

付け加えるなら宮地からもその後、LINEはない。

おかげでオレは、普段どおりの受験勉強一色の毎日に戻っていた。


あれから遠目にちらっと視界に入る度、久保は特に変わりはないように見えた。

とは言え、見る限りいつも側には川原がいたし、川原でない時も女子数人が一緒にいるようだった。帰りはそれこそ必ず川原が寄り添っていて、それを見るにつけ、他人事ながらホッとしている。

それもこれも宮地が何が起きたか教えてくれたからではある。

そうでなければここまで気にして見てはいなかった気がする。

まあ、あくまでも見ているだけ、なのだが。



その久保が。

今、一体何を言ったのだろう?


「いいんじゃない、それ」


後に続いた言葉は川原のものだった。


「コスプレ、楽しいよ。やるなら私、衣装担当するよ?」


は? コスプレ、だと??

何、言い出してるんだ? まるで話が見えない。


「いくら学内だけとは言え、ただホットドッグを売るだけじゃつまんないもんね?」


え? ホットドッグ作って売るだけじゃダメなのか?


「コスプレ賛成でーす」

何人かの女子が、楽しそうに同調の声を上げた。

男子の幾人かが「マジか?」「冗談だろ?」「だよなあ」などとぼそぼそと小声で言い交わしている声が耳に入る。

それでもまだ、様子見の気配が漂う教室内に。


「もしも本当にやるなら、オレは男女取り替えてのコスプレがやりたいなあ」


何の前触れもなく爆弾を投下してきたのは、なんと木崎だった。

美術部元部長、自称”二次元の姫を爆誕させる神の右手を持つ男”は、いたってマジメな顔で座っている。

が。

木崎が投下した爆弾は彼の表情とは裏腹に、あまりに強烈過ぎた。

クラス内は一気に騒然とした。


「おまえ女装したいのかよ!?」

「いや、それ、ありえないだろ??」

「きゃー! 私、実はやってみたいかも、男装!!」

「ってか、見たい見たい♡」

「皆でやれば怖くないんじゃない?」

「うそ。オレ絶対に無理」

「オレも。自分の姿、見たくないし」


教室内のありとあらゆる場所でカオスが生まれた。

言葉がとめどなく流れ、渦巻き、混迷の度合いを深めていく。

オレはそれをただ呆然として眺めていた。

さっきまで快調なペースで解いていた古文演習は、当然のように突然、止まったままだ。

同じく、思考も止まった。


オレの”受験の為の勤勉なる右手”は、今のところ再稼働の見通しが立つ気配は、ない。



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