井川静佳(しずか)
井川静佳 ① LHR中の内職はほどほどにしておかないとクラス内で浮くこともある
「皆さん、静粛に」
クラス委員の井川の声が、教室の端から端まで、ぴーんと気持ちよく響いた。
「一回、意見をまとめましょう。
ただホットドッグを売るのではなく、コスプレをしながら売りたい。
これが久保さんからの提案。
これに賛同を唱えたのが川原さん。
コスプレを実行するなら衣装を担当してくれるとのこと。
次に、コスプレをするなら男女を交換してのコスプレがしたい。
そう言ったのが木崎くん。
ここまで、これでいいですか?」
皆はうんうん頷いて、”了解”の意思表示をする。
それを見た井川はにっこりと笑うと、早速、問題解決に向かった。
「はい。ご協力ありがとう。
では、皆さんに質問です。
文化祭でホットドッグを売るだけでいいと思うか、それともプラスαが欲しいか。
どちらかに挙手をお願いします」
オレは静かに感動した。
さすが、敏腕クラス委員。
これだけ手早く処理すれば、皆、一時の気の迷いでコスプレしたいなどとは言わないだろう。
そう思ったのに。
採決してみると、半分以上がプラスα側に手を上げているではないか。
ホットドッグだけ派は明らかにその数において負けていた。
オレは我が目を疑った。
「はい。では、ただ売るだけではなくプラスαを考える、ということになりました。
さて。
プラスαとして提案があったのが、コスプレです。
でも、これで決定という訳ではありません。
他に何かやりたいものがあったら、遠慮なく意見を述べてください」
そうか。その手があったか。
さすが、有能クラス委員。
プラスαが、何もコスプレと決まった訳ではないのだ。
皆もそう思っているに違いない。
そう思ったのに。
「えー? そんなの他に思いつかないよー?」
「衣装担当までいるんだから、やっちゃおうよ」
「まあ、こんな機会でもないとそんなことやれないかな?」
「せっかくだし、楽しそうだし」
「これが高校最後の文化祭だもんねぇ」……。
オレは耳を疑った。
皆の会話が途切れた一瞬の空白を聞き逃さず、井川がするりと言葉を挟んだ。
「皆さん、色々と考えてくれたようですが、他に意見はないですか?
はい。どうやらないようですね。
では、皆さんに質問です。
コスプレを、するか、しないか。
どちらかに挙手をお願いします」
オレは静かに願った。
皆、なんだかんだ言いながら、「やっぱ止めとこう」と考え直すように、と。
いや、きっとそうなるはずだ、と信じながら。
そう願ったのに。
採決してみると、圧倒的にコスプレする派に手が上がるではないか。
コスプレしない派はほとんどいなかった。
オレは頭を抱えた。
「はい。では、コスプレをしながら売ることとなりました。
さて。
コスプレをするなら男女取り違えコスプレがしたいとの提案がありました。
ふつうのコスプレとどちらがいいか、皆さん、よく考えてください」
そうだ。よく考えるべきだ。
さすが、冷静クラス委員。
最悪、女装をするのでさえなければそれで良しとしよう。
これくらいは絶対、皆も同じ意見に違いない。
そう思ったのに。
「いや、もう、この際だから」
「なんてったって、最後だし」
「ひとりでならともかく、皆でやれば怖くない」
「これはこれでいい思い出になるよね」
「どうせやるならはっちゃけちゃおうよ」……。
オレは言葉を失った。
教室内をぐるりと見回すと、井川がゆっくりと静かに言葉を発した。
「では、皆さんに、最後の質問です。
ふつうのコスプレでいくか、それとも男女取り違えてのコスプレをするか。
どちらかに挙手をお願いします」
オレは真剣に祈った。
これだけは、なんとしてでもやめてくれ、と心の底から。
せめてこれだけは、頼む、と必死の思いで。
そう祈ったのに。
採決してみると、ほぼ全員が取り違えする派だった。
取り違えしない派は、なんと……、
オレだけ、だった。
オレは机に突っ伏した。
「はい。では、
文化祭で、我が3年3組は、男女取り違えてのコスプレをしながらホットドッグを販売することに決定いたしました」
オレの脳内で、井川の声が幾重にもエコーがかかりながら響いた。
それはあたかも死刑宣告を言い渡す裁判長の声のようであった。
湧き上がる歓声。
喜びを伝える拍手。
興奮を表す足踏み。
間隙を縫って、
遠くで、声がする。
「では、ここから先は、文化祭委員の真田さんと萩原くんにバトンタッチします。
皆さん、ご協力ありがとうございました」
そう言えば、彼女の意見は採決には反映されていないことに、オレは突然気付いた。
井川はいついかなる時でもクラス委員としての責務を優先して果たす。
その実、彼女自身はこの件に関してなんと思っていたのだろう。
それが知りたくて聞きたくて、オレはガバッと顔を上げた。
教卓の前で、今、まさにその場を離れようとしていた彼女は、あたかも幼子キリストを抱く聖母マリアのような慈愛に満ちた微笑みを
自分でも訳も分からないまま、オレは震える手を胸の前で組んだ。
神よ、我を救い給え、と。
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