川原七奈

川原七奈 ① よく噛んで食べるのはアゴの発育だけでなく頭にもいいらしい



弁当を食べ終わったらトイレに立つついでに久保に追加オプションの要求をしに行かねばと思っていたオレの前に、川原がふらりとひとりでやってきた。


「三崎くん。昨日はありがとね」


ん? んん?

なんのことだ?

オレ何かコイツに礼を言われるようなことしてたっけ??


口にして問うよりも先に、川原が続きを話す。


「私の代わりにかをりと一緒に電車乗って帰ってくれたんでしょ?」


ああ。

そう言えば、言ってたな。

ふだんは川原と帰ってるって久保。


「ほんと矢部ったらうるさくて参っちゃったよ。いいじゃんね、あんなクソつまんない課題提出、一日くらい待ってくれたって。っていうか、やらなくてもいいと思うんだよね。だってあんなの絶対何の役にも立たないもん。昨日はどうしてもかをりと一緒に帰ってあげたかったのに、マジ腹立って。あ、もちろん自分にもなんだけど。さっさと出しときゃよかったんだよね、うん、言われなくても分かってるって。それにしてもタイミング悪すぎる。なんでこんな時にバカ私って思った」


いや、お見事。

流れるような、そのトーク。

オレが口挟む余地、無し。

ってかオレまだ弁当、食べ終わってないんだよね。

一口30回以上噛んで食べるとアゴと頭の発育にいいらしいと聞いて以来、オレの食事は人の倍くらいの時間がかかるからさ。


で、タイミング悪すぎる、ってどういうコトだよ?


口が空になったタイミングで聞こうと思ったら、こっちもさっさと回収された。

さすが仕事が早い。


「タイミング悪いって言った件なんだけどね、実は、お願いがあって」


三崎くんだから頼む。ここだけの話、聞いて相談にのって欲しいんだけど。


両手を顔の前で合わせ、声を潜めた川原が、顔をぐぐぐっと寄せてきた。


間近で見る川原の肌はきめ細かく、つやつやと白く光っている。

これは何か? やはり化粧でもしているんだろうか?

まつ毛も長い。

うっかりするとオレの頬に当たるんじゃないかと心配になるくらいだ。

きれいなカーブを描いた眉は、整いすぎて作り物じみている。

潤んだ瞳は、柔らかい鳶色。

これは……天然、な訳ないか。

カラコン入れていいんだっけかウチの高校。

さすが、「桜山高校イチのお洒落なヲタ女」を自称しているだけのことはある。

近くで見ると、うん、なかなかのものだ。

いいよ、いい。いいんじゃないか。


って、そんな話じゃなかったんだよな。


「何だよ、相談、って」


ようやく食べ終えたオレは、弁当箱のフタを閉じながら尋ねた。


「ちょっとさ、マジな話なんだ。誰にも聞かれたくないんだ。だからさ、悪いんだけどこの後、屋上にでも付き合ってくれないかな?」


ああ。またかよ。

なんか昨日からオレの勉強時間、かなり迫害されてないか?

誰かが悪意を持って、オレの時間を盗もうとしてるとか??


最近はずっと受験勉強ばかりで、読書といえば試験問題によく使われると定評のある評論や小説だけ、自分に読むことを許している。

そのせいで飢餓感があるのか、思考がずいぶんとファンタジー寄りになっちまった。

いや、反省、反省。

残念ながらファンタジーは入試問題ではまずお目にかからないからな。


「分かったから手短に頼む」


「サンキュー。秀才はさすがに話が分かる」


「いいから早く」


こういう時、皆がガチで勉強してれば目立つんだろうけど、今日も変わらずユルいうちのクラスなら2人で抜け出すのにもたいした気配りは要らなかった。

たまにはユルいのが役に立つこともあるんだな、などと思いながら足早に階段を上る。



ドアを開けると外は気持ちのいい風が吹いていた。

ぐるりと見回しても人影はなかった。


「あ、助かった。これなら安心して話せる」


川原が嬉しそうに給水塔の壁際に腰をおろした。


「三崎くんも、ほら、こっちこっち」


「ぁ、ああ」


並んで座ると、空が一層高く見えた。

ひっくり返ってそのまま見上げていたいような気持ちのいい空だ。

空を見上げながらオレは


「で?」


先を急がせる。

まあ、川原のことだ。話し始めればどうせ止まらないんだろうが。


「あ、うん。それでね、」


話し出してすぐに一度、川原は口を閉じた。


珍しい。スタートダッシュしないのか?


と思ったら、横を向いてオレの顔を見つめてる。


なんだよ。


そう言おうとしたらその口を塞ぐかのように逆質問された。


「聞いた? かをりから」


「何を? オレはただ、『一緒に電車に乗って帰ってくれ』って頼まれたから、そうしただけだ」


「……そっか」


川原は顔をわずかに歪めると、


「あの子には内緒で聞いてほしいことがある」


そう言って、またしてもその顔を思いっきりオレに近付けてきた。


いや、ちょっと。

顔、近すぎて、なんかヤバいんだが。

何かの弾みで、えーっと、うっかりその、物理的に口を塞がれちゃいそうな、

いわゆるひとつのキキキキ……キ○? でもできちゃいそうな、アレな距離感なんだが。

コレ、いいのか、川原?

いい訳、ないよな?? おい。




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