真田有未(ゆみ)
真田有未 ① 下は直前まで見なくていい、上を目指せ
6時間目の授業が終わって、とっとと下校しようと席を立つ間もなく、真田がオレの眼前をブロックした。
その見事なディフェンス力に腹を立てつつ感心する。
「三崎」
メガネの奥の眼光がいつにも増して鋭すぎるせいか、背が高く細身な真田の真っ黒ポニテ姿が今は勤王の志士か何かに見えてくる。
妙に物騒な気配しか感じられない。
「な、何だよ?」
昼休みに4人がかりで昨日のクレームをつけてきて、この上、何があるというのだろう。
いささか怖気づきながら、それでも隙あらばさっさと逃亡を図ろうとリュックを肩に掛け、準備だけは怠らないようにしておく。
「大事な話がある。少し時間を頂戴」
相変わらず有無を言わさない口ぶりだった。
相手が悪すぎる。これでは逃亡は不可能だろう。
オレはすぐに諦めた。
諦める時は早いほうが後を引きずらない、というのがオレの持論だ。
文化祭委員を務めている真田だから、話と言えばそれしか思いつかないが、昼休みにひとまずクレームとトップシークレット扱いの件は聞いているし、この上、大事な話なんて心当たりがない。
黙って話の続きを待った。
「人気のないところで」
真田がちらりと目を上に向けた。
あ、これはもしや、この前の川原と同じパターンか?
「分かった」
仕方なく頷くと、真田は当然と言わんばかりの顔をして先に教室を出、廊下奥の階段を上る。オレはその後をついていきながら、「上じゃなくて下に行きたかったんだけど」と心の中で呟く。受験生にあるまじき感情であることは言うに及ばない。上より下がいいだなんて。ああ、全くバカげた感情だ。でも、事実だ。
真田はそんなオレのアンビバレント(ambivalent ※)な気持ちになんてお構いなしに屋上に出て、一番端の鉄柵まで突っ切ると、そこから下を覗き込んだ。
そんなに身を乗り出したら危ない、下なんて見るもんじゃない、と思いつつ、
「で?」
とっとと終わらせたいあまり、いきなり尋ねた。
「大事な話、って?」
真田がくるりとこちらに向き直った。
メガネが陽の光を受けて光る。眩しい。本人も眩しいのか、顔の上に手をかざした。
かざした手の下に影ができて、表情が読み取りづらい。
顔がよく見えない相手と話すのは、正直、不安だ。
困ったなあと思いながら、その顔を見続ける。目が慣れることを期待して。
真田は顔に手をかざしたまま、
「宣伝用の動画を作ろうと思う」
こちらもまた、ずいぶんな直球だった。
「昨日の三崎のあの姿。あれ、絶対に他のクラスには真似できないキラーコンテンツだと思う。
だから、あの姿で、短くていいから動画を撮ろうって話になった」
「ちちちちょっと待て。そんな話、一体いつ誰とどこで決めた?」
「昨日から今日にかけて。LINEで。昨日のメンバー、プラスα」
「いくらなんでもそりゃないだろ」
あまりのことにオレは気色ばんだ。
「何で?」
少しだけ目が慣れてきたが、それでもメガネの下の真田の表情をオレはうまく読み取ることができない。
真田の口調はいつも通り平坦で、だから言葉からも手がかりを得られない。
それが余計、オレを苛立たせる。
「何で、って。当たり前じゃないか。オレの意向を無視して決めるだなんて。
そりゃ昨日の宣伝用ポスターの件は、おれがLHRでの話を聞いていなかったのが悪かった。だから非常に不本意ながらも協力したけど。
でも、今回のこの話は、オレのいないところでオレの許可なく勝手に話を進めて決めた訳だろ?
それって人権侵害だぞ?」
「そりゃ、そうだ。その通り。
「三崎の気持ちも都合も聞かず、勝手に決めたのは悪いと思う。それは先に謝る。
申し訳ない」
あまりにもあっさりと謝られて、かえって拍子抜けした。
「だったら、何で」
「ひとつ。準備に時間をかけないで済ませられる自信があるそうだから。
服もメイクも昨日、一度やらせてもらったから、あれよりかかったりはしないと例の2人が太鼓判を押している。
次。撮らせてもらう動画も、誕生日に贈り合うショートムービーなんかに毛が生えた程度の長さしか考えてない。そんな長いのを準備する時間的余裕がそもそもないから。
3つ目。その動画自体、ぶっつけ本番で撮るから、三崎に何か準備してもらうことは何もない。こっちの指示にその場で従ってくれれば済む、簡単な内容にする。
ということは、昨日のポスターと同じくらいの時間だけ、三崎に付き合ってほしい、こういう話なんだ。それ以上の時間的負担は絶対にかけない。約束する。
最後に。これが一番、大事なことかと思うんだけど。
かをり、あ、久保、久保かをり、のことだけど。この話は、彼女のためなんだ」
「久保の?」
思ってもいなかった言葉に、オレはオウム返しで問うた。
「そう。
三崎も知っての通り、かをりは今、電車にひとりで乗れなくなっている。
本人も努力しているけれど、そう簡単にうまくいく話じゃあ、ない。
私たち友人としては、少しでも早く彼女が以前のようにふつうに電車に乗れるよう、できることは何でもしてやりたいと思っている。
だってこのままじゃ、受験の時、どうする? 困るだろう?
で、三崎。
キミが昨日のような可愛い格好で楽しそうに電車に乗っている動画を作ったら――それもかをりが施したメイク姿で――、少しはいいきっかけになるのではなかろうか、私たちはそう考えた訳だ。
そもそもコスプレを提案したのはかをりだったろう? 自ら提案したことがここまで話が広がるなら提案者冥利に尽きるだろうし、楽しくなるのではないだろうか。ひいいてはそれが、彼女の恐怖心を少しでも癒やし、慰めになることで、事態の改善を図るよすがとなるとしたら?
そういう訳で、三崎に取っては何のメリットもないどころか、昨日に続き、また何時間か放課後を付き合わせることになるので、大変申し訳ないとは思っている。いるのだが。
でも、クラスメート、友人、久保を助けると思って、この話、どうか受けてはもらえないだろうか?」
真田は言うだけ言うとそれきり黙って、オレを心の壁際にドンッと追い詰めた。
オレは今、逃げ出したくても逃げられない絶体絶命の逃亡犯のごとき存在である。
これがテレビや映画の中であれば、今、まさにこの瞬間、ヘリコプターか何かで仲間が救出しに現れそうな場面だが、残念ながらオレにそんなあてはなく。
派手なアクション物ならば、ここから地上にダイブしても下に何かクッションになるようなものが用意されているのだろうが、仮にそんなものがあったとしてもふつうの高校生であるオレにはそんな芸当ができるはずもなく、そもそもそんなものも置かれてはいない。
だいたい、正しい受験生として験を担ぐオレとしては、下にダイブする方向には向かいたくもない。
という訳で、オレは真田の抜身の刀のような鋭い視線と、巧みな話術――5W1Hがしっかりと入り、分かりやすくポイントを絞った返答は、記述型回答のお手本のようだ――に、にっちもさっちもいかなくなってしまって、ただただ屋上でマヌケ面を日焼けさせているだけなのだった。
※ambivalent/
形容詞。 両価的な。相反する感情(態度、意味、価値)を持つ。あいまいな。
ドイツ語「ambivalenz 」に由来する。受験単語としては頻出度は高くないが、”坂好き”だった過去を持つなら押さえておいて然るべき単語である。
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