進路指導室にて
進路指導室にて 担任・三木紫(ゆかり)
昨夜は早々に布団に入ったが、うなされたせいか眠りが酷く浅かった。寝た気がまるでしない。
それでも早朝、自習室に来てしまうのは、それがルーティン化しているからという、ただそれだけの理由に過ぎない。もちろんそんなんで勉強がはかどるわけもない。
オレはただただ機械的に手を動かしていたが、頭は半分以上その機能を停止していた。
そんなオレのところへ、担任の三木先生が朝っぱらからわざわざ「放課後、進路指導室に来るように」と言いに来た。
オレはぼーっとした頭で黙って頷いた。
自習後もずっと黙ったまま、オレは1時間目から6時間目までの全ての授業をやり過ごした。何のことはない、授業中ほとんど全ての時間をシャーペンを握ったまま、魂を抜かれた亡霊か何かのように机に突っ伏して惰眠を貪っていただけである。
そんなオレに声をかけてくるヤツなど先生も含めてひとりもいなかったが、それがありがたいことなのかどうか、考える頭もなかった。
進路指導室は1棟1階の自習室の奥にある。
いつもなら手前の自習室までしか行かないオレが、その横の進路指導室に足を運ぶのはこれで何度目だろうか。
放課後。進路指導室の戸を開けると、三木先生はまだ来ていなかった。
電気の点いていないその部屋は、1階の端だけあってどこかかび臭く、薄暗い。
せっかく進路を指導するなら、もっと明るくて前向きになれそうな部屋でするべきなんじゃないのかと、この部屋に入る度に思う。
例えば、3棟4階の音楽室の横あたりとか。
あれくらい日当たりも風通しも良いところなら、希望ややる気が自然と湧いてきそうな気がするが、今のこの部屋だとお先真っ暗、受かるものも受からない気がしてくるから不思議だ。
それとも今日のオレがセンシティブに過ぎるのだろうか。
授業中、爆睡したおかげでようやく回り始めた頭でそんなことを考えながら電気を点けて窓の外を眺めていると、
「ごめんごめん、待たせましたか?」
三木先生が紙の束を抱えて小走りに入ってきた。
担任の
気が向くと授業中、今、流行りの洋楽曲の歌詞を和訳解説しながら口語の言い回しなんかを教えてくれる。それが生徒に好評な、先生というよりは生徒寄りの女性だ。
当然のごとく軽音楽部の顧問で、気が向くとギターをギュイーーンと鳴らしたり、生徒がいない時に好きな曲を爆音で流しながらヘドバンしてたりするらしい。
故に、付いたアダ名が「(ヘビ)メタみ(っきー)」。
今回の文化祭、うちのクラスの店名が
「コスプレホットドッグ『ヘドバンみっきー33』」
なのは、もちろん彼女の名前と性癖が由来となっている。
長テーブルの上にどさりと紙の束を投げ出すと、三木先生はよっこらせ、と言いながら椅子に腰かけた。
まだ若いくせにこういうところ意外とババくさいんだよなこのひと、と思いながら、オレは椅子に座り直す。
「で、早速ですが」
先生がわざとらしく真面目な顔をしてオレを眺め回してから、言った。
「話は井川さんから聞きました。
まずはお疲れ様」
何がお疲れ様なのだろう、とオレはぼんやり考える。
女装して電車内でゲリラ動画撮影をしたことだろうか、
それともそれが失敗に終わったことだろうか、
はたまた今日、ほとんどの授業を寝ていたことに対する嫌味だろうか。
思い当たることがあり過ぎて、返しようがない。
「はあ」
オレの気合の抜けた相づちに、先生はくすりと笑った。
「三崎くん、あなたに対する反省の弁を、井川さんが昨日のうちに自分から丁寧且つ真摯に私に話しにきてくれました。他のメンバーたちのあなたに対する思いも、彼女が代弁する形で伝えてくれました」
「はあ」
「とにかく。まずは、あの台本を書いた井川さんの問題です。きみにあの内容を伏せた上で撮影しようとしたのは、どんな理由があれ頂けない。というか、人権侵害です。人権擁護団体・啓蒙活動コンクールに出そうというなら、まずはきみの人権を守るところから始めるべきでした」
「はあ」
「もちろん井川さんは、彼女なりに全てを熟慮考察した上でのことだったようです。彼女にはずいぶんと色々な思惑があったようですね?」
「はあ?」
思わずオレの語尾が上がる。
何だ? 思惑、って??
「ああ。やっぱり。三崎くんは何も分かってはいない、と。
まあ、そうでしょうね。三崎くんがそんなだからこそ、彼女はわざとああいう企画を立てたんでしょう」
何だよ、わざと、って。
「彼女の意図が知りたいですか?
でも、それを私が言うのは違いますよね。
言うなら井川さん自身があなたに言うべきでしょう。
担任の私から今回の件に対して言うべきことは、もしもコンクール用に撮影し直すなら、出演者にはきちんと企画意図を説明した上で出演者の人権にも配慮して撮影すること。だまし討ち撮影は禁止。ですかね。まあ、当たり前のことです。
それと、文化祭用の宣伝動画を撮るなら、もっと違う内容のものにして頂きたい。あれでは宣伝になっていません。
でもこれは、きみにではなく、井川さんへ向けての言葉です。
三崎くん、きみから井川さんたちに、今回の件で何か言いたいことはありますか?」
「……言いたいこと、ですか? うーん。何だろう。
それはもちろん、オレだけが何も知らなかっただなんて、はっきり言って腹も立ちましたし、凹みもしました。だいたいあの格好するだけだって十分過ぎるほどイヤだったのに、その上、あの格好で電車に乗って動画撮影にまで応じたっていうのに、何だよこの仕打ち、酷すぎる、って。
でも、ま、ただのウケ狙い、悪ふざけだったら許せないけど、そうじゃない。皆、それぞれの思いと理由があって、あの動画をリアルに作りたかったんだろう、そのためにオレが必要だったなら、それはきっと仕方がなかったんだろう、って諦めてます。それに、最終的には止めに入ってくれたヤツらがいた。その気持ちはしっかり受け取っています」
「三崎くん、きみってホントにお人好しですねえ」
先生がニヤニヤ笑っている。全くもって、先生らしくない笑い方だ。
「そうでもないですよ。文化祭当日ばっくれてやろうかな、なんて考える程度には怒ってますし、人が悪いですけど?」
「ほら、その物言い。それがお人好し、って言うんです。
だいたいきみにだけウソをついていいのか?
それは仕方ないことなんですか? もっと違うやり方はないんですか? 本当に?
私だったら怒ってめちゃくちゃシャウトしながら思いっきりヘドバンします」
「それは、ちょっと……」
つい笑ってしまったオレに先生は
「まあ、私から見るにきみのそのお人好しは、ただお人好しというだけでなく、他にも何か理由がありそうに思えるんですけれど、ね。
それが今回、私からきみに言うべき言葉でしょうか」
言い終えると、先生はぐっと体を前のめりにしてオレの目を覗き込んできたから、オレは慌てて体を反らした。
「なんですか、それ。ちょっとよく分かんないです先生のその日本語」
苦笑いでごまかしながら、オレは急いで席を立った。
先生はそんなオレを座ったまま見上げつつ、口の端を片側だけわずかに持ち上げると、
「じゃ、英語で言いましょうか?
Being honest may not get you many freinds but it'll always get you the right ones.(※)
さて。
で、三崎くん、悪いんですが、席は立たずにもう少しここに残ってもらえますか?
代わりに私が一度、席を外します」
そう言うと、先生は立ち上がり、
「さ。ちょっと座って待っててください」
オレの肩に手を当てて椅子に押し戻して座らせると、足早に進路指導室から出ていってしまった。
取り残されたオレの頭に、先生の残した英文が繰り返して流れた。
だから。
オレはリスニングが苦手なんだって言ってるのに!
しかも1回しか言ってくれてないし!! (※2)
※ Being honest may not get you many freinds but it'll alwaysget you the right ones.
「正直でいることは、必ずしもたくさんの友人を持つことにはつながらない。しかし常に真の友人を持つことにつながる。」
John Lennon/ジョン・レノン ザ・ビートルズのリーダー。
※2 リスニング/
今回、センター試験から共通テストに変更になった中で最大の変更点が、英語におけるリスニングの配点である。前年までのセンター試験ではリスニング50点リーディング200点だったのが、共通テストではリスニング100点リーディング100点となっている。
昨年までのセンター試験では、リスニング問題は全て2回、繰り返して読み上げられたが、共通テストでは1回しか放送されない大問の方が多くなるとされている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます