井川静佳 ③ 一般受験組は推薦が決まった人間のペースに巻き込まれないように注意



「だけどまさか三崎くん以外の全員が取り違えコスプレを選ぶとは、さすがに思ってなかった」


井川の言葉はオレの本音でもあった。

ふつう誰かひとりくらいはクラスの中にオレと同じ考えのヤツがいると思うだろ? 

それが、ゼロとは。

取り違えコスプレをすると決まったことと同じくらい、それはそれで衝撃的だった。


「あの流れからいえばそれはもう絶対に取り違えコスプレに決まるんだろうとは思ったけど、だからといって全員が全員、そっちを選ぶとは、ね」


ふーっ。

長い息を吐くと、


「これは私と佐々木くんしか見られない景色なんだけれど」


井川はそう言って、内緒話をするみたいに声を潜めた。


「今日みたいなLHRで、私たち2人、教壇の上からクラス中を見回すでしょう。

そうすると、ごくたまに、あ、風が吹いたな、って思う時があるの。

なんとなくできかけていたクラスの総意が誰かのひと言でひっくり返ったり、逆にすごい勢いで話がまとまったり。

そういう時ってね、見ていてすぐ分かる。皆の表情や目の色が一瞬で変わるから。


それでいうと、今日もそうだった。

木崎くんのあのひと言。

……あれは凄い破壊力だった。

コスプレを想定しての『プラスα』案に一度決まったら、あれよあれよと言う間に木崎くん案に皆の気持ちがなだれ込んでいくのが前から見ていて怖いくらいだった」


……やっぱりか。そうじゃないかと思っていたけど、やっぱりあのひと言か。


「木崎くんの発言がなかったら、久保さんの発言だけだったら、コスプレ案は通らなかった気がする。

あの時、私が感じた手応えからすると、6:4、ううん、7:3でホットドッグを作って売るだけに決まってたんじゃないかな」


私の勘って当たるのよ? 

そう言って、井川は目を細めた。


……くそっ。木崎の野郎。余計なこと言いやがって。


オレは奥歯を噛みしめた。


「今年は文化祭前後が受験本番ってひとも結構いるみたいだから、正直、大丈夫かなあ、とも思ってたんだけど」


「え? 本番、ってそれどういうこと?」


「ああ、三崎くんってば、そこら辺は始めっから全然、考えてないひとだったもんね」


続く井川の説明は丁寧だった。


「ほら、今年、受験制度がすごく変わるでしょう。

それで一般受験を避ける動きが大きくて、指定校推薦以外にも、総合型選抜とか自己推薦入試とかグローバル入試とか、学校によって呼び方も選抜方法も様々だけど、要は特別入試のことね? その試験日程がちょうど文化祭あたりに被ってる学校が多いらしいの。

うちのクラスでも考えてるひと、割といるみたいで」


「ふーん。詳しいんだな、井川は」


クラス委員っていうのは皆のそんなことまで知っているのか、とオレが感心すると、


「違う違う。そういうんじゃなくって。

私、とにかく早水に行きたかったから、万一、指定校が取れなかった時に備えて、早水の特別入試も調べて準備してただけ。

で、調べた時に、他の子たちとも情報共有したから」


「そんなこと言うけど井川の成績なら早水に限らずどの大学でも指定校取れないなんてこと、まずあり得ないだろう」


「そんなことないよ?

だってもし三崎くんみたいなひとが手を挙げてきたら、

ね?


だから三崎くんには感謝。

指定校に日和ひよったりしないで、一般受験だけでいてくれて」


めちゃくちゃマジメな顔で井川が言うものだから、オレはすっかり気恥ずかしくなってしまった。


「まあさ、そんな風に言われるとちょっと嬉しいけど、そもそもオレは国立しか考えてないから、指定校はハナから関係ないだけなんだよな。国立も学校推薦型選抜(推薦入試)はあるけど、あれはまた私立とはかなり違うし。

それに井川は文学部って言ったけど、オレは経済系だし」


なんて、言い訳っぽいのも甚だしい。

ああやっぱりカッコよくないなオレ。


それでも井川は優しい笑みを返してくれるから、もう完全に照れ臭くてたまらない。

……ダメだ。話を変えよう。


「それでさ、指定校推薦って、結局いつ決まるんだよ?」


「来週末に推薦会議があるって先生が言ってた」


「ふーん。来週末。早いような、早くないような」


「待つ身としては、早くないどころか、遅いっ! と叫びたい」


「井川が叫ぶところなんて見たことないから、それはそれで見てみたい気がする」


「ふふ。だったら叫ばない、やっぱり。


それにしても、三崎くん。

男子の中の誰よりも一番、三崎くんが女装コスプレ似合うはず、って私はふんでるんだけど、


やっぱりそんなにイヤ?」


井川よ、それはないだろう。

似合うからこそイヤだというこの心理、おまえみたいな国語全般のエキスパートに分からないはずがないじゃないか。

あ、でも、『似合ってる』って言われてハマるひともいると聞いた覚えもあるから、一概には言えないのか。


「まあね、本当は無理強いしちゃいけないんだよね、こういうこと。分かってるんだけど」


それは何か? 

取り違えコスプレすることを言っているのか、それとも質問に答えたくなくてオレがさり気なくスルーしていることを言っているのか、それともそのどちらもなのか? 分からない。


分からないことも含めて、オレは曖昧に笑って全てをごまかした。


そんなオレのごまかしに斬りかかってくるかのように、突然、

井川がぐっと顔を寄せてきた。


ええっ。

ちょっと近過ぎやしないか?


と思う間もなく、


「推薦が決まって時間ができたら、私、やりたいことがあるの。

頑張ってみるから、三崎くんも楽しみにしててね?」



ってそれは何をどう、楽しみにすればいいんだ?

オレにはさっぱり分からないことを井川はそっと囁くと、寄せてきた顔を元の位置に戻して微笑んだ。

その微笑みが、さっきまでの聖母マリアのそれとは微妙に変わっていることに、うかつにもオレはしばらくの間、気付けなかった。




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