川原七奈 ② 勉強してないように見えて実は皆、勉強している
「なんだよ、アイツに内緒で聞いてほしいこと、って」
口調がいささか早口になったのは、心臓がばくばくしているせいだ。
こんなに女子と顔を接近させるなんて、オレ的にはありえない。
うっかりキ○でもできてしまいそうな異様に近すぎる距離感を是正するために、体を反対側にそろりそろりと倒していったが、そんなオレに気付く様子もなく、川原は閉じていた蛇口をひねったかのように勢いよく話し始めた。
「あのね、あの子、昨日の朝ショックなことがあって。で、電車にひとりで乗れなくなっちゃったんだ。本人は強がって『なんとかしてみる。大丈夫』って言ってたんだけど。様子から見て、こりゃ厳しいんじゃないかと思ってたわけ私たち。
だから昨日の帰り、ホントに心配だったんだ。私以外の仲がいい子も用事があったりそもそも帰る方向が違ったりで、ことごとくダメで。
『私が終わるまで待ってなよ』って言ったんだけど、本人が『大丈夫』って突っぱねて。
『電車くらいひとりで乗れなきゃ困るじゃん』って。
そりゃそうだけど。でも、そうじゃないでしょ?
で、私、あの子に言ったの。『ヤバいと思ったらすぐに三崎くんに頼め』って。三崎くんは気付いてなかったかもしれないけど、電車が一緒だったこと今まで何度もあったし、図書館通いしてるのも知ってたから、頼めばなんとかしてくれるはずって思って。
勝手言ってごめん。でも、言っておいてよかった。
あの子、かなりヤバかったんでしょ? 昨日の夜、泣きながら電話してきたんだ私に。その時、あなたに助けてもらった、って言ってた。あなたがいなかったら身動きできなくなってたと思う、とも。
今日もね、朝、私、一緒に乗って来たんだよ、電車。私んち、あの子の降りる駅のひとつ先なの。そう。若葉ヶ丘。だから、あの子の駅のホームで待ち合わせして。
今まで、帰りはお互いに用事がなければいつも一緒に帰ってたんだけど、朝はほら、寝坊したり髪に時間がかかったりで必ず同じ電車に乗れる訳じゃないから。だから約束はしてなかったんだ。ずっと。
でもね、しばらくはあの子に合わせようと思う。あの子、当分、ひとりでは電車に乗れないと思うんだ。
それでね、三崎くん」
川原が瞬きをした。長いまつ毛がばさばさと上下する。
「もしも昨日みたいにどうしても私がかをりと一緒に帰れない時がこの先あったら、私の代わりに昨日みたいに一緒に帰ってやってくれない?」
「お願い、ってそれか?」
「うん」
「……オレは別に構わないよ。図書館までなら。ただ、あいつの家は蓮口より2つ先だから、そこまで行って戻るのは正直、面倒だけど」
「そうだよね。うん。そうなんだよね」
川原がうんうん頷く。
「だったら、そんな時はあの子が図書館に付き合って、三崎くんが帰るまで一緒に勉強する、っていうのはどうだろう?」
「へ? あいつと図書館?」
思わず素っ頓狂な声が出てしまった。
あの久保と、オレが、一緒に図書館??
「そんな驚くことないじゃない。私たちだって一応、同じ受験生だよ?」
「そりゃそうだけど……」
言われてみれば確かにその通りではある。あるのだが。
「だってあいつ、図書館で勉強する気あるのかよ?」
「そりゃあるでしょ。っていうか、私たちだって勉強してるよ?」
「マジかよ」
「あー、そうやってバカにして」
「いや、バカにしてる気はないけど……」
「んーん。してるね、絶対。そりゃ三崎くんみたいに秀才でもなければガチ全てを捧げてるわけでもないけど、私たちだって同じ受験生だもん。勉強してるよ?
朝は使わないけど、放課後は自習室が空いてればいつも使ってるし。ダメでもよく、マックとかスタバとか寄って、ずっと勉強してるよ? 図書館はあんまり居心地良くないから使わないだけで。
この前は、近くの区民館の図書室、使えるのを発見したから、今度からそっちも使おうって約束してるんだ。かをりと」
まあ、そりゃね、ウチの学校、これでもこの辺では2番目にできる学校な訳で。大学進学率もほぼ100%な訳で。指定校推薦だって結構いい大学のが揃ってる訳で。
勉強してないように見えても、その実、皆やってるのは分かってる。
それにしても、オレが久保とが2人で図書館、ねえ。
「ま、とりあえず話は分かった。
いいよ。いざとなったら一緒に図書館に行くで。オレにとってはムダがないし、別れたあとのことを気にしなくていいから、どうせならそっちの方がいい。
それにそもそもオレは、おまえがどうしてもダメな時の保険だろ?
そんなことそうそうあるとも思えないし」
「うん。そんなこと、私もまずないと思ってる。でも、昨日みたいなこともあるからね、実際。だから、いざという時に備えておきたかったんだ。それにかをりが昨日のこと本当に感謝してたから、それなら三崎くんに頼んでおくのが一番いいのかな、って思って。本人には内緒で」
ありがと。やっぱり思った通り、三崎くんは頼りになるし、話が早いから助かる。
さりげなく早口でそう付け加えた川原の方が、よっぽど頼りがいがあって冴えてるいいヤツだ。
良かったな、久保。
おまえいい友達持ってて。
オレ、今まで川原のこと、そんなに知らなかったけど、おまえと一緒に「いいヤツ」認定しとくよ。
ああ、やっぱりこんなことなら追加オプション、要求すべきだな。
なんなら川原の分まで。
心の中でオレは、元々の追加オプションにさらに上乗せ更新しておいた。
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