真田有未 ③ 記憶はうまく紐付けして芋づる式に取り出せるようにするに限る
勢いよく握ってきた真田の手は、今もまだオレの手と繋がれたままだった。
その手をどうやって離せばいいのか、オレには分からなかった。
女子と手を繋いだことなんてオレの記憶にはなかったからだ。
胸中に中学時代の黒歴史を重たい異物として抱え込んだまま、
繋がれた真田の手に困惑したまま、
オレはその手を自分の身体の方にそっと引き寄せた。
「あ、」
気付いた真田が、慌てて手を離す。
空っぽになったオレの手が所在無げに宙に浮いた。
オレたちはなんとなく顔を見合わせて、それから戸惑いを誤魔化したような笑みを互いに浮かべる。
「じゃ、詳細、決まったらすぐに教えてくれ」
それだけ言うと、オレは逃げ出すように真田に背を向けて、ひとり階段に向かった。
階段を下りるオレの手は、真田の手の形をまだ覚えている。
真田の薄くて細い手は、オレの手を取ったその勢いとは裏腹にさらりと涼しく爽やかで、汗ひとつかいてはいなかった。
そのくせオレの手は、今もわずかに熱を持っている。
その熱を振り切るように、オレは大きく手を振りながら階段を駆け下りた。
昇降口を出たオレの心は、すっかり秋の空に浮き上がってしまっていた。
ふわふわと
思えば昔から、女装はオレについて回っていた。
記憶にある振り出しは、幼稚園の頃。
当時流行っていた日曜朝の女子向けアニメ番組がなぜかお気に入りだったオレに、たまたま量販店でセールになっていたそのキャラクター衣装を母が見つけ、買ってくれたのだ。
それを着て、得意技の決めポーズを取るオレを
「まぁー、なんて可愛いー♡」
と言って写真を撮りまくっていたらしいが、オレの記憶には残ってないので、母の愛として仕方なく許す(しかしプリントアウトされた写真はその存在自体が許せないので、見つけ次第、破って破棄した)。
小学校での二分の一成人式(※)。
誰かが「家にあったから」と言ってふざけて持ってきた茶髪セミロングのウィッグ。
それを被って、「ねえ、似合う?」「こんなオトナになるんだ私♡」「女子力ってきっとこんな感じだよね~」とはしゃいでいた女子たちが、何を思ったか男子にも被らせるという暴挙に出た。
挙げ句、オレにもお鉢が回ってきて、その途端、
「やだ、私たち女子よりも三崎が一番似合うとかって、何それ」
「ほんとにマジで一番っぽい」
「どうして? どうして? どこから見ても女の子にしか見えないんだけど?」
最後には先生まで腕組みしながら頷いている、ってそりゃ違うだろう?
そんなモノ持ってきたヤツを注意するべきじゃないのかよ?
小学校時代、在籍していた地元のサッカークラブチーム、卒団式での余興。
卒団生全員で女装させられ歌って踊った時の、オトナの視線が怖かった。
「ねぇ、ねぇ。コレってお笑い企画だったはずだよねぇ。でもなんかナオくんだけ違うんだけど?」
「ほんと是非ウチに娘として迎えたい」
「いや、マジ可愛いねえ、こんなだと知っていればもっと使っ、あ、いや、まあなんだその、サッカーもいいけど踊りもいいよねえ」
そんな言葉は要らねえ!! と思いながら皆と踊っていたオレの気持ちをオトナは知っているのか?
ぜってー知らねえよなあ。クソがっ。
ああ。
今の、中学時代の黒歴史発掘作業によって、さらに古い黒歴史まで記憶の地層の中から浮上してきちまった……!
そりゃ、そうか。
厳重に地下に封印していた過去を、ご丁寧にも新しいラッピングを施した上で陽の目に晒す提案をオレ自身が受け入れちまったんだから。
いくら真田に「人(久保)助けだと思って」と頼まれたからって。
バカだ。バカだバカだバカだ。
ヘンに浮き足立っていた気持ちが、一瞬で地底深く潜る。
万にひとつでもこんな勢いで成績降下したら爆死する勢いだ。
激しい落下スピードで引き起こされた軽い吐き気と黒々とした記憶で重たくなった胸を抱えて、空を仰ぐ。
オレの気持ちなどお構いなしに、秋の空はどこまでも高く透き通っていて、青い。
限りなく透明に近い青が目に染みるようだ。
オレはなんだか切なくなってきた。
体育館脇の横道、たまたま人目がなかったのをいいことに、空を見上げたままオレは小声で叫んだ。
「バカヤロー」
「ありがとー」
やまびこのような小声が背後から聞こえてきて、オレはぎょっとする。
あまりにぎょっとし過ぎて、振り返ることもできない。
小声の主がオレの横に並んだ。
見なくても気配で誰かが分かった。
真田、だった。
「ごめん」
小声のまま、真田が謝った。
「三崎がどれだけ中学時代のことを嫌がってるのか、同じクラスになってこっそり話を振った時にすぐに分かった。だから今まで一度もその話には触れなかった。
なのに今さっき、三崎の気持ちを分かった上でそれでも無視してあんなお願いをしたこと、本当に酷いことだと自分でも思ってる。
だから、もう一度だけ、言わせてほしい。
ありがとう。
そして、
ごめん」
10本ダッシュをするような勢いで、真田が言った。
少しだけ弾んだ息で、いつものように簡潔、且つ真っ直ぐに。
そう言えばこいつ、中学からずっとテニス部だったっけ。
道理で足、早いよな。
ついでに言えば、リターンも。
例えそれがフォアではなく、バックハンドだったとしても。
オレは真田の言葉には何も返さずに、空を見上げたままもう一度、小声で言った。
「バカヤロー」
「バカヤロー」
真田もオレに揃えて小声で言った。
空は高い。
オレたちの声など届かないくらい、高い。
そのままオレたちは、しばらく空を見上げていた。
そうして、ようやく顔を下ろすと、互いの顔を見つめた。
メガネの奥の真田の目が、今はしっかりと見える。
真田の目は、何の曇りもなくただ一直線にオレに向かってきていた。
「帰るか」
オレの言葉に、真田はゆっくりと頷いた。
※二分の一成人式/
二十歳を成人として、その二分の一である10歳を迎えたことを記念して行われる行事・儀式。学校や地域などで行われる。
学校で行われる場合、小学4年生の行事扱いになっている。
内容としては、子供から親への感謝の手紙の発表、保護者や校長からの祝いの言葉、
「二分の一成人証書」の授与、将来への夢と抱負の発表、合唱など様々である。
10歳式、ハーフ成人式、半成人式、半分成人式などとも呼ばれる。
学習指導要領で定められたものではなく、各学校の判断で実施されている。
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