美術室にて

美術室にて ① 苦手なものほどさっさと片付けるのもひとつの手



ジェラート屋から帰った後、木崎が例の2人と連絡を取って日程調整したらしい。

結局、直近の火曜に、オレをモデルに宣伝ポスター用の原画を描くこととなった。何のことはない。一番忙しかった木崎に皆が予定を合わせただけである。

予定通り、女装に必要な服は川原が、メイクは久保が、それぞれ担当する。


その日が来なければいいのに。

ジェラート屋の翌日、木崎に予定を伝えられただけで正直、オレは気分が滅入った。

あの2人と直接、連絡を取り合わなくて済んだことくらいしか、オレにとってマシなことはなかった。

木崎は能天気に「描き終わったらまた一緒にジェラート屋、行こうな」なんて笑っていたけれど。

それだけで女装する苦痛を全てチャラにできるほどでは、残念ながら、ない。




🎨 🎨 🎨 🎨 🎨




火曜日の放課後。

授業が終わるとすぐ、木崎とオレ、久保と川原、そしてなぜかクラス委員の井川と文化祭委員の真田まで、美術室に集まった。

今日は部活がないのか、それとも元々少ない部員が皆してサボっているのか。

美術室にはオレたち以外、誰もいない。



「悪い悪い。三崎。ここ、使ってくれるか?」


オレの気分とはあまりに真逆のお軽いお気楽なノリで、木崎が美術室の奥にある美術準備室の扉を開けた。




開かれた扉の奥の美術準備室は、不思議な匂いがした。


油と木、クレパス、布。鉛筆、練り消し、水彩絵の具。板張りパネル、積み上げられたスケッチブック。イーゼル、描きかけのキャンバス。


鼻の奥まで入り込んできてくすぐっていくような、嗅ぎ慣れない、匂い。


今まで立ち入る機会がなかったその部屋は、秘密の隠れ家のようだった。

見慣れない物ばかりが雑然と並んだ部屋の中を、オレは物珍しく眺めた。

異世界のようなこの場所の雰囲気が、オレのやさぐれた今の気持ちをわずかながらも逸らせてくれるように感じられる。


「ここなら誰も入ってこられないから、安心して着替えもメイクもできるだろ?」


準備室にオレと一緒に入った途端、木崎は大事な秘密を打ち明けるかのように声を潜めた。

直後。


「じゃ、早速だけど、これに着替えて」


オレたちの後からついて入ってきた川原が、やけにバカデカい声で持っていたスポーツバッグをオレに押し付けた。


「中身を見れば分かると思うけど、万一、何かあったら声かけて。

着替え中は皆、美術室で待ってるから」


「……分かった」


オレが言葉少なに答えると、2人はくるりと背を向け、準備室から出ていった。





ひとり取り残されたオレは、作業台と覚しき机の上にスポーツバッグを置き、ジップを全開にして中身を丸ごと取り出す。

丁寧に畳まれた服は、上から順に、



胸あて付きの下着(ベージュ)

フリルがたくさん飾られた前開き半袖ブラウス(真っ白)

なんだか分からないが透ける素材がひらひらとしている短めギャザースカート(黒)

網タイツ(黒)



あ、あああ網タイツ、だと……!?



ざけんな! 

しかも、一番下に隠してやがったな!!



怒鳴りそうになるのをオレはぐっと堪えた。

着替えなんかに時間をかけている場合ではないのだ。

着替えたら今度はメイクが待っている。

服でこれなら、メイクはどうなるのだろう。

そっちの方がよっぽど怖い。

だが、今は余計なことは考えず、とにかく全てを手早く終わらせよう。

イヤなことほどさっさと終わらせるに限るし、そうでなければ身が持たない。



まずは上半身。Yシャツを脱ぎ、下着も脱ぐ。

代わりに女性用の下着を着る。

(オレが着た下着は『ブラ(付き)キャミソール』というのだそうだ。後で川原に教えてもらった。)


コレはやっぱり上から被るんでいいんだよな?

胸の部分は……、ああ、こんな風になっているのか。知らなかった。

なんかこのお椀みたいなのがパカパカするけど仕方ないよな。胸なんてオレにはないんだから。

でも、へぇ。中身がなくても着ちゃえば意外とあるように見えるもんなんだな。

ちょっとくらいなら上から触っても分かんないかな?

……あ、でも、やっぱり何もないって分かるか、触ると。ってオレ何やってるんだ。

これじゃまるで自分で自分の胸、揉んでるみたいに見えるじゃないか。キモっ。

それにしてもコレ、結構、苦しいもんなんだなあ。

意外と胸の下のゴムがきついし、しかも緩められない。

女子ってこんなの毎日ずっとつけてるのかよ。こりゃ大変だ。

オレ、女じゃなくてよかったかもしれない。これ着ただけでそう思う。

男の服の方が、オレにとっては百倍ラクだ。


下着の上にふりふりブラウスを着て、お次はスカート、か。

ズボンを脱いで、コレを着る、と。

こっちは下から足を入れて、ウエストのボタンを止めて、ファスナーを上げる。

ファスナーは横でいいのか。いや、後ろか? 前ってことはないよな?

ま、どうでもいいや。間違ってたら後で誰かが気付いて直すだろう。

それよりこの薄絹みたいな天女の羽衣みたいな、外側の透けてるひらひらした生地。

コレ、うっかり何かに引っ掛けたらすぐ破れちゃいそうだから気をつけないと。

いやしかし、なんかこう、すごく頼りないんだが。このスカートってヤツは。

足がこんなに全部むき出しだし。

むき出しってだけなら男子も半パン履くけど、これはそれとは全然違う。

なんでだろ? 何か違うんだろ?

あ、アレか。股がすぅすぅするんだなスカートは。そのせいか。

半パン履いたって足は見えてもパンツは見えないけど、これは場合によっちゃ全部丸見えだもんなあ。そりゃすぅすぅするよなあ。パンイチじゃあ、なあ。

なんか気持ち的にすげぇ頼りないな、コレ。

その分、夏は涼しくていいかもしれないけど、冬は寒そうだ。

腹は冷えたらヤバい。うっかり腹出して寝ようもんならオレ、必ず腹、壊すんだ。

受験の時に腹、壊したらシャレにならん。

腹は大事だから、女子はスカートの下にパンツ以外にも絶対、何か履いた方がいいと思う。

せめて入試シーズンだけでも。

いや、だからって、網タイツを履きたい訳じゃあない。

断じて違う。




それにしても、

それにしてもホントにオレは、


コレを履かなきゃいけないのか?



網タイツを手に、オレは弥勒菩薩半跏思惟像のようにわずかに首を傾げて指を顎に当て、しばし思案した。



網タイツ、網タイツ、網タイツ……。

お経を唱えるかのように心の中で唱和する。

網タイツ、網タイツ、網タイツ……。

少しでも心穏やかでいられるよう、祈りながら唱和する。

網タイツ、網タイツ、網タイツ……。




……仕方ない。


清水の舞台から飛び降りる覚悟で、オレは網タイツに右足を入れた。






あああ。何だ、この感触は……!


もぞもぞする。

むちむちする。

げしげしする。

ざわざわする。

ぴたぴたする。


どれもが正しく、どれもが微妙に違う。

ただひとつ。

確実に言えることは。






……履きたくはなかった。こんなもの!!






この一点のみ、である。

弥勒半跏思惟像の心持ちには程遠いであろうが、凡夫の我が身としてはやむを得ない。


解脱不可能。

以上。



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