久保かをり③ 緊張を解く自分なりの方法を見つけておこう


久保の顔色のあまりの白さに、オレは呆然とした。

次いですぐ、そんな場合じゃないと気付き、「おい」と声をかけながらその手を取った。


「うっ」


唇を噛み締めたまま体をこわばらせた久保を、引きずるようにして目の前にある公園のベンチまで連れて行く。


「いいから座れ」


ベンチに押し付けるようにして座らせると、自販機に取って返した。

久保がコインを入れた自販機が、ピカピカと明かりをつけてオレを待っていた。

悩むヒマも惜しくて、目についたレモン味の水のボタンを押す。


――ガチャコン


ああ。もう1本、何か買わねば。


慌ててポケットの中の定期入れから小銭を取り出し、今度はお茶を買った。


――ガチャコン


2本まとめてつかむと、急いで久保の座るベンチに戻る。俯いて座っているせいで、立ったこの位置からだと久保の頭と肩しかきちんと見えない。

いつもなら気にもとめないその肩が、今はやけに小さく丸まって見える。





「ほら。どっちでも好きな方、取れよ」


むき出しの膝の上に2本、そっと置くと、久保は俯いたままお茶のペットボトルをオレの手に戻した。

戻ってきたお茶のペットボトルのキャップをオレはぎりぎりとひねって開ける。

そのまま、ぐい、と口をつけた。

冷たくてほろ苦い液体が、体の真ん中を落下していく。

冷たさの分だけ、気持ちが鎮まっていく。

落ち着け。落ち着け。

何だか分かんないが、まずはオレ、落ち着け。




久保の横にオレはそっと腰を下ろした。

膝の上のペットボトルは握られたままだ。


「キャップ、開けるか?」


オレの言葉に久保は顔を上げず、首だけ振った。


「……ごめん」


小さな小さなかすれ声だった。


「だな。奢ってくれるって言ったのに、自腹だもんな」


わざと茶化すように言うと、久保が震える手で財布を開けようとしているのが目に入った。


「バカ。冗談も分かんないのかよおまえ」


久保の手の中の財布をひったくり、そのままカバンに突っ込んで戻した。続けざまペットボトルを取り上げ、キャップを開けて、


「いいから飲め」


口元に突きつける。


俯いたままの久保の手がおずおずとペットボトルをつかむ。しばらくそのままでいたが、意を決したように顔をわずかにあげると、そっと口をつけた。


――ごくり


水分が久保の喉を通過する音と共に、首元が緩やかに上下した。

青ざめていた横顔にかすかに血の色が戻ったように見えて、オレはほっと息を漏らした。




どれくらい、そうして座っていただろうか。

久保がもう一口、ペットボトルを飲んだところで、声をかけた。


「大丈夫か?」


「……うん。ごめん」


「いいけど。動けるようになったら、送っていくから言えよ?」


「大丈夫。もう、動ける」


「無理すんな」


「無理じゃない。ほら、」


そう言って久保はベンチから立ち上がり、短いスカートの後ろ側を軽く叩いた。スカートがぱたぱたと音を立てて揺れる。

同時に、


さっき、学校ですれ違った時の、あの優しく柔らかい匂いが、ふっ、とわずかに戻ってきた。


ああ。

緊張してると、匂いも感じなくなるのか。

っていうか、オレ、緊張してたのか。


匂いを感じて、オレはようやく人心地ついたような気になった。

鼻の下をこすってから、すん、と軽く鼻を鳴らし、その勢いでベンチから立ち上がる。


「ほら、そのバッグ寄越せ」


久保に手を差し出した。


「そんな。いいよ。大丈夫。

それより……、

お願い。お願いがあるんだ。頼むから三崎、聞いてくれる?


あの。

あのね、

私の後ろに立たないで。手も回さないで。お願い。

お願いだから」


いつもの人懐っこい目ではなく、さっきまでの圧を与える目でもなく、どこか怯えたような目が、オレを見上げている。


「分かった」


何を言っているのか久保の言葉の意図するところがまるで分からなかったが、とにかく短くそう答えて大きく頷く。


分からないのに分かったと答える、こんな乱暴なやり方はふだんならまずしない。

でも、きっと今はこのやり方が一番正解に近いんだろうと、とっさに判断した。


オレが頷くのを見て、久保がゆっくりとオレの横に並んだ。

並んだ久保の肩は、ずいぶんと低い。





しばらくは無言で歩いた。

学校から駅まで、平らな道を約10分。

公園からは残り5分ちょっとだ。

遠目に駅が見えてきたあたりで、久保がゆっくりと口を開いた。


「私、ひとりで電車に乗りたくなかったんだ」


立ち止まって、久保がオレを見上げた。


「……ううん。違うな。

今日の私、ひとりでは電車に乗れないと思う。無理。絶対。

だから。


だから、三崎を待ってた」


久保の瞳が鉄緑色をした深い底なし沼の水面のようにゆらゆらと揺れていて、オレは危うく溺れそうになった。



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