静岡〜福島

第32話 誰にでもできる簡単なお仕事

「何かあったら、遠慮なく連絡くれよ。すぐに駆け付けるから」

「……ありがとう」

「上手くいくといいな」

「えぇ、頑張るわ。……じゃあ、私はそろそろ。また後で」


 静岡駅でサイカを下ろしたのが、午後二時四十五分ごろ。

 緊張感の漲る、しかし強い意志を瞳に宿した彼女に手を振り、巽はトラックを発進させた。


 『ふくしま特別研究都市』向けの荷物がまとめて保管される専用の倉庫へと向かう。積み込み作業は四時半以降の予定だ。まだ時間に余裕があるので、今のうちに休憩しておこうと決めた。

 倉庫街の中の、交通量の少ない道路脇に車を駐める。辺りには同じように停車中の同業者がちらほらいた。

 暗黙の了解で一定に距離を取り、互いに干渉はしない。

 一般の歩行者はほとんど見かけず、聞こえるのは行き過ぎる輸送車両のエンジン音ばかり。ここらは警察もあまり来ない、格好の休憩スポットなのだ。


 昼食で満たされた腹の消化が進んで、ちょうど眠気がやってくる頃合いだった。巽は上着を助手席に放り、靴を脱いでダッシュボードの上に両脚を投げ出した。

 開け放った窓から窓へ、潮混じりの風が吹き抜けていく。地形のせいか、風の強い土地である。今日も汗ばむほどの陽気だが、空気は爽やかだ。

 端末のアラームを一時間半後にセットし、巽は瞼を閉じた。

 静かで、気持ちがいい。

 大きな運送契約が切られるというのに、これが最後の仕事とは信じられないような、穏やかな気分だった。



 まどろみの中で、先代である父親のことを思い出した。たぶん、父親に会いに行くサイカの影響だろう。

 職人気質かたぎの人だった。頑固で実直で、仕事が丁寧。荷主や同業者からの信頼も厚かった。

 高卒で入社した息子に、父親社長は特に厳しかった。積み荷の扱い方など、何度どやされたか分からない。


 巽は元高校球児だ。体格や運動神経には幼いころから恵まれていた。甲子園にも二度、捕手として行った。

 ずっと、プロ野球選手を目指していた。だが、その夢を叶えるには実力が足りなかった。

 挫折をした。先が見えなくなった。たまたま家が運送会社だった。だから半ばヤケクソ気味に、逃げるようにこちらの道へ進んだ。

 その心根を、父親には見抜かれていたのだと思う。


 最初は当然、あまり気乗りのしない仕事だった。

 しかし、いろいろな荒波に揉まれながら業務に慣れていくうちに、巽はトラックの運転が好きになった。必要に迫られて、フォークリフトや牽引免許、整備士などの資格も取った。

 巽が選んだ道の遥か先には、必ず父親の背中があった。世間的には下層に見られやすい業種でも、さまざまな技能を要する仕事だ。それを父親は、さも当たり前にやっていた。


 身体を壊した父親に代わって会社を継ぐことになった時、荷が重いと感じた。運送屋だけに。

 あれから五年が経つが、仕事ぶりを認めてもらえた実感はない。きっとまだまだだろうと、巽は思う。

 父親と全く同じようにはできない。自分なりのやり方で、トラックを駆っていくしかないのだ。



 連続する電子音で、巽ははっと目を開けた。

 大きな欠伸あくびを一つして、その場で手足を伸ばす。こきこきと首の骨を鳴らし、ペットボトルに半分残った緑茶を飲み干して、ぱちんと両頬を叩く。


「よっし」


 頭がすっきりした。背筋に芯が入る。

 時刻は四時半すぎ。『有限会社巽運送』の縫い取りが入ったカーキ色の作業着を羽織り、きっちりと前を閉める。

 さぁ、最後まで役目を果たそう。


 『ふくしま特別研究都市』向け貨物の、中部地区の中継地点。その倉庫は、あの『街』の搬入口と同じシステムを使っている。

 すなわち無人。

 発注を受けた出荷主は品物をこの倉庫へ送り、自動運転のフォークリフトがそれを荷下ろしする。

 そして指定の日時に巽のような運送業者がやってきて、また自動リフトが品物をトラックへ積む。

 出荷主側の関係者と『街』の手配した運送業者、そして倉庫の所有者である『街』の関係者が、一切接触しない物流形態。

 そういうものかと特に気にしていなかったが、今なら分かる。

 恐らく、『街』に関する情報が流出しないように、一旦ここで流れを完全に分断しているのだ。


 巽はシャッターの開いた倉庫の搬出口にトラックを横付けし、荷台のウイングを上げた。

 受付のパネルに端末をかざすと、納品書がダウンロードされる。それをキックにして、電動リフトが動き出す。


「おう、今日もよろしくな。つっても、今日で最後なんだけど」


 巽はいつものようにリフトへ声をかけた。当然、返事はない。

 本日もするすると滞りなく積み込み作業が進んでいく。巽自身は納品書と実際の荷物の数に間違いがないか確認するくらいで、特にやることもない。


 誰にでもできる簡単なお仕事だな、と思う。トラックを運転するだけなのだから、大型免許を持っている者であれば難なくこなせるだろう。

 「他の誰かの代わりにはなれない」なんて、自分をいち労働力として見た時には、泡沫より脆い理屈だ。

 誰かがやらなきゃならない役目に、たまたま条件に当て嵌まった者が充てがわれるだけ。

 自分にしかできない仕事なんて、この世にほとんど存在しない。


 逆を言えば。

 この契約がなくなったところで、別の依頼を受ければ良い。

 ただでさえ人手の足りない運送業界の、しかも長距離専門。また需要のあるところに行くだけだ。父親の代から、巽運送はそうやっていくつもの不況を生き延びてきた。

 それでいい。きっとまた上手く渡っていける。


 しかし、何はともあれ。

 無性に一服したい気分ではあった。


 気付けば、積み込みも残りわずかになっていた。広い荷台には、あと一パレット分のスペースがあるのみである。

 最後の荷物を運んできたリフトが倉庫の奥へ消えていくのを見送って、巽は独り言のように呟く。


「ありがとな。お疲れさん」


 アオリとウイングを閉じて荷台を元に戻し、キャビンに乗り込もうとした、その時。


「あの、すみません!」


 男性の声に呼び止められ、巽はびくりとする。目を向ければ、搬出口の脇にある扉から作業服姿の中年の男が出てくるところだった。


「へっ?」


 人いたんだ!


「すいません、巽運送さん。実は今回、もう一つ追加で運んでいただきたいものがありまして」

「え? 納品書のものは全部積み終わってますけど……というか、もう荷台にスペースありませんよ」

「そうですよねぇ。お手数なんですが、一度見てもらってもいいですか? どうにか上手く積めないかなと」

「分かりました。じゃあ、見せていただいてから、ちょっと積み方考えてみます」

「ほんとすいませんね、急なことで申し訳ありません」


 ぺこぺこと頭を下げる彼の後について、扉から倉庫の内部に入る。

 中は天井が高く、広々としていた。丈夫そうな三段組みのスチールラックには、たくさんのダンボールが置かれている。


「ここ、初めて入りましたよ。こんなふうになってたんだ」

「えぇ、必要に応じて出庫するようにしてるんです。普段は機械が全部自動で作業してくれるんですけどね」


 言われてみれば、図書館の本棚のように整然と配列されたラックの間を、ちらちらとリフト型ロボットが動いているのが視界に入る。


「ここです。……って、あれ? 持っていかれちゃったかな」


 案内された場所に、それらしい荷物はない。ロボットと行き違ったようだ。


「すみません、すぐ探してきますので、ちょっとお待ちいただいていいですか?」

「あぁ、はい、分かりました」


 一人取り残された巽は、周囲をぼんやり眺めた。他の誰かが、つまり自分の後任者が運ぶであろう荷物たちを。

 辺りには、ロボットの動作音が小さく響いている。さっきの男の足音は、既に紛れてしまって判別できない。


 その時。

 突然、巽の端末が鳴った。着信だ。

 左手首を上げ、視線を移動させる。

 捉えたのは、サイカの名前の表示と、視界の端に動く影——


「ん?」


 顔を上げる。ベージュの作業服姿の男が二人。

 見覚えあるシルエットだ。


 ……ウズマキとナガヤ配管工ブラザーズ


「は⁈」


 電子音がメロディを紡ぐ中、ナガヤが手にした銃口が、巽を狙っていた。

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