第7話 お子さまランチはスペシャル
コンビニで調達したパンやおにぎりを、仲良く三人並んで齧る。どこまでも続く高速道路を軽快に走る大型トラックに乗って。
再出発してしばらくの間、巽は興味津々のアトリから質問攻めに遭った。
「これ、なあに?」
「こいつはシフトレバーだ。ギヤチェンジの時に使う。スピード上げてエンジンの回転数が増えてきたら、もっとパワーの出るギヤに切り替えるんだ」
「このさんかくマークのボタンは?」
「それはハザードランプ。ちょっと道端に停まったりする時とか、他の車に合図するのに押す」
「これは?」
「あー、灰皿だな。満杯だからそろそろ捨てなきゃと思ってたんだ」
普段、彼はあまり車に乗ることがないのかもしれない。訊かれたのは、一般的な乗用車にもあるものについてのことがほとんどだ。サイカのオートライドだって、手動運転時のために普通のAT車と同じ機構が備わっているはずである。
「この、うしろのぼうはなあに?」
アトリが、今度は助手席の真後ろに立つ鉄の棒を指す。天井へと伸びるそれには、プラスチック製の足場が二つ付いている。
「これは梯子だ。天井見てみろ。ハッチになってるだろ。この上に寝る場所があるんだ」
「え? このトラック、二階建てってこと?」
アトリより先に反応したのはサイカだ。
「おう、そうだよ。後で見てみる? エアコンも付いてるし、結構快適なんだぜ。どうしても車ん中で仮眠しなきゃなんねぇからな。俺の体格でもギリギリ脚を伸ばせるから、これにしてからだいぶ楽んなったよ」
「運転席の上にあるあの部分、そんな構造になってたのね」
長距離ドライバーにとって、寝不足は大敵だ。運転中の判断力低下は、大きな事故に繋がりかねない。
「週のうち三日くらいは車中泊なんでね。ちっちゃい会社だからさ、こうして社長自らあくせく働かねぇと仕事回んねぇんだわ」
「えっ……あなた、社長さんなの?」
「そうだよ。元々親父の会社だったんだけど、五年前に身体壊して引退したから、俺が継いだ。長距離メインでやってて、何でも運ぶ。業界的にも長距離は特に人手不足だから、重宝してもらってるよ」
それで『ふくしま特別研究都市』への配送業務も請け負うようになったのだ。
「そういや、あの『街』に出入りしてる運送屋ってうちも含めてちっちゃいとこばっかなのかな」
「都市って言っても町一つ分の規模だし、関係者が住んでるだけだから。必要な時に必要なものを運んでくれる、小回りの効く業者さんに頼んでるみたい」
「なるほど」
そういや彼女、物資を運ぶトラックがいつ来るのか調べたんだったな……と、何となく思い出した。
「まぁ、関係者しかいないんなら、住人が急に増えたりすることもそんなになさそうだしな」
巽が何気なく口にしたその言葉に対し、なぜか一瞬の間がある。
「……そうね」
タイヤが、道路の継ぎ目をガタンと踏み鳴らす。
不意にアトリがまた声を上げた。
「ねぇ、あれはなに?」
指さす先には、ずらりと並んだ料金所ゲート。
「あぁ、あれはお金を払うところだ」
「おかね?」
「でもETCだから、自動で通れる」
車載器がピッと反応して、ゲートが開く。
巽運送のトラックは、東北高速道から東名高速道へと入った。
『ふくしま特別研究都市』から名古屋までは、ノンストップで走り続けても七時間以上かかる。
短いトイレ休憩を何度か取りつつひたすら西へ進み、愛知県に入るころには日が落ちかけていた。
「よし、渋滞名所を抜けたな。いつも夕方はアホほど混むんだけど、ほんの一瞬だけ流れの良くなるタイミングがあるんだよ。一旦ハマるとヤバいくらい動けなくなるからな」
「さすが、詳しいのね」
「ドライバーにとっちゃ常識だよ。配送にも決まった時間があるからさ。ちゃんと計算しながら走ってんだ。あいつら、もしついてきてたとしても、今ごろ足止め喰らってんじゃねぇかな。知らずにあそこを通ると酷い目に遭う」
実はそれを狙ってここまで走ってきた。
後続車もちらちら確認しているが、サイカから聞いた車種は今のところ見かけていない。電気自動車だというし、充電もするなら更に時間が必要だ。さすがに追跡を諦めただろう。
あと一時間ほどで会社に到着する頃合い、アトリがぽつりと言った。
「ねぇ、おなかすいた」
「んじゃ、飯にするか」
トラックは緑看板の案内に従って、休憩所に続く側道へと進んだ。
そこそこ混み合う、中規模のサービスエリア。
人目に触れにくいよう、三人はフードコートの端のテーブルを選んで座った。それでも、時おり傍を通る人がちらちらと視線を寄越してくる。
年端もいかない子供の髪が、かなり明るい栗色なのだ。好奇の目を向ける者の気持ちは分からないでもない。
気分転換になるかと店に入ったが、やはり車内にいるべきだったか。
「アトリさ、上から下まで真っ白の服だし、髪の色とかもちょっと目立つよな。帽子だけでも被った方がいいかも」
巽は昼に食べ損ねた天ぷら蕎麦を啜りながらそう言った。通りすがりの人の印象に残るのは、追われる身としてはあまりよろしくないだろう。
「服を選ぶ余地がなかったの。施設じゃ、子供はみんなこの服だから」
「へぇ」
サイカが夕飯に選んだのは、意外にも牛丼だった。しかも大盛り。きっちりと手を合わせ、丁寧に箸を割る所作が美しい。
しかしいざ食べ始めると、思いのほか豪快だ。掻き込んだ牛丼をしっかりと咀嚼し、どことなく恍惚とした表情でそれを飲み下してから、何事もなかったかのようにクールな瞳に戻る。
あぁ、これはいいかも。
巽の持論だが、食いっぷりのいい人間は信用できる。
例えば見知らぬヒッチハイカーに食べ物を分けてやる時も、警戒することなくそれを口にしてくれたら、相手の心の垣根が少し下がったように感じるものだ。
だから自分も、目の前で食事する相手のことを受け容れたいと思うのかもしれない。
というか、ちょっと色っぽくてイイな。
ただ単純に、美味そうによく食べる女性は巽の好みだった。
アトリは念願のお子さまランチに興奮している。
「すごいね、これ! いっこのおさらにいろんなものがのってる!」
丸いランチプレートの上には、黄色いカレーソースの入った器、グリーンピースご飯、赤いケチャップのかかったミニハンバーグ、きつね色に揚がったフライドポテトが盛られていた。デザートはぶどう味の一口ゼリーだ。
「だろ? お子さまランチはスペシャルだよ」
「おもちゃもある! これ、トラック?」
おまけで付いていたのは、ちょうどトラックのおもちゃだった。プラスチックでできた、非常に簡単な作りのものではあったが。
「すごい! おいしい! こんなのはじめて! おこさまランチ、イカルもたべられたらよかったのに」
「ん? イカルって?」
「……アトリ、カレー垂れてるわ」
サイカが、アトリの顎に付いたカレーソースを丁寧に拭った。
「零さずに食べるのよ」
「はーい」
まるで母親のようだ。どこかで見た光景が、また記憶の断片を掠めていく。昼間に引き続き、どうも感傷的で良くない。
食事を終えて、席を立つ。
外へ出ると、とっぷりと日が暮れていた。駐車場のあちこちに設置された照明の強い光で、闇の蔓延る隙もない。
「わぁ、あかるい! なんで? ……うわっ!」
電灯をきょろきょろと見上げながら歩いていたアトリが、歩道の段を踏み外して転倒した。それをサイカが慌てて助け起こす。
「アトリ、大丈夫? 怪我はしてない?」
「うん、だいじょうぶ。ちょっとびっくりした」
「血は……出てないわね。良かった……」
サイカは心底ほっとしたように言った。
ちょっと大袈裟なんじゃないか。子供なんだから、転ぶことくらい珍しくないだろうに。
巽は身を屈め、アトリと目線を合わせた。
「アトリは強いな。お利口だ」
「うん! ぼく、おにいちゃんだもん」
「そうかそうか」
きっと、例の施設にはもっと小さな子供もいるのだろう。
得意げに鼻を膨らませるアトリの頭を、がしがしと撫でてやる。
「よし、行くか。疲れただろうけど、もうちょっとだけ頑張ろうな」
「つぎはどこいくの?」
「次は俺の会社だよ。ここからすぐだ。トラックいっぱいあるぞ」
「いきたい!」
その小さな手には、お子さまランチのおまけのトラックが大切そうに握られていた。
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