第18話 姉妹の再会
「じゃあ、アトリがでかくなってその服が着られなくなったころにでも、着払いで送ってくれよ。気が向いたらでいいや」
『ふくしま特別研究都市』からここまで送ってくれたトラックドライバーの男は、そう言ってサイカに名刺をくれた。
『有限会社巽運送 取締役社長 巽 晃一』
彼はサイカと同世代か、少し年上に見えた。二代目だそうだが、社長と考えるとずいぶん若い。
巽本人は小さい会社だと笑っていたけれど、事業所の様子や彼の仕事に対する姿勢から、規模は小さくともきちんとした会社なのだと感じた。
明るくさっぱりした気質の男だった。がっしりとした大柄な体格に、精悍な面差し。
サイカは初め、ただ『街』から脱出するために、巽運送のトラックを利用するつもりでいた。
ケースに隠したアトリの存在にも気付かれることなく、トラブルを装ったオートライドのところまで運んでもらうだけの予定だったのだ。
それがまさか、ここまで深く関わることになろうとは。
「サイカせんせい。おじさん、いつおしごとおわるの?」
九慈大学病院のロビーを歩きながら、アトリが問うてきた。
この地区最大の総合病院ともあって、受付へと続く幅広い通路を行き交う人は多い。それでも、アトリに視線を向ける人はほとんどいない。
研究所内では全く気にならなかったが、こうして『外』へ出ると明るい髪の色が悪目立ちと言っていい目立ち方をする。巽から借りた青いキャップが、それを上手く隠してくれていた。
「いつあえるの? あした?」
帽子のつばの下から覗く、碧みがかったまっすぐの瞳。そこからさりげなく目を逸らし、サイカは短く応える。
「さぁ、いつになるかしらね」
「トラックたのしかった。またおじさんにあいたいなぁ」
「そうね」
ただの相槌を
巽と再会することは、きっと二度とない。というか、あってはならない。もう、これ以上の迷惑をかけるわけにはいかないから。
事態が落ち着いたころにでも、彼の生活に支障を来さない形でお礼ができればと思う。
国家機密とも言える話を部外者に明かしてしまったことには、後悔が残らないでもない。恩人を危険に晒す可能性が生まれてしまったのだから。
それでも、巽のおかげで救われたような気持ちが確かにあった。
ここまで送り届けてくれたということだけではない。
彼は、アトリを人間として扱ってくれた。
アトリを守ろうとするサイカを「正しい」と、ごく当然のように言ってくれた。
そのことで、どれだけ勇気をもらっただろう。
——トラックは、前にしか進まねぇだろ。
あの時の巽の言葉を思い出すと、つい口元が緩む。
彼、突然えらく真剣な表情で、分かるような分からないようなことを言い始めるから。
でも。
顔を上げて、アトリの小さな手をしっかりと握り直す。
前に進もう。アトリのために。そして、自分のために。
午前の診療時間中の今、総合受付も会計窓口も待ち合いの人でいっぱいだった。事務員もみんな忙しそうだ。
診察を受けにきたわけではないので、医事課の窓口に声をかける。
「すみません、私、先進医療部の竹下
姉と約束をしている旨を告げた。『竹下』は結婚後の姓だ。
「まず、血液検査と尿検査を受けていただくようにと、竹下先生から言付かっています。ご案内しますね」
事務の女性の後について、サイカとアトリは第一病棟二階の採血室へと案内された。
どちらも『街』では月に一度行われるものだ。姉が気を利かせて手配しておいてくれたのだろう。
尿検査はもちろんのこと、腕に針を刺す採血もアトリは慣れたものだ。それらが滞りなく終わったころ、また先ほどの女性が迎えにきてくれた。
「検査が済んだら、第三病棟三階の中会議室でお待ちいただくようにとのことです」
今度は、第三病棟のエレベーターを使って、その会議室へと連れて行かれる。
「こちらでお待ちください」
通された部屋は、長机とパイプ椅子が並んだだけの、広さ二十畳程度の殺風景な会議室だった。
案内してくれた女性が行ってしまうと、辺りの静けさが際立った。
アトリが不安そうな面持ちで身を寄せてくる。
「サイカせんせい……」
「大丈夫よ。ここは安全だから」
二十分ほど待ったころ、扉がノックされた。
中に入ってきたのは、白衣姿の一人の女性だ。長い髪をうなじで一まとめにし、赤いフレームの眼鏡をかけている。
「姉さん!」
サイカの二歳上の実姉・チカである。彼女は妹の姿を認めると、きゅっと口角を上げて微笑んだ。
「サイカ、久しぶり。待たせてごめん」
「ううん、こちらこそ。こんな忙しい時間帯に、良かったの?」
「うん、大丈夫。少しだけ抜けてきた」
かつてあの『街』で研究者をしていたチカは、四年前、結婚を機に施設を辞めた。現在は、母校の附属病院であるここで夫と共に臨床医として働いている。
姉と顔を合わせるのは二年ぶりだ。彼女が出産した時にお祝いを持っていったきりだった。
『ふくしま特別研究都市』は住み込み型の研究施設であり、衣食住の全てがあの囲いの中で完結できるようになっているため、余程のことがなければ外へ出る必要もない。
それはサイカも例外ではなく、実家への帰省となれば年一回すれば良い方だ。ゆえに、結婚してしまった姉と会う機会は極端に減っていた。
「『街』の警備の人に追っかけ回されたって聞いたから、ほんと心配で。大丈夫だった?」
「えぇ、大丈夫。私もこの子も無事よ」
実のところ、サイカは少し緊張していた。久々の対面だし、大きなお願いごとをしなければならないから。
だから、姉の柔らかい態度に心からほっとした。きっと無理にでも時間を作って仕事を抜けてきてくれたのだろう。
チカが、アトリに目線を合わせた。アトリは少しだけサイカの陰に隠れる動きをする。チカのことは覚えていないようだ。
「アトリ、大きくなったね。私が辞めた時は、まだ二年目だったもんね。今のツグミと同じくらいだったってことか」
「そうね、もう六歳よ。ツグミちゃんは元気?」
「うん、まぁね」
チカは何となく曖昧な笑みでそう答えた。
ツグミというのは、二歳になるチカの娘のことだ。アトリにとっては妹ということになるだろう。
こうして見ると、チカとアトリはよく似ている。髪や瞳の色から、一見した印象では分かりづらいが、目鼻がそっくりだ。
端正な顔立ちを、薄化粧で地味に見せている姉。昔はとことん真面目で取っ付きづらいイメージだったのが、それでもずいぶん柔和になったと思う。
アトリがチカを見つめて言った。
「ぼくの、おかあさん?」
チカはただ静かに微笑む。
本題を切り出さねば。サイカは今一度、背筋を伸ばした。
「あの、姉さん。こないだ電話で話したことなんだけど」
「うん、戸籍を取りたいって話ね」
「そう。法務局に相談したり、少し面倒な手続きになるみたいなんだけど、その辺はもちろん私が全部やるわ。姉さんにはDNA鑑定を受けてもらいたいの。戸籍取得後は、私がアトリを引き取って育てる。だから、どうか、よろしくお願いします」
サイカは、深く深く頭を下げた。祈るような、縋るような気持ちで。
しばし無言の時間。
左肩に、温かな手が置かれる。
「サイカ」
顔を上げると、穏やかな表情のチカと目が合う。
強張っていた頬が緩んだ。やはり、姉を頼って良かったと思った。
だが——
「その前に、確認したいことがあるの」
「えっ……何?」
笑みが貼りついたままの、姉の顔。
「サイカ、大丈夫? あなたが今していることが、どんなに危険でデメリットが大きいのか、それをちゃんと理解してる?」
ひやりとしたものが、みぞおちの奥から湧き出した気がした。
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