第4話 追っ手現る

 今のような状態を、なんと名付ければ良いだろうか。

 最初にサイカを拾った経緯を考えれば、ヒッチハイクと言えなくもない。しかし、普通のヒッチハイカーは運転手を銃で脅したりなどしないだろう。

 強いて言えば、バスジャックに近い。バスじゃないからトラックジャックか。そんなの聞いたこともない。

 美人だからと鼻の下を伸ばして、ほいほいと車に乗せてしまった自分の浅はかさを悔やむばかりだ。


 自身が置かれている状況を整理しながら、巽は高速道路を時速八十キロで走行する。法定速度遵守。社名を背負って走っている以上、コンプライアンスは重要なのだ。


 不意に、端にいるアトリが声を上げた。


「サイカせんせい、おなかすいた」

「後でね」


 短いやりとりだけで、車内はまた静かになる。

 しかし幾ばくも経たぬうち、再びアトリが口を開く。


「せんせい……」

「アトリ、あのね——」


 遮って、アトリが一言。


「トイレ」


 それはサイカのみならず、巽の顔をも強張らせるに十分な三文字だった。


「えっ……」

「が、我慢できる?」

「むり……もれそう……」


 よもや漏らされては堪ったものじゃない。

 ちょうど、緑色の看板が目に入る。


「あと一キロでサービスエリアだけど」

「……寄って」

「了解。坊主、もう少し頑張れよ」

「う、うん……」


 巽は案内表示に従って、走行車線から側道へ入った。



 昼時ということもあり、そのサービスエリアの駐車場はそこそこ埋まっていた。

 数多くの飲食店や室内遊園地、屋外にも公園や観覧車のある、人気の施設だ。

 休日はここを目的地として訪れる観光客もいるくらいだが、平日の今日はやはりトラックや営業用と思しき乗用車の割合が多い。


 トラック専用駐車場の空きスペースのうち、巽はトイレに最も近い場所を選んで駐めた。


 サイカが巽に視線を向ける。


「あなたも一緒に来て」

「いや、何で俺がそこまで……」

「男子トイレ、私じゃ入れない」

「そう言われてもな……」


 さすがに断ろうと思ったが、我慢の限界が近いらしいアトリの様子を目にしたら、そんな気持ちは吹き飛んだ。


「あああ、もれるぅぅ……」

「おっ……おぉぉい! 頑張れよ! あと少しだからな! ほら行くぞ!」


 車を降りてアトリを抱え、トイレに向かって疾走する。

 素早く用を足させ、手洗いも済ませて外に出ると、そこにはサイカが待ち構えていた。


「ありがとう。助かったわ」


 はたと気付く。

 女子トイレの中にも、男児用の小便器があるはずではないか。

 恐らく、巽を逃がさないためだ。

 あまりの間抜けさに自分で呆れつつ、諦観の溜め息をつく。


「あぁ、もう……ついでだから何か食ってこうぜ。坊主、腹減ったんだろ」

「うん、おなかすいた」

「え? でも……」

「心配しなくても逃げやしねぇよ。何かよく分かんねぇけど、北九州まで行くんだろ。もう、途中までで良けりゃ乗ってけよ。俺も腹減ってんだ。燃料補給させてくれよ」


 二人を置き去りにして逃げたい気持ちがないわけではないが、それでも小さな子を放り出したら後味が悪い。

 どうにか隙を見て警察に連絡しよう。運転中よりは、そのチャンスがあるはず。無事に子供を保護してもらったら、この件は終わりだ。


 アトリがサイカを見上げる。


「ねぇサイカせんせい、ここどこ? たべものがあるの?」

「アトリ、あのね——」

「おう、おいしいもんたくさんあるぞ。いろんな店が入ってるし、フードコートも広いし」

「おいしいもの? たべたい!」


 アトリがぱぁっと顔を輝かせる。

 対するサイカの瞳には、明らかな戸惑いの色がある。ほっそりした手が、そっと懐に添えられた。銃を仕舞った辺りだ。

 巽はまた、にわかに緊張を覚える。

 辺りを行き交う人は多い。まさか、こんなところで。

 アトリだけが、何も知らずににこにこしている。


 しばらくの逡巡の後。

 結局サイカは手を下ろし、わずかに眉根を寄せて小さく言った。


「……分かったわ」


 

 建物の入り口をくぐり、だだっ広いフードコートへ向かう。

 施設内にはこの地方の有名店の分店が軒を連ねているが、子供がいるならこちらの方が楽だろうと思ったのだ。

 埋まっているテーブルは半分ぐらいで、程よい空き具合である。


 巽は券売機で『天ぷら蕎麦(大盛り)』の食券を買った。

 後ろに並んだアトリが、こてんと愛らしく首を傾げる。


「そのちいさいかみをたべるの?」

「ん? 違う違う、これと食べ物を交換してもらうんだ」

「そうなの? どうやって?」


 大きな目が、ぱちくりと瞬かれる。アトリは興味深々といった様子で、食券の機械を注視している。

 見た目の印象より、少し幼い。


「アトリ、うどんで良いかしら」

「おいしいものは? どこにあるの?」

「坊主、お子さまランチもあるぞ。ほら、これ」


 巽のごつい指がさすパネルの写真を、アトリは食い入るように見つめた。


「おいしい?」

「おいしい!」

「じゃあそれがいい!」


 サイカは少しムッとした様子で券売機に端末をかざし、『お子さまランチ』の食券を買った。そして『定食』のカウンターへと足を向ける。


「あれ? あんたは食わねぇの?」

「私は結構よ」


 つんと顔を背けられてしまう。

 子供は可愛いけど、この女は感じ悪いな。まぁ、別に馴れ合う必要もないが。


 それぞれ食券を出し、三人はフードコートの端にあるテーブル席に座った。


「おなかすいたー! はやくたべたいー!」


 アトリは脚をぶらぶらさせている。幼児は空腹を我慢できないものだ。

 、と思った。

 このタイミングで食事にして良かった。ひもじいまま連れ回されたのでは、この子が可哀想だろう。


 ものの一分程度で巽の手にした呼び出しベルが鳴る。さすがに麺類は早い。


「じゃあ俺、取ってくるわ」


 席を立ち、カウンターで天ぷら蕎麦を受け取る。いい匂いだ。急に食欲を思い出す。今後のことは食べてから考えよう。

 巽は蕎麦に七味唐辛子を盛大に振りかけ、トレイに割り箸と水を載せた。

 それを席に運ぼうと方向転換したその時。


 向かって左手にある出入り口から、二人組の男が入ってくるのが見えた。

 一人は小太りで背が低く、もう一人は痩せ型の長身だ。二人揃って、かちっとした真っ黒なスーツ姿。

 この場には珍しい服装のせいで、何となく目立つ。共に表情は険しく、人相が悪い。


 男たちはキョロキョロと辺りを見回す。一人が、ある方向を指さした。

 辿った先には、サイカとアトリの姿。


 ピンときた。あの男たちは、彼女らを探しにやってきたのだ。

 もしや、これで一件落着なのではないか。

 彼らが二人を連れて行ってくれれば、もう自分はおかしなことに巻き込まれずに済む。


 巽はその場に立ち止まり、何食わぬ顔で遠目から様子を窺った。


 ほぼ同時だったと思う。

 男たちが足を速めるのと。

 アトリが彼らの姿に気付いて、サイカの腕を掴むのと。

 サイカはアトリを庇うように抱き、席を立って反対側の出口へ向かう。


 その一瞬、ちらりと見えたのは。

 蒼白になったサイカの横顔と。

 彼女の細い腕の隙間から覗く、アトリの、酷く怯えたような碧い瞳だった。


 放っておけばいい。初めから自分には無関係のことだ。妙な面倒だって、できれば御免被りたい。

 しかし。

 あれこれ考えるより先に、身体が勝手に動いていた。


 蕎麦の載ったトレイを持ち、通路を大股に進む。何のことはない、昼食を運んでいるだけだ。

 左側から小走りでやってくる男たち。

 巽は歩く速度を緩めない。

 そして。

 目の前を行き過ぎようとする二人組に、その勢いのまま衝突した。


「うわっ!」


 丼が宙を舞う。

 黄金色に輝く天ぷらが、茹でたての大盛り蕎麦が、そして湯気の立つ七味唐辛子入りの汁が、吹っ飛ばされた男たちに降りかかる。


「ぎゃっ!」

「熱っ!」

「あぁっ! すいません!」


 巽の大袈裟な身振りと馬鹿でかい声により、一気に周囲の人々の注目を引く。


「うわーこれは大変だ! いやすいません、ホント申し訳ない! 大丈夫ですか?」

「うっ……目が……」

「店員さーん! すいませーん!」

「えっ、ちょっ……」


 小デブとヒョロヒョロの二人は、突然現れた筋肉質な大男の有無を言わさぬ勢いに圧倒されている。

 巽はやってきた店員を振り返るついでに右手側の出入り口へ目をやった。サイカとアトリが外へ出ていくのが、視界の端に映る。


 男の一人が腰を浮かせた。


「あっ、くそ、待っ……」

「ちょっと、そんな格好で!」


 焦って立ち上がろうとする男たちを制し、彼らに絡み付く蕎麦を丁寧に取り除いてやる。


「濡れた服も脱いだ方がいいですね。肌に貼り付いて火傷になっちまう。クリーニング代払いますよ、こちらの不注意なんで。ホントすいませんでしたね」

「い、いや……」


 誰の、どんな事情も知らない。

 ただ、自分のしでかしたことの責任は取るべきだ。

 店員と一緒に床の拭き掃除をしながら、巽は訊ねる。


「店員さん、医務室みたいなとこってあります?」

「救護室なら。簡単な救急セットは置いてますよ」

「良かった! 今すぐ冷やした方がいい。さぁ行きましょう」

「いや、我々は急ぎの用事がありますので、もう結構です」


 黒ずくめの男たちは、鰹出汁の香る濡れた服のまま、逃げるように走り去ってしまった。


 片付けが終わると、巽は店員に深く頭を下げた。


「蕎麦、台無しにしてしまって、すいませんでした」


 そして対処の礼を言い、自分も出口へと向かう。

 いつの間にか、フードコートはすっかり元の落ち着いた様子に戻っている。


 何やってんだ、俺。


 途中、通り過ぎたあのテーブルには、アトリのお子さまランチができ上がったことを告げる呼び出しベルだけが残されていた。

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