第5話 赤いゴンドラの中で

 サイカとアトリは上手く逃げただろうか。

 気にはなるが、自分から積極的に二人を探すのは道理に合わない。

 巽はそれとなく辺りに視線を巡らせつつ、建物内をぶらぶらする。


 天ぷら蕎麦を食い損ねてしまった。どんな理由であれ、食べ物を粗末にしたことには胸が痛む。

 アトリも、お子さまランチ、食べたかっただろうに。

 あれだけの騒ぎを起こした後だと、フードコートに戻りづらい。どうにも一人で店に入る気分にはなれず、昼食は車の中で済ませることにした。

 

 巽は飲食店棟を出て、隣のコンビニでおにぎりや菓子パンをいくつか購入した。

 その足で、ふらりと喫煙所に立ち寄る。

 ガラス張りのブースに入って、分煙機の前に立ち、煙草に火を点ける。深く吸い込んだ最初の一口を大きく吐き出したが、腹のうちのわだかまりは消えない。

 結局、然程も吸わぬうちに先を押し潰し、吸殻入れに捨てた。


 喫煙所を出たところで、人目を気にしながら歩くサイカたちと鉢合わせた。


「あ……」

「おぉ……」


 どういうわけか、ほっとする。

 反面、無事だったか、などと声をかけるのは躊躇われた。仮にも、自分を拳銃らしきもので脅してきた相手なのだ。


 サイカは視線をやや落とし、ほんの小さく唇を動かした。


「あの、さっきは……」

「ん? 何?」


 巽は笑顔を返す。


「……いえ、別に」

「それよりさ、とりあえず車に戻んねぇ? コンビニでいろいろ食うもん買ったから——」


 それを言い終わらぬうち、巽はサイカの肩越しの遥か向こうに、特徴のある二人組のシルエットを捉えた。

 さっと身体の位置を入れ替え、サイカとアトリを隠すように立つ。


「あの……?」

「あいつらだ」


 先ほどの件で、巽も顔を覚えられている。一緒にいるところを見られるのは都合が悪い。

 しかし自分のトラックに戻るには、あの追っ手のいる方向に行かねばならない。


 一時的にでも、どこかに隠れた方がいいだろう。できれば人目につかない場所に。

 サービスエリアという施設の性質上、建物の作りはオープンで、どこもかしこも見通しがいい。

 さっと辺りに視線を巡らせると、観覧車が目に入る。


「こっちだ」


 二人を促し、チケット売り場へと向かった。券売機で三人分のチケットを購入し、乗り場へ続く階段を昇る。

 観覧車はガラ空きで、並んでいる客はいなかった。次々巡ってくる色とりどりのゴンドラにすら、誰一人とて乗っていない。


 アトリがぱちくりと目を瞬かせる。


「これ、かんらんしゃ? えほんでみたことある」

「おう、そうだよ。観覧車だ」

「これにのるの?」

「あぁ、チケット買ったからな」

「ほんと? やったぁ! ぼく、あかいのがいいな!」


 サイカは訝しげに巽を見上げる。


「どうするつもりなの?」

「とりあえず一時避難だ」


 案内されたゴンドラは、アトリの希望通り鮮やかな赤色だった。


 並んで座る二人の向かいに、巽は一人で腰かけた。それでもゴンドラはこちらに傾く。

 アトリは窓に鼻をくっ付けて、無邪気に歓声を上げた。


「わぁ……だんだんあがってきた! あれなぁに? いっぱいある……」

「ん? 駐車場の車か?」

「くるまかぁ、あんなにいっぱい……すごぉい……」


 一方のサイカは、強張った表情のままだ。

 巽は努めて明るい声を出す。


「えぇと、何? 追われてるってことでオッケー?」

「……そうみたいね」

「みたいねって……」


 膝の上に揃えて置かれた白魚のような指が、きゅっとコートの裾を握った。その拳は小さく震えている。赤い唇から、今にも消え入りそうな呟きが零れ落ちた。


「ねぇ、どうして助けてくれたの?」

「え? いや、なんつーか……その子が、怖がってるように見えたからさ」


 自分のことを言われていると気付いたアトリは、そっとサイカに身を寄せた。


「訊いていい? そもそもあんたら、どういう人たち? あんた、本当にあの都市の関係者なのかよ」


 巽が訊ねると、サイカは観念したように小さく息をついた。そして左手首の腕時計型端末を操作し、空中に画像を投影させる。身分証のカードだ。


久梨原くりはら 才華さいか

 ふくしま特別研究都市 特A研究室 トータルエデュケーショナルスタッフサブチーフ』


 何その長い肩書き。

 ともあれ、国民一人一人に与えられるパーソナルナンバーも併記されている。身元は確かなようだ。


「久梨原と申します。この子——アトリは、研究都市内の施設の子よ。私は、その施設の子供たちを指導する立場の者です」


 子供のいる施設。学校とか保育園みたいなものだろうか。


「それで『先生』か。で、いったい何が起こってるんだ」

「えぇと、ちょっと混み合った事情がいろいろあって……」

「いや、事情って……どんな事情があったら、こんな小さな子供をスーツケースに閉じ込めて運び出すことになるんだよ」


 サイカはこめかみに指を当てる。話すべき情報を選んでいるようだ。少しの逡巡の後、彼女は慎重に口を開く。


「機密に関わることだから、詳しくは言えないんだけど。ある問題があって、アトリを北九州の病院に連れていく用事ができた。だけどそんなの認めてもらえるようなことじゃないから、強硬手段を取った。簡単に言えば、そういうことよ」

「いや結局どういうことだよ」


 コンマ二秒でツッコんだ。


「子供たちは『街』から出られない決まりなのよ」

「えー、何それ。厳しいんだな」

「えぇ……」


 全寮制の名門校でもそこまでじゃないだろう。


「要するに、追っ手の狙いは坊主ってことか」

「そうよ」

「まぁ、ともかくそれで、俺のトラックにその子を隠して『街』を脱出した、と」

「えぇ。『街』のゲートは自動IDチェックがあるけど、唯一、搬入口の扉だけはそれがないから」


 巽は首を捻る。


「でも、搬入口も監視カメラくらいあるだろ」

「大丈夫よ、監視モニターには一週間前の録画映像が流れるように細工したから。私が巽運送さんのトラックに乗り込んだ記録は残らないようにしてある」


 と、いうことは。


「あんた、初めっから俺のトラックを待ってたんだな」

「そうよ。本当は、オートライドを停めたところまで、アトリが隠れたケースを運んでもらうだけのつもりだったんだけど」


 下手に荷台の物音に気付いてしまったことが、運の尽きだったようだ。


「ん? ちょっと待て。あのオートライド、確かにバッテリー上がってたよな?」

「あぁ、あれ、使用者のIDを入力しないと電源が入らない仕様なの」

「あー……そうなんだ」


 一気に脱力してしまう。

 サイカはそっと目を伏せた。


「騙してごめんなさい。こんなふうに巻き込んだことも」

「いや……まぁ」


 今さら謝ったところでどうにもならねぇぞと思ったが、美人のしおらしい表情にはまんまとほだされてしまう哀しいさがである。


「だけどさ、そんな無茶してまでその病院へ行くような事情があるんなら、一旦帰って正当な手続きを踏んだ方がいいんじゃねぇの? 病気か何かなんだろ? そんなんで連れ回すの、あんまり良くない気がするんだけど」

「いいえ、アトリは病気じゃないわ。何にしても、絶対に『街』には戻れない」

「絶対にって……何も命取られるわけじゃあるまいし」


 サイカは口を噤む。そして一瞬、泣き出しそうな表情をした。


「……取られるのよ」

「え?」

「命を、取られるの」

「いやいや、大袈裟だな。『街』を抜け出したくらいで」

「そうじゃなくて」


 打って変わって、強い意志を宿した瞳が、半ば睨み付けるように巽へ向けられる。


「あのままあそこにいたら、アトリは殺されるの。だから逃げてきたのよ」

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