第11話 成り行きの共犯関係

 乗用車と比べて大振りなトラックのドアが、手前に引かれた。

 徐々に広がるその隙間から、闇に沈んだ車内の様子が暴かれていく。


「……ん?」


 今にも飛びかかろうとしていた巽は、ウズマキの漏らした声で動きを止めた。

 その小太りの男は怪訝そうに首を傾げながら、キャビンの内部に身体を差し入れる。


「うーん、まぁ、確かに散らかってはいるな……」


 巽も、彼の背後から愛車の中を覗き込み、思わず目をみはった。

 見当たらないのだ。そこに横たわって眠っていたはずの、アトリの姿が。

 ウズマキがシートの下や後ろを確認しているが、やはり誰もいないようだ。


 幼い少年はどこへ行ってしまったのだろう。

 考えられるとすれば——


「仰る通り、何もないですね」

「だから、そう言ったじゃねぇか」


 あのお子さまランチのおまけのおもちゃも、アトリと一緒に消えている。

 だが、ダッシュボードの上には小さめサイズのドラグーンスのキャップ。

 気付かれるわけにはいかない。子供が乗っているということを。

 変な汗が全身だらだら流れていく。

 一刻も早く、こいつらを追い払わなければ。


「さぁ、もういいだろ?」

「いや、できればもう少し——」


 ウズマキがしつこく車内に居座ろうとしたその時。


 パン、パン、と。

 二度、乾いた大きな音が辺りに響き渡って、巽はびくりとした。

 まるで爆竹が破裂したかのような音だ。真夜中のサービスエリアにはおよそ不似合いな。


 表情を固くしたナガヤが「様子を見てきます」と音のした方へと走っていった。

 程なくして戻ってきた彼から報告を受けたウズマキは、眉根を寄せる。


「何だって?」


 そして巽に向き直り、平坦な口調で言った。


「どうやら我々の探し人は、このトラックの中にはいないようです。大変失礼しました」

「いや、分かればいいんだが……」

「では、我々はこれで」


 そうして、二人の男は足早に去っていってしまった。

 何が起きたのか。判らぬままに取り残されて、しばしその場に立ち尽くす。


「巽さん」


 腕を引かれて、はっとした。

 サイカだ。

 もぞり、と腹の奥に嫌なわだかまりが生まれる。

 この女、はたして信用していいのか。


「ごめんなさい、すぐに出発しましょう。ここにいたら危険だわ」

「あぁ……」


 平静を装って、表情を固めるのが精一杯だった。

 車に乗り込むや、サイカが声を上げる。


「あれ? アトリ?」

「……いるよ」


 巽は眉間に寄りっぱなしの皺を揉み解した。


「おーい、もう降りてきていいぞ」


 上に向けてそう言うと、「はーい」と返事があった。

 すぐに天井のハッチが開き、アトリが梯子を降りてくる。お尻のポケットにおもちゃのトラックが入っているのが見えた。


「サイカせんせい!」

「アトリ! 良かった……」


 ひしと抱き合う二人を横目に、巽はエンジンをかけ、車を発進させた。


「よく隠れたわね、アトリ。あの二人がこのトラックを調べてるのが見えたから、捕まっちゃうんじゃないかと思ったわ」

「だって、ドンドンっておとがして、おじさんのおおきいこえもきこえて。オニがきたみたいだったから、かくれんぼしなきゃとおもって」

「オニって……さっきは本当にヒヤヒヤしたぜ……」


 サービスエリアを出て、高速道路の本線に復帰してようやく、巽はわずかに息をついた。


「巽さん、ありがとう。あなたのおかげで本当に助かったわ」

「あぁ」


 サイカの声は柔らかい。巽とは対照的に。

 きっと美しい笑みを浮かべているに違いない彼女の顔を一顧すらせず、巽は進行方向を見据え続ける。


「あいつら、追ってこねぇかな」

「しばらくは大丈夫よ。あの人たちの車、バッテリーの部分に穴開けて壊しといたから。呑気に充電中だったわ」

「へっ……? あぁ、さっきの音……」


 だとすれば。


「あんたが持ってる銃、本物だったんだな」

「……えぇ。ちゃんと免許もある。個人的な趣味で取ったものだけどね」


 そう言って、サイカは腕時計型端末から『銃砲所持特別許可証』を表示させた。

 どんな趣味なんだと、これまでの調子だったら軽いツッコミくらいは入れられたかもしれない。

 空中に投影されたその免許が本物かどうか、巽には判別できなかった。

 そもそも、免許があろうとなかろうと何か状況が変わるわけでもあるまい。


 車を破壊できる銃。当然、人を殺傷することもできる。


 映画のようだと、どこか他人事で眺めていた状況が、急に現実的な重みを増してくる。

 つまりサイカは、そんな物騒な武器が必要な事態を想定した上で、行動を起こしているのだ。改めて、それをはっきり認識する。


「……なぁ、ところで、アトリが入ってたケースから何か発信信号が出てたみたいだ。奴ら、それを辿ってきたらしい」

「え……?」


 息を呑むような間。


「嘘……ごめんなさい」

「いや、謝られてもな」

「……あのケース、『街』の手荷物管理用のチップが入ってるのよ。信号で現在地が分かるようになってたのね。そこまで考えが及ばなかったわ」


 サイカは平坦に続ける。


「ケースだけでも、早めに処分しましょう。きっともう、彼らは巽さんが協力者だって気付いたはずだから。撒いたとはいえ、居どころがバレるのは不味いわ」


 『協力者』。いったい何の。


 巽はそのまま道なりに車を走らせ、すぐ次のパーキングエリアに寄った。

 最低限のトイレと数台の自販機があるだけの、小さな休息所だ。他に車両は停まっておらず、恐ろしく静かで暗い。


 サイカと共にキャビンを降りた巽は、荷台の観音扉を開き、ラッシングベルトを外してケースを下ろした。よくよく見れば、本当にただのスーツケースだ。

 サイカがその中から荷物を取り出した。ポーチやビニールバッグなど、片手で持てるサイズのものが数個ある。

 空になったケースは、駐車場の隅の目立たない場所に置かれた。


「不審物として通報されちゃうかしらね」


 自嘲気味に独りごちたサイカは、巽に背を向けたまま、嫌に明るい声で言う。


「ねぇ、どこか適当なところで私たちを降ろしてもらえる? こんな休憩所だとちょっと困るけど、できれば大きめの駅の近くのインターで」

「……は? 何だって?」

「ここまで来ればもう大丈夫よ。自力で北九州まで行けるわ」


 その言葉に、巽は一瞬ほっとした。

 ほっとしてしまったことに、なぜだか無性に苛立った。


「アトリ連れて公共交通機関を使うつもりか? 記録が残るぞ」

「タクシーを拾うつもり。きっと何とかなるわ」


 空高く昇った満月が、闇に溶けるサイカの姿を照らそうとしている。短い襟足から覗く細い首筋は、無防備に白い。


 巽は抑えた声で言った。


「その前に、訊きたいことが山ほどあるんだよ」

「詳しい事情を話すわけにはいかない」

「わけも分からん状態であんたらを放り出せって?」


 くす、と微かな笑みの気配。


「巽さんは良い人ね」

「あのなぁ……」


 反論しようとして、しかしその先を飲み込んだ。一息置いて、言葉を選ぶ。


「なぁ、あんた、本当は何をやったんだ?」


 サイカが半分だけ振り返る。長い前髪がさらりと零れ、その横顔を隠す。ちらりと覗いた赤い唇だけが、ほんの小さく動いた。


「どうして?」

「どうしてって……」

「あの人たちから何か聞いた?」


 巽は額に手を当て、短く息を吐き出す。


「あんたが国の重要機密を外へって言ってたよ」

「そう」


 ただそれだけの返答。

 しばらく待ってみても、サイカは口を噤み、言い訳一つしようともしない。

 痺れが切れた。もう、まどろっこしいのは苦手だ。


「正直な話、俺はあんたがとんでもねぇ重罪を犯してるんじゃねぇかと思ってる。もしそうだとしたら、俺はその片棒を担がされたってことになるだろ」

「そうね」


 隠し立てするなら罪に問われることになると、ウズマキに言われた。

 だが、知らずに運ばされていたのであれば、あるいは。


「重要機密って何? その荷物に何かヤバいもんでも入ってるのかよ」

「いいえ、これはただの身の回り品よ」

「じゃあ……」


 心臓が嫌なざわめき方をしている。

 やはり、と。


「アトリ自身のことか」

「……そうよ。アトリ自身の存在が機密事項だから、『外』に出てはいけないってこと。でも、あのまま『街』にいたら殺される。だから連れ出したのよ」


 否定してほしかった。

 あの男たちの口ぶりからは、その機密とやらが『人間』だとは思えなかったから。


「なぁ、アトリは何者なんだ。あの研究所で何が起こってるんだ。あんたはいったい、何をしようとしてるんだ」


 サイカがこちらへ目を向けた。


「これ以上、無関係のあなたを巻き込みたくないのよ」

「今さら何言ってんだよ」

 

 久々に視線が交錯する。

 巽は吐き出すように言った。


「俺はな、わけも分からず振り回されるのが嫌なんだよ!」


 細い肩がびくりと震えたのが分かった。長い睫毛が二度ほどしばたかれ、その奥にある瞳が微かに揺れたように見えた。


 すぐさま後悔する。自分は何をこんなにイライラしているのか。


「そうよね……ごめんなさい」

「いや……」


 すぅっと頭が冷えた。ばつが悪くて仕方がない。

 深い事情を聞かずとも二人を乗せていくと決めたのは、他でもない自分なのに。


 良い人なんかじゃない。

 ただ、間違えたくないだけだ。


 対してサイカは、巽をまっすぐ見つめて言った。


「巽さん、あなたは……アトリの秘密を、守ってくれる? 私のことはどう思ってくれてもいい。でも、アトリのことだけは……」


 切実な色を宿す声と、真摯な眼差し。そこに、か弱き者を守ろうとする強い意志を感じた。


 アトリ。人形めいた風貌の、どこか浮世離れした子供。

 だけど、無邪気で素直な良い子だ。そこに迷いの生じる余地はない。


 巽はきっぱりと告げた。


「あぁ。あんな小さい子供にゃ何の罪もねぇだろ。本当にアトリの命が危険なら、助けたいと思ってるよ」

「……ありがとう。私はあなたを信用する。事情を話すわ。ただ——」


 サイカは先ほど置いたケースにちらと目をやる。


「とりあえず、ここから早く離れましょう。あいつらに見つかったら、本末転倒だから」

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