第12話 国家機密の研究所

 中国高速道下り線、とあるサービスエリアの駐車場。

 スーツケースを捨てたパーキングエリアからしばらくのところにある休憩所に、巽運送のトラックは停まっていた。

 夜は更け、闇はいっそう濃い。


「ドライブレコーダーや端末、音声を記録できるものは全て電源をオフにしてくれる? 今から私が話すことは、絶対に他の誰にも言わないで」

「分かった、守秘義務だな。任せとけ」


 サイカに言われた通り、巽はいくつかの装置の電源を落とす。

 熟睡するアトリの寝息がエンジン音に混じる中、サイカは静かに話し始めた。


「まずは、あの『ふくしま特別研究都市』が何かってことから話すのがいいかしらね」

「おぉ、それ。ずっと気になってたんだよ。何やってるとこなんだろうって」

「あの都市は、さまざまな遺伝子技術を研究するために設立された国家施設よ」

「へー、そうなんだ」


 なんか難しそう。やはり自分とは縁遠い施設のようだ。


「『街』の中にいくつかのエリアがあるの。絶滅種の再生を試みる区画や、移植用臓器の作製実験を行う区画……この辺りまでは、公式サイトにも情報公開されてるわ」

「あ、そうなの?」


 縁遠いというか、そもそも興味の向かないことは知りようもない。


「だけど、一般には明かされていないこともある。私の所属する、特A区画のこともそうよ。……巽さんは、デザイナーベビーという言葉を聞いたことはある?」

「ん? 何? デザイナー?」

「デザイナーベビーよ。受精卵の時点で遺伝子操作することによって、好みの能力や外見を持つように作られた赤ちゃんのこと」

「あー……うん、なんか、聞いたことあるような、ないような……」


 SFの映画とか漫画とかでありそうな設定である。


「あっ! クローンとか、そっち系の」

「いいえ、クローンは元になる本人と全く同一の遺伝情報を持つ個体のことで、それとはまた違う技術なのよ」

「はぁ」

「デザイナーベビーは、簡潔に言えば、もともとある一個体の遺伝子データの一部を書き替えるということね」

「ほー……?」


 なかなかピンとこない巽に対し、サイカはきちんと身体の向きを変えて座り直した。


「生まれつき秀でた特性を持ってる人っているでしょう。例えば、勉強の得意な人や運動神経の良い人、体格や容姿もそうね。それを自然に任せるのではなく、生まれる前の段階で予め個々の特性を決められるということよ」

「あぁ、なるほど、何となく分かった。RPGで言ったら、冒険が始まる前に力の種や賢さの種を使って勇者の強さを上げとくみたいなことか」

「RPG……うん、まぁ、そうね、そのイメージでいいわ。私の所属先である特A区画は、そういう技術の開発研究を行なっているところなの」


 そこでサイカが、声のトーンを落とした。


「つまりそれが国家機密と言われる、政府の極秘プロジェクトよ。将来生まれてくる子供たちに、優れた特性を与えるためのね」

「……へ?」


 一瞬、耳を疑った。


「十年前の新型ウイルス流行から、世の中の情勢が酷く不安定になったでしょう。人々は感染を恐れ、移動や接触に酷く神経質になった。経済は停滞し、多くの企業が倒産して、失業率も上がった」


 巽の記憶にも新しい。ウイルスそのもの以上に、経済情勢や人の心の変化が恐ろしく不穏だった。


「ワクチンで感染が落ち着いた後も、社会全体が不安定な状態のまま、経済の混乱は続いた。先行きの見えない情勢の中、出生率は毎年のように最低値を更新し続けてる。ウイルスそのもので命を落とした人の数より、子供の数の方がはるかに多い。政府の予想では、今から二十年後、この国は絶望的な人材不足に陥る」


 サイカは、淀みなく言った。


「だから、数を減らし続ける貴重な子供たちに遺伝子操作で優れた能力を与えて、未来を担うための有用な人材を育てようとしているの」

「……は?」


 思わず、素っ頓狂な声が出る。


「え? 何それ? SF? マジな話なの?」

「マジな話よ」


 フィクションではなく、リアルな社会の話らしい。


「いや、でも、そんなこと……駄目だろ、普通に考えて。ほら、あの、腹ん中の赤ん坊に異状がないか調べる診断とかも、だいぶ昔すげぇ問題になったじゃねぇか。親が子供を選んでいいのかって」

「それとも少し違うのよ。赤ちゃんに良い要素をプラスしてあげようってだけのことだから」


 だからと言って、本当に何の問題もないことなのか。巽には即座に判らなかった。


「いずれはそうしたギフトを与えるのが、このプロジェクトの最終目的よ。親の経済状況や社会的地位に関係なく」

「あー……要は、子育て支援みたいな感じでそれをやるってこと?」

「まぁ、そんなところね。もちろん、経済的支援や保育施設の充実が先行されるべきだけど、それでも人口減少に歯止めの効かないところまで来てる。だから無理に増やすのではなく、少数精鋭でも立ち行ける社会を作ろうとしてるの」


 まるで独白のように、淡々とサイカの話は続く。


「私はトータルエデュケーショナルスタッフ——施設のデザイナーベビーたちを教育する役割をしてる。私の他に何人も先生がいるわ。基本的な読み書き計算などの学習から、個々の発達の段階に応じた指導まで、多角的に行なう。子供たちは全員、詳細な特性検査をする。それに合わせてカリキュラムを組むの」


 燃えるように色鮮やかな唇が、温度を感じさせない声を紡ぐ。


「実際に能力のある人材として育つかどうか。そういう実験場なのよ」

「実験場って……」


 吐き出されたその言葉が、車内を満たす空気に混じることなく、不自然な余韻を残す。

 あまりに突飛な話で、頭が上手くついていかない。


「……やっぱりこんな話、すぐには信じられないわよね」

「いや……なんつーか、むしろ今まで自分がそんな場所に配送してたっていう事実が信じらんねぇわ。俺、ただのトラック運転する普通の人だけど大丈夫……? この一連の話の登場人物に加わってもいい……?」


 サイカがぱちりと瞬きする。


「え、えぇ、あの……どんな場合であっても物流インフラは重要だと思うわ。そこに人がいる限り、物資の供給がなければ生活が成り立たないもの。社会を支える大事な仕事よ」


 巽もまた、ぱちぱちと瞬きを返す。

 刹那に空いた会話の間が、妙な空気を作り出す。


「お、おう、そりゃどうも……」


 何これ。なぜこの流れで。

 やたら胸の奥がむず痒い。

 巽はがしがしと頭を掻いた。


「……ごめん、話を戻そう」

「……そうね」


 サイカは軽い咳払いを一つ。


「この技術ね、実はまだ完全じゃないの。だからこそ、国家機密レベルで秘匿してるのよ」

「完全じゃないって?」

「……様々な遺伝子のパターンを試して、いろんなタイプの子が作り出されてるけど、そのうち三割は生まれてすぐ、二割は六歳までに命を落とす」

「え……?」

「人工子宮を使って、ひと月に二人ずつ、つまり年間二十四人の子供が生まれてる。でも、就学年齢まで成長できるのは半分程度よ。そこを越えれば、だいたい育っていくんだけど」


 そう言う彼女の声は、酷く静かだ。


「子供たちは『街』から出られない。まるで、籠の中で一生を過ごす小鳥みたいに。……みんな個性的で良い子よ。亡くなった子たちも含めてね」


 車内には、エンジン音だけが低く響いている。それが空気の重さを増しているように感じる。


 最高機密である理由が、よく分かった。

 世間の知らないところで、実験のために生み出された子供の命がいくつも消えているのだ。


 すぐ左隣で寝息を立てるアトリに目を向ける。

 ごく淡い栗色の髪に、長い睫毛。そこに閉ざされた、碧みがかった瞳。まるで天使のような、幼い少年。このまま成長したら、さぞかし美しい青年になるに違いない。


「アトリは……その、デザイナーベビー、なんだな?」

「そうよ。アトリは研究のために作り出された。六年前、の弟と一緒にね」

「双子?」

「えぇ。花鶏アトリ斑鳩イカル。二人はそう名付けられた」


 ——ぼく、おにいちゃんだもん。


 昨夜、転倒した時のあの言葉は、弟がいるという意味だったのか。

 イカル。自分の片割れの名前を、アトリは何度か呼んでいた。


「能力を比較しやすいように、子供たちはみんな二人一組よ。同一の『母親』の、よく似た特徴を持つ卵子が選ばれる。知能や身体能力を片方だけ上げるように操作して、もう片方はそのままにするの。髪や目の色の改変は比較的簡単だから、揃えられることが多いんだけどね」


 本当に実験なのだ。日光を当てるか当てないか、肥料を与えるか与えないか。それを人間で行なっている。


「だから、見た目はそっくりでも、二人はずいぶん違ったわ。イカルの方は、優れた知能を持つように遺伝子操作されて生まれた。知能検査の結果は、これまでの子供たちの中でも随一と言われたわ」


 サイカが、眠るアトリの髪をさらりと撫でる。


「アトリは、ほぼ年齢相応の発達ね。でも、誰に対しても人懐こくて、社交性はむしろアトリのほうがずっと高かった。イカルはかなり引っ込み思案だったから」


 形の良い唇が、ふっと緩む。


「性格はまるで正反対だけど、二人はとても仲が良かった。私にとっては、どちらも大切な教え子だった。でも——」


 慈しむように細められた瞳に、陰が過った。


「一ヶ月前のことよ。イカルの身体に異変が起きたのは」

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