第3話 怪しい荷物の中身
——騒いだら撃つ。
映画の中から出てきたような美女が、映画のような台詞を吐いた。
映画でよく見かけるように、巽は自ら両手を上げた。その銃が本物かどうかも疑わしいのに。
今の自分の姿はさぞかし滑稽だろうと、どこか冷静な頭で考える。
つまり、上手く状況が飲み込みきれず、思考回路が置いてけぼりを食らっていた。
「運転席に戻って」
「いや、でも……」
「いいから早く!」
銃口が更に押し付けられ、巽はびくりとした。
実は背中の弱いところに当たっていて、ちょっとしたはずみで変な声が出てしまいそうなのだ。こんなシーンでおっさんが喘いだりしたら、観客は興醒めだろう。
ガソリンスタンドに一台の乗用車が入ってきた。
助けを求めようかと思ったが、下手したら撃ち殺されるかもしれない。
「あけて……」
荷台の上のケースからは、まだ声が聞こえてくる。
それに対し、彼女が幾分和らいだトーンで応える。
「あともう少しだけ我慢して。いい子だから」
もう少し、とは。
「なぁ、この——」
「黙って!」
「はぅッ!」
今度は堪えきれなかった。しかし、この情けない反応に突っ込んでくれる相手はどこにもいない。地味に恥ずかしい。
同時に、ようやく幾ばくかの焦燥が生まれる。
と、いうか。
これは、本格的にヤバいのでは。
そう認識した途端、すうっと背筋が冷たくなった。
大きな荷台が目隠しとなり、あの乗用車のドライバーがこちらの異常に気付いた様子はない。
巽は再び観音扉を施錠させられ、強制的に運転席へと戻らされた。
同じドアからキャビンに乗り込んできた彼女は、巽を跨いで助手席へ着く。一瞬だけ密着したしなやかな肢体と、甘い匂い。もはや何にドキドキしているのか判然としない。
銃口はこちらを向いたままだ。鈍く黒光りするそれは、本物のように見えなくもない。
治安の悪化に伴い、零和三年の法改正で銃の規制が緩和された。それにより、免許があれば一般人でも銃器を所持できるようになった。
だが、その免許の取得は凄まじく難しいと聞いたことがある。保持しているのは、セキュリティ会社所属の警備員や射撃競技の選手などがメインだと。
つまりこの銃はただのモデルガンの可能性が高い。普通に考えて、若い女性が本物を持っているのはおかしいだろう。
彼女は短く言った。
「出して」
「……どこへ」
「とりあえず、さっきの場所まで」
疑問や文句を呑み込んで、巽は言われた通りに車を発進させる。
いつもより慎重に運転をしつつ、隣と荷台に意識を巡らせた。
この女はいったい何者なのか。
あのケースに閉じ込められた子供は誰なのか。
誘拐。
そんな二文字が脳裏をチラつく。だとしたら、どうにかして通報すべきだ。
しかし銃らしきものを突き付けられた今の状態では、到底無理だろう。偽物のはずだと思う一方で、本物でないとも言い切れない。
もしチャンスがあるとすれば、車を降りたタイミングか。
程なくして、あの小型オートライドが見えてくる。
巽はハザードランプを焚いてトラックを路肩に寄せた。
「一緒に降りて」
彼女の指示に、無言のまま従う。
二人して運転席側のドアから出て、荷台の背面に回った。彼女はぴたりと後ろについていて、銃口の狙いが逸れる隙もない。
「開けて」
荷台の扉を、三たび開ける。
「それを下ろして」
ラッシングベルトを外し、ケースをそっと持ち上げる。中身が動いたような重心変化があったが、そのまま静かに地面へ置く。
彼女は巽を狙ったまましゃがみ込み、片手でケースの蓋を開けた。
中には、膝を抱えて背中を丸めた姿勢で横たわる子供が一人。
その姿を認めて、巽は目を
一瞬、人形かと思った。
上下ともに真っ白な服。
そこからわずかに覗く肌も、透き通るように白い。
丸っこいショートに切り揃えられた髪の色は、ごく淡い栗色だ。
全体的に色素の薄い印象の子供。その無機質さが、人形めいて見えたのだ。
「アトリ、もういいわよ」
「うん……」
彼女が言葉をかけると、アトリと呼ばれた子供はゆっくりと身を起こした。
端正な顔立ち。体格から、六、七歳くらいだろうか。
大きな瞳は、よく見れば碧みがかった不思議な色合いだった。
「外国人の、女の子……?」
「男の子よ。外国人でもないし」
いや、どっちでもいいけど。
「サイカせんせい……」
アトリが、彼女の腰にしがみ付いた。
先生?
「ごめんねアトリ、こんな狭いところに押し込めて。暗くて怖かったわよね」
「うん……」
サイカと呼ばれた女は、銃を持ったのとは反対側の腕でアトリを抱き寄せた。
隙あらば一一〇番してやろうと身構えていた巽は、すっかり毒気を抜かれて二人の様子を眺めていた。
これはいったい、何なのだろう。
「サイカせんせい、このくるまにのるの?」
アトリがオートライドを指し、鈴の鳴るような声で訊ねた。
サイカは自分の車を一瞥した後、視線を巽に戻す。
「いいえ、事情が変わったわ」
そして銃を構え直し、アトリに向けていたのとは違う低い声で言った。
「あなた、運転席に戻って。私たちも一緒に乗せて」
「へっ?」
「乗れるでしょ?」
「いや、まぁ、乗れるけど……」
どう考えても断れる状況ではない。
地面に置かれたケースに目が留まる。中には、身の回り品が入っていると思しきポーチが、一つ二つ。
多少の時間稼ぎになるかもしれない。あわよくば逃げる隙を作れないだろうか。
「なぁ、そのケースはどうするんだよ。そこに置きっぱなしでいいのかよ」
「……それも、もう一度荷台に戻して」
凶器を向けられたまま、指示される。さすがにそこまで甘くないか。
巽はケースの蓋を閉じて荷台に戻し、先ほどと同じようにベルトで固定した。どんな場合であっても、走行中の荷動きはNGなのである。
結局、突破口は見つからず、すごすごと運転席へと戻る。巽のすぐ隣にはサイカ、そして助手席にはアトリが座った。
幸か不幸か、巽のトラックは三人乗りだ。
例え二人乗りであったとしても無理やり乗せることになったはずなので、少なくとも定員オーバーで切符を切られることはない。
しかし違反を見咎められて警察に止められれば、そこで助けを求めることができたはずだ。
つまり、どちらかと言えば不幸寄りだろう。
「えぇと、それで?」
「ここへ向かって」
サイカは左手首の腕時計型端末を操作し、空中に地図を表示させる。
中央部のマーカーが指す位置には、『九慈大学病院』の文字。住所は——
「は? 北九州? ずいぶん遠いな」
「でも、西へ行くんでしょ? とにかく出して」
「分かったよ……」
拒否権などなかった。銃口は、未だ油断なくこちらを狙っている。
巽はエンジンを始動させながら、控えめに言った。
「あのさ、悪いけど、銃だけは下ろしてくんねぇかな。これから長距離走るのに、気が散るんだよ」
サイカの視線は鋭いままだ。返ってくるのは無言ばかり。
「……別に、無理やり振り落としたりなんかしねぇよ。そんな小さな子もいるんだし」
しばらくの間があり、ようやく銃は下ろされた。サイカはそれをコートの内ポケットに仕舞う。
「出して」
「……あぁ」
巽はハザードランプを消し、ゆっくりとトラックを発進させた。
東北高速道のインターへと向かいつつ、隣を窺う。相手もこちらの動きを監視しているようだ。下手なことをしたら即座に銃が出てくるだろう。
「せんせい……」
アトリが不安そうな声で呟き、サイカに身を寄せた。サイカはアトリを抱き締める。
「大丈夫よ。大丈夫だからね」
慈愛すら感じる柔らかな声。
何なんだよ、もう。
どうにも釈然としないまま、巽は愛車を駆った。
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