第2話 研究都市の女
掃き溜めに鶴とは、まさにこのことだ。
助手席に座る彼女をこっそり視界の端に捉えつつ、巽はそう思った。
俯きがちな横顔。それを、真ん中で分けた頬にかかる長さの前髪が隠している。襟足は軽く刈り上げたカットになっていて、コートの襟から見え隠れする白いうなじが色っぽい。
スクリーンから出てきたような洗練された美女が、雑然とした無骨なキャビンの中にいるという違和感。
ふわりと香る甘い匂いに、理由もなく緊張する。どれだけ換気をしようと車内に染み付いた煙草の臭いが、どうにも申し訳ない。
彼女がこちらに顔を向けた。
「すみません、ご無理を言ってしまって」
「いやいや、全然! 逆にすいませんね、こんなむさ苦しいところで」
「いえ、トラックに乗せていただく機会なんて滅多にないから、ちょっと得しちゃった」
ふふ、と軽い笑みが、形の良い赤い唇から漏れる。優しく耳朶を撫でるようなアルトの声だ。
ううむ。内心で唸る。どうも尻の座りが落ち着かない。
トラックの中でなくとも、これまでの人生でこれほどの美女と二人きりになったことはなかった。
巽はそれとない口調で訊ねる。
「えっと、研究者さんか何かなんですか?」
「え?」
「ほら、『街へ戻る』って言い方してたから。『ふくしま特別研究都市』の方なんでしょ?」
「あぁ。研究室のサポートスタッフをしています」
「へぇ」
何にしても自分とは縁遠い人種だ。
「あの『街』の人って、ずっとあそこの中で生活してるんですか?」
「えぇ、『街』の中に住居エリアがあって。私もそこに住んでます。すぐ研究室に行けるから、便利なんですよ」
いったい何を研究している場所なのか。訊いたところでどうせ自分には理解できないだろうと、巽は思った。
「うちの他にも出入りしてる運送屋が何社かいるって聞いたんだけど、そういうことだったんですね。そりゃ、たくさん物資が要るわけだ」
「えぇ」
そこで会話が途切れた。重いエンジン音やボリュームを下げたはずのカーステレオが、やけに気になる。
三人乗りのキャビン。運転席と助手席とを隔てる空間に、わずかばかりの安堵を覚える。
彼女は窓から景色を眺めているようだ。巽はせめて、いつも以上の安全運転を心がけることにした。
やがて『ふくしま特別研究都市』への道順を示す看板が現れる。この付近にはちらほらと人が住んでいるようだが、それでもやはり静かだ。
案内に従って進めば、程なくしてそれは見えてくる。
高さ五メートルはあろうかという、一見しただけではその端も知れない、真っ白な塀。
ある一つの町を丸ごと潰して、新たな『街』を作ったのだと聞いた。その全てがこの囲いの中にあり、外から様子を窺うなどということは不可能だ。まるで城塞都市である。
「どこで降ろせばいいですか? 自分は搬入口へ行くんですけど」
「じゃあ、そこで大丈夫です」
「承知いたしました」
ちょっと冗談めかして真面目な声を作って言ったら、隣から楚々とした笑みの気配があった。よし。
案内表示に従い、塀伝いに道を行く。そこだけぽっかり空いた搬入口は、高さ制限四.一メートル。この車でも余裕を持ってくぐることができる。
ナンバーでの自動認証でバーが上がる。地下へと続く坂道を、トラックはゆっくりと下っていく。
地下は広々としており、煌々と照らすLEDの照明からどことなくひんやりした印象を受ける。
巽はサイドブレーキを引き、指定された荷下ろし場所に車をバックで寄せ、停止させた。
「すごい、こんな大きなトラックでも簡単に駐められるんですね」
「え? あぁ、まぁ、いつものことなんでね、はは……」
ほぼ無意識でやっていた運転操作だが、そう言われると照れてしまう。
「私、自動修理キットを取ってきます。お手数なんですけど、また後で、さっきの場所まで乗せていっていただいてもいいですか?」
「もちろん。荷下ろしにしばらくかかるんで、その後で良ければ」
「ありがとうございます。ではまた後ほど」
彼女は車を降り、奥にある扉のパネルを操作して解錠すると、その向こうへと消えていった。
巽もまた車外に出て、運送業者用のインターホンを鳴らした。
『はい』
「どうも、巽運送です。今回分、お持ちしました」
腕時計型端末を操作し、納品書データを送信する。新型ウイルス流行の時代から、このような非接触でのやりとりが主流になっていた。
納品書の内容を確認したらしい担当者から、返答がある。
『いつもありがとうございます。今リフトを向かわせます』
「お願いします」
数秒も経たぬうちに、作業場の奥手から自律運転のフォークリフトがやってくる。
最初に来た時は驚いた。だが、積み込みや荷下ろし時のリフト操作中の事故もこの業界では珍しくないため、機械がやってくれるのなら正直助かる。どこもこうなってくれれば楽でいい。
「おう、今日もよろしくな」
巽はにこやかに片手を上げる。しかし相手はロボットなので、当然返事はない。
いつもの手順通りに、巽は荷台を開いた。側面のパネルが翼のように跳ね上がる。これが、このタイプのトラックを『ウイング車』と呼ぶ
荷台には、プラスチックパレットを底にして、コンテナの半ばほどの高さまで段ボール箱が積まれている。上部に余裕はあっても、重量物なのでこれが積載限度だ。中身は消毒液の類らしい。
自動フォークリフトは、高さ十五センチ程度のパレット側面に空いた二つの穴に、迷うことなく二本の爪を挿し入れた。
荷物を軽々と持ち上げ、滑るように移動していくロボットは、決められた場所にそれを降ろすと最短距離で戻ってきた。
「やっぱ巧ぇな、お前。早いし正確だ。俺とどっちが巧いかな」
返事をしない機械に、他愛もない言葉をかける。
この時間、巽のやることと言えば、効率よく下されていく荷物の数と納品書の数字に違いがないかをチェックするくらいだ。
いくら業務のスリム化が進んでいるとはいえ、こうも人と顔を合わせない客先も珍しい。少し味気ない気もするが、くるくるとよく働くロボットはなかなか愛嬌がある。
作業は滞りなく進み、やがて荷台は空になった。
「今日もありがとな、お疲れさん」
そそくさと去っていくフォークリフトに手を振って見送ると、巽はもう一度インターホンを鳴らした。
『はい』
「どうも、荷下ろし完了しました」
『赤外線チェックします……はい、確かに。問題ありません』
ここの在庫管理システムとリンクしたタツミの腕時計型端末がピッと反応し、受領サインの入った納品書データが戻ってくる。
『ご苦労さまです』
「ありがとうございました!」
モニターに向かって一礼する。
ちょうどその時、奥の扉が開いた。姿を見せたのは先ほどの彼女だ。大振りのスーツケースのようなものを引いている。
「すみません、まだ作業中ですか?」
「いや、さっき終わったとこです。えぇと、それが例の?」
「はい、自動修理キットです。載せられます?」
「大丈夫ですよ。キャビンに載せるにはちょっとでかいんで、荷台に入れましょうか」
「お願いします」
巽はケースを受け取り、ひょいと持ち上げた。思ったよりもずしりと重いそれを、荷台の上へと丁寧に横たえる。
修理キットと聞いて、てっきり片手で持てる工具箱のようなものを想像していたが、それより断然大きい。最先端のオートライド用なので、最先端の装置でも入っているのだろう。
何にせよ走行中に荷動きしては不味いので、ラッシングベルトでしっかりと床に固定した。
「じゃあ、行きましょう」
彼女を促してキャビンに乗り込み、出発する。
地上へ続く坂を登り、来た道を戻る。行きよりも高度を上げた太陽が、日差しを強めている。
燃料計に目をやると、残りは四分の一程度だ。東北高速道に乗る前に給油する必要がある。
「すいません、ちょっとガソスタ寄っていいですか?」
「えぇ、どうぞ」
この地区唯一のセルフスタンドに入る。
巽は車を降りると、給油機に端末をかざして油種を選択し、給油ノズルを後輪上部の給油口へと挿し込んだ。レバーを握り、ガソリンを注ぐ。何しろタンクが大きいので、かなりの時間がかかる。
その時、どこかからかガタンと音がした。
最初は気のせいかと思ったが、もう一度。どうも荷台から聞こえるような気がする、何かの物音。
もしかしたら、固定用のベルトが外れたのかもしれない。巽は給油作業を終えてから、荷台の確認に回った。
ここではウイングを開くスペースがないので、背面の観音扉を開けて中を覗く。
荷物は先ほど積んだ時のままだ。ベルトも異常なし。
気のせいだったかと扉を閉めかけて、はたと手を止めた。
なぜなら、巽の腕でひと抱えほどもあるそのケースが、独りでにガタンと動いたのだ。
「うおっ⁈」
思わず
それはなおもガタガタと振動している。よもや内部の装置が何かの拍子に起動してしまったのだろうか。
彼女を呼ぼうと、踵を返した瞬間だった。
「あけて……」
小さな声が耳に入り、ぎょっとする。
「え?」
「あけて……ここからだして……」
啜り泣いているようにも聞こえる、か細い子供の声。
明らかに、このケースの中からの。
「お、おい、まさか……中に誰かいるのか?」
預かった荷物に手を伸ばした、その時。
「動かないで」
背中に当たる硬い感触。
耳朶を掠める冷たい声。
顔半分で振り返る。
「あ、あんた……」
先ほどまで彼女が纏っていた和やかな空気が、嘘のようだった。突き付けられているものは、もしかしなくてもアレだろう。
「騒いだら撃つ」
そこにいたのは、一転して凍り付くような鋭い視線で巽を睨み据える、怜悧な美貌の女だった。
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