トラッカーズ・ハイ

陽澄すずめ

福島〜名古屋

第1話 トラッカー 、美女を拾う

 ピピピ、ピピピ、ピピピ……

 無機質な電子音が、ふわふわとした意識の淵に紛れ込む。

 途端、全神経が覚醒し、男はびくりと身を震わせた。左手首の腕時計型端末を操作してアラームを止め、時刻を確認する。


 零和十二年四月十八日(木)、午前六時。


 夜更けすぎまで高速を走り続け、仮眠のためにパーキングエリアへ入ったのが、確か二時前だった。


 横たわったまま身を捩る。この、運転室キャビン上部にある寝台スペースは、大柄な彼が手足を伸ばすほどの余裕はない。

 少し上体を浮かせ、短いカーテンを開けると、小さな窓の外はもう明るい。

 一、二の三で、薄いマットレスと毛布の間から這い出した。それらを脇へ退けて床のハッチを開け、真下にある助手席のシートへすとんと降り立つ。


 キャビン内部はかなり散らかっていた。

 朝食用のパンが入ったレジ袋に、使いかけのボックスティッシュ。脱ぎ捨てた上着に、いつ履いていたのかも分からない靴下が片方だけ。

 ドリンクホルダーに差し込んだ灰皿も満杯だ。何となく、饐えた臭いがする。


 彼はカーキ色の作業着を羽織り、座席の下に放ってあったサンダルをつっかけて、助手席のドアから外へ出た。

 良く晴れた春の早朝。まだ肌寒いが、空気は爽やかだ。

 ようやく思い切り全身を伸ばす。相当凝り固まっていたのか、肩やら首やらごきごきと音が鳴る。


「んあー……」


 意図せず、おっさん臭い声が出た。鍛え上げた筋肉も、近頃は腹の辺りから贅肉に変わりつつある。

 彼は大きく背を逸らし、目をすがめる。

 仰いだ青空に映える、巨大な銀色の荷台。朝日を弾くその側面には、堂々たる筆文字でこう書かれていた。


『有限会社巽運送』


 長距離輸送を共にする相棒のウイング車。今日も惚れ惚れする勇姿である。


 辺りには、同じように県外ナンバーのトラックが数台駐まっていた。その間を通り抜け、トイレへと向かう。

 用を足し、手洗い場の鏡を覗くと、見慣れた顔が映る。垂れ気味の双眸は実感以上に眠そうだ。

 昨夕きちんと剃ったはずの髭は、既に口周りが伸び始めていた。いっそ生やして整えた方がいいかもしれない。どのみち男くさい風貌なのだ。


 たつみ 晃一こういち、四十一歳。

 有限会社巽運送の二代目社長。

 小さな会社なので、自らハンドルを握っている。高校卒業後すぐに父親の会社に入り、二十歳で大型免許を取ってからずっとトラックに乗り続けている、生粋の運送屋トラッカーだ。


 冷水で顔を洗ったら、わずかに残っていた眠気もどこかへ吹き飛んだ。


「よっし」


 ぱちんと両頬を叩いて、トイレを後にする。

 喫煙所で一本だけ一服して、自販機で缶コーヒーを買うと、巽は自分のトラックに戻った。

 朝食用のカツカレーパンとあんぱんをあっという間に平らげ、コーヒーで流し込む。

 食後の煙草に火をつけてから、シートベルトを締める。

 肺の底まで入れた一口目の煙を、勢いよく吐き出す。さぁ、出発だ。


 巽はクラッチを踏み込みながらシフトレバーをニュートラルに入れ、スタータースイッチをONにしてエンジンを始動させた。ギアは二速に入れ替える。乗用車と違って車体の重いトラックは、二速以上での発進が基本なのだ。

 アクセルペダルをゆっくり踏みつつ、半クラッチにする。すると、車がそろりと動き出す。

 腹に響く重低音と振動が心地良い。巽にとっては、呼吸するのと同じくらいに慣れた動作だった。



 今日これから向かうのは、福島県にある『ふくしま特別研究都市』だ。

 詳細はよく知らないが、何か最先端の研究を行なっている科学の都であるらしい。

 十年前の新型ウイルスの流行後に国の主導で設立された、割に新しい施設である。


 パンデミック当時、全国各地を駆け回る運送業者はずいぶん疎まれた。予防ワクチンと特効薬が普及した今となっては既に遠い昔のことだが、そうでなくともこの業種はどうにも世間的に下層と見られやすい。

 だがこれは、誰かがやらなければならない仕事だ。だからこそ、巽も糊口を凌いでいけるのである。



 パーキングエリアを出て、東北高速道下り線に復帰する。平日のこの時間帯はやはり同業者が多いが、特に渋滞することもなく流れている。

 両側の窓を開ければ、吹き抜けていく風が心地いい。ギアを七速に入れたまま、巽運送のトラックは快調に走っていく。

 腕時計型端末とリンクしたカーステレオからは、音楽アプリ内のライブラリからランダムに組まれたプレイリストが再生されている。疾走感あるハードなオルタナティブロックが続く中に、時おり女性ボーカルユニットのテクノポップが割り込む。


 交通量の多いこの有料道も、北上するにつれ徐々に車が減ってくる。

 休憩所から二時間ほど走り続け、目的の出口で降りるころには、トラックや乗用車の姿はまばらになっていた。


 ランプウェイを下りきり、しばらく行くと、人の気配の薄いエリアに入る。

 放置された家屋や店舗。もぬけの殻となってしまった街。

 沿岸にある原子力発電所は停止したままだ。代わりに、風力発電の風車がこの地域のあちこちに建てられている。


 何度来ても、どことなく胸騒ぎがする地区だった。一人だけ遠い未来に取り残されたような、不思議な気分になる。

 まるで、とうの昔に滅んでしまった文明の跡地に迷い込んだような。

 よもやこの先に最先端の科学都市があるなどとは、知らなければ想像もできないだろう。


 ふと、道の前方に、ハザードランプを焚いた小型乗用車がぽつんと停まっていることに気付いた。

 珍しい、一人乗りの新型自動運転車両オートライドである。テーマパークなどの中で走っているイメージが強い車種だが、ちゃんとナンバープレートも付いている。


 少しスピードを緩めて接近すると、オートライドの運転席のドアが開き、誰かが降りてきた。

 薄いベージュのロングコート。細身のシルエットから女性だと分かる。

 その人物が、こちらへ向けて両手を振っている。

 巽は車を停止させた。窓から顔を出し、声をかける。


「どうしました?」

「すみません、ちょっと手を貸していただけませんか?」


 落ち着いた、色気のある声。

 艶やかなショートの黒髪に色白の肌、鮮やかな赤の唇。きりりとしたアーモンド型の目が印象的な、驚くほどの美人である。


「えぇ、もちろんです」


 自分なりに凛々しい表情を作ってそう応えると、彼女はほっとしたように頬を緩めた。笑うと少し柔らかい印象になる。三十歳前後だろうか。

 巽はエンジンを切り、車外へ降りた。彼女の傍に寄っただけで、なんだかいい匂いがする。


「実は、急に車が動かなくなっちゃったんです。どうにかできないか、検索して調べたりしてたんですけど、よく分からなくって」

「へぇ、ちょっと見てみましょうか」


 立ち往生するオートライドの周りをぐるりと回ってみれば、その車体の小ささに驚く。巽のように大柄な男が乗ったら、さぞ窮屈に違いない。

 小ぶりなボンネットを開けて中をあれこれ調べたり、運転席に身体を半分だけ入れて起動を試みたりしたが、うんともすんとも言わない。

 バッテリー上がりだろうか。自分のトラックのバッテリーとブースターケーブルで繋いでジャンプスタートさせようにも、電圧が倍も違うので無理だ。


「うーん、どうしたもんかな。これはレッカー呼んだ方がいいかもしんないですね」


 彼女は小首を傾げ、口元にそっと手を添えた。


「あの、もしかしてこのトラック、『ふくしま特別研究都市』へ行くんですか?」

「そうですよ。物資を運んでます」

「じゃあ」


 黒目がちの大きな瞳が、長い睫毛の下から、どこか控えめに巽を見上げる。


「もし良かったら、私も一緒に乗せていっていただけませんか? 『街』へ戻って、オートライド専用の自動修理キットを取ってくれば、きっと直せると思うんです」


 じっと見つめられ、体温が上昇するのを感じた。

 このような美女の願いを断る男が、はたして世界のどこにいるだろうか。


「お安いご用です。どうぞどうぞ、乗ってください」

「ありがとうございます。助かります」


 この時、巽は露ほども知らなかった。

 こんなふうに安請け合いしたことを、死ぬほど後悔することになろうとは。

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