第27話 招かれざる客
「は? 何?」
無理やり押し入ろうとしてくる訪問者に対し、巽は反射的にドアノブを引いた。だが、差し込まれた相手の足先が邪魔をして、閉めることができない。
「な、何なんだ、あんた!」
扉の縁に、もう一人分の手がかかる。二人いたようだ。こうなってくると、さすがの巽も厳しい。
しばらく互いに拮抗していたものの、扉は結局こじ開けられてしまった。
巽は半ば突き飛ばされる形になり、よろめいて後退る。
二人の男が素早く家の中に侵入し、玄関が閉ざされる。
かちゃりと鍵の締まる音。一人が後ろ手に施錠したらしい。
「あ、あんたら……」
侵入者たちの顔を認め、巽は思わず息を呑んだ。
服装や雰囲気は違うが、見紛うはずもない。北九州へ向かう道すがら、アトリを追ってきた二人組だ。
インターホンを押したナガヤは、今やぴんと背筋を伸ばし、もう老人には見えない。
小太り体型のウズマキが口を開いた。
「こちら、巽 晃一さんのお宅でお間違いないですね」
「……違ってたらどうするつもりだったんだよ」
巽は男たちを睨み付ける。こちらの方が上背があるが、見下ろしたウズマキは怯んだ様子もない。
「お休み中のところ、失礼いたします。本日は少々確認したいことがあり、お伺いしました」
「失礼にも程があるだろ」
「普通にお訪ねしても、ご対応いただけないかと思いまして」
「はぁ、そりゃご丁寧にどうも」
嫌味たらしく返しながら、それとなく部屋の気配を窺う。サイカはアトリを連れて二階へ上がったようだ。
「どなたかお客さまでも?」
ウズマキの視線が、
「いや、これは嫁と息子の靴だ。別に誰も来てねぇよ。楽しい家族の休日を台無しにした野暮な客以外はな」
「あなた、お独りのはずでしょう」
「……は?」
「失礼ながら、少々調べさせていただきました。息子さんは三年前に亡くなり、奥さまとは二年前に離婚されていらっしゃいますよね」
「……本当にびっくりするくらい失礼だな」
巽は腕組みをする。
「それは確かだが、今、俺が休日を誰と過ごそうと関係ねぇだろ。あんたらが勝手に人ん
「厳密に言えば、まだ上がってはいませんが」
ウズマキが慇懃な態度で示した足元は、嫌味なくらい綺麗に磨かれた黒の革靴。かなりラフな普段着に対して、それだけが浮いている。
要は、靴を脱いでいないから「上がった」状態ではないと言いたいらしい。笑えもしない屁理屈は、巽の苛立ちを煽っただけだ。
「帰れ。わざわざ靴脱ぐ手間もいらねぇよ」
「ご安心ください。用事が済めばすぐにお暇いたしますので」
背後に控えたナガヤが、無言のままジャケットの懐に手をやる。カーチェイスの時に銃を持っていたのはこいつだった。完全なる脅しである。
ウズマキが泰然と言う。
「単刀直入にお訊きします。
「さぁな。だとしたら何だって言うんだ」
「銃で脅されたのでしょう? もしくは……目的のためにはどんな手も使うような
ぎょろりとした目が眇められる。その表情の奥に下卑た勘繰りが透けて見える。
この男が、暗に何を言わんとしているのか。自分はともかく、サイカを貶める態度が癇に障った。
「二人をお引き渡しいただけるのであれば、中国高速道での事故や交通違反などについても、不問にいたします。トラックの修繕費用をこちらでお持ちすることも
つまり、引き渡さなければどうなることか。
だが、これに関して巽が取るべき対応は決まっている。
「いいや、事故も違反も事実だからな。相応の罰則は仕方ねぇだろ。揉み消す方が重罪だ」
「なるほど、ご尤もです。それでは、こういうのはいかがでしょうか」
ウズマキが腕時計型端末を操作し、ある画面を空中投影させる。電子小切手だ。決して少なくはない金額と『ふくしま特別研究都市』の名前の入っている。
「これはちょっとした協力金です。経緯はどうあれ、アトリを無事に保護していただいているわけですので」
「何の真似だよ、それは」
「あの子供には、それだけの価値があるということです」
それはアトリ自身というより、イカルを生かすことと、その実験に対しての価値だろう。もちろん口止め料も含まれているに違いない。
腹の底から湧いてきたのは、耐え難いほどの不快感と、臓腑が煮えるような怒りだった。
こいつらとは、どうあっても分かり合えそうにない。
「話にもなんねぇな」
巽は抑えた声で言った。言葉尻が震える。
「悪いが帰ってくれ。ここにはあんたらの実験材料になるような子供はいねぇよ」
「情が移りましたか。亡くなった息子さんが、ちょうど同じ年頃だったようですね」
「……うるせぇ」
「アトリを息子さんに重ねるお気持ちは分かります。ですが、あなたにとってはあまりにデメリットが大きい。これ以上、二人を匿う理由は——」
「うるせぇっつってんだよ!」
もう、我慢も限界だった。
腹の底から吠える。
「アトリはアトリだ。他の誰かの代わりにはならない。大人が子供を守るのに、何の理由もいらねぇだろ!」
最初は確かに、アトリが
だが、この数日間を自分と共に過ごしたのは、他の誰でもない『アトリ』だ。
赤い色が好きで、お子さまランチが好きで、トラックが好きで、どこまでも無邪気で少しやんちゃな、アトリという名の男の子だ。
血を吐くような言葉はしかし、相手の心を動かすには至らない。
「そうですか、残念です。ですが、ここに間違いなくアトリがいるということは分かりました。ご協力いただけないようですので、少々強硬な手段を取らせていただきます」
ウズマキはそう言うと、革靴を脱いで家の中へと上がり込んでくる。
「あっ……おい! 待——」
それを阻もうとした巽に対し、ナガヤが素早く抜いた拳銃を突き付ける。
巽はおずおずと両手を上げた。こうなっては、下手には動けない。
その時。
「止まりなさい!」
場の空気を切り裂く、澄んだ声。
廊下を進むウズマキが、ピタリと足を止める。
見ればサイカが銃を構えて立ちはだかっていた。
「帰ってちょうだい。巽さんに乱暴なことをしないで」
ウズマキはやはり、軽く肩を竦めただけだ。
「久梨原さん。あなたこそ、彼を良いように利用しているんでしょう。鬼ごっこもここまでですよ」
「うるさいわね。なぜ私がここにいるって分かったの? 姉が何か言った?」
「いいえ。小倉駅前のロータリーで、巽運送さんのトラックにあなた方が乗り込んだという目撃情報を、道行く人から得ただけです。お姉さん——竹下
「え……?」
「九慈大学病院内部での警備の情報を、明かしていただけませんでしたから」
サイカの顔に、わずかな動揺が走る。
「あぁ、ご安心を。久梨原名誉理事からの要請もあり、チカさんのお嬢さんは解放しました。まぁ、あなたを足止めするためだけの人質でしたのでね」
「……父も承知の上で、今ここで強硬手段を取ってるということね」
「何にしても、我々は与えられた任務を全うするだけです」
ウズマキが一歩進む。サイカは銃を構え直す。
「それ以上、動かないで!」
「撃てますか? 久梨原さん」
更に一歩。
「私を殺せますか? 殺して、その後どうしますか?」
「来ないで」
サイカが、小さく身を引いた。
そうするうち、もう一歩の距離を詰められる。
「我々は、今ここで巽 晃一さんを殺すことに何の問題もありません。後片付けが少々面倒になるだけだ。あなたが
ナガヤの銃口が、揺らぐことなく巽へと向けられている。
サイカは震える手で、それでもなおウズマキを狙い続けていた。
例え引鉄を引けなくとも、ここで道を譲ったら、アトリを連れて行かれてしまう。
触れたら切れそうなほどの緊張感が、この場を支配していた。
誰も、何も動くものはない。主導権を握っているはずの、追っ手の男たちでさえ。それぞれが互いの挙動に神経を張り巡らせ、膠着状態を作り出していた。
永遠のようなそれはしかし、バタンと何かが倒れた音によって、一瞬のうちに崩れ去る。
続いて、小さな呻き声。
次の瞬間サイカはハッとして、踵を返して走り出した。
「アトリ!」
巽は思わずナガヤと顔を見合わせる。ウズマキがサイカを追っていったので、どちらともなく動き出す。
玄関を上がり、廊下を進み、階段を駆け上がり、踊り場で巽が目にしたもの。
それは、胸元を押さえて蹲る、アトリの姿だった。
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