第33話 ハリウッドでやってくれ
同時だった。
銃声が響くのと。
巽が反射的に飛び退くのと。
驚きすぎて声も出なかった。
ダンボールの側面に空いた穴を瞬時に認めて、全身に緊張が漲る。
逃げるべし。直感がそう告げる。
巽は部活の走り込みさながらのスタートダッシュで、ウズマキとナガヤがいるのとは逆方向へと地を蹴った。
銃口は、まだ巽に向いているらしい。
再び放たれた銃弾は空を切る。
「いやいやいやいや!」
相手の様子が今までと違う。
両手を上げる暇もない。立ち止まったら容赦なく撃たれるだろう。
端末の着信音だけが、場違いに陽気な旋律を奏で続けている。
整列する無数の棚。通路が格子状に縦線と横線を描く。それを縫うように疾走しつつ、追りくるウズマキに怒鳴る。
「なっ、何なんだよお前ら!」
「あなたの役目はここまでです」
「だからって!」
「一瞬で済みますのでご安心を」
こういうのはハリウッドでやってくれ! 頼むから!
「荷物っ! 荷物どうすんだよ!」
「ご心配なく、こちらにも大型免許を持っている者が。それより、
「俺一人だよ!」
ようやく着信が止まる。走りながら端末を消音モードに切り替える。
幸い、遮蔽物には事欠かない。曲がる道をランダムに選び、相手から身を隠すことに成功した。足音が反響するので、姿が見えなければこちらの位置を予測しづらいだろう。
残念なことに、それは巽も同じではあるが。
ウズマキの声が問いを
「彼女の居場所をご存知で?」
巽は棚の陰に身を潜めたまま、無言を返す。
サイカを探しているのか。
左手首の端末が短く震えた。恐らくサイカからのメッセージだ。確認する余裕もないが、彼女の方も何かあったのだろうか。
さっと左右を確かめて、出口方向へと通路を渡る。
とにかく、この建物から出なければ。
ただでさえ付近を通るのはトラックばかりで、警察どころか一般人すら立ち寄らないエリアなのだから。こんな倉庫の中じゃ、多少の銃声が漏れたところで誰の気にも留まりやしない。
進行方向に、ナガヤらしき後ろ姿が見えた。巽は慌てて立ち止まる。
背景のダンボールに馴染む色の服なので、ぎょっとしてしまう。それを見越して着替えてきたのだろう。
今いる棚の裏側で足音が鳴った。たぶんウズマキだ。
どうしよう。下手に動くと見つかってしまう。
その時、巽のいる通路を、リフト型ロボットが通りがかった。
これだ!
巽はリフトのアームに掴まり、荷台部分のわずかな隙間に足を乗せた。男たちから見えないよう、積まれた荷物にぴたりと張り付く。
ロボットはコンクリートの床を滑らかに走行していく。目論見通り、巽は彼らから遠ざかることに成功した。
が。
順調に出口方面へと向かっていた自動リフトは、途中でくるりと進路を変え、むしろ倉庫の奥へ進む道を辿り始める。
違う違う、そっちじゃない!
何だか某RPGの『すべる床』を思い出す。一つ踏むパネルを間違えると、あらぬ方向へと強制移動させられてしまうアレだ。
巽はほどほどのところで自動リフトから降りた。なるべく足音を立てないよう、再び自力で移動し始める。
来た道を戻る途中、二度ほどリフトの姿を見かけた。この、倉庫のあちこちで働くロボットが、思った以上に邪魔だ。突然視界に侵入してくるので、そのたびぎくりとする。
突然、カンカンカン、と薄い鉄の板を打つような音が響いてきた。
何事かと首を回せば、壁際の階段を昇るウズマキの姿。小太りのシルエットが、バルコニーをぐるりと巡っていく。
巽は相手の視野に入らぬように足を速めて死角を探した。だが、やはり上部からでは丸見えらしい。
「Gの8列だ!」
ウズマキが指示を飛ばす。
逃げ場のない直線の道。距離にして約十メートル、前方に銃を構えたナガヤが現れる。
この局面においてもポーカーフェイスを崩さぬ男は、何の躊躇いもなく引鉄を引いた。
「くっそ!」
巽は反射的に横跳びする。正面から放たれた銃弾が逸れる。
咄嗟に真横の棚にあるダンボールを一つ掴んで素早く引き出す。巽自身もよく運んでいるエタノール、五リットル×三ボトル入り。その箱の端を、二発目が掠めていく。
「オラァァァァァァ!」
天を衝くような巽の雄叫びに、ナガヤがびくりと硬直する。
その隙に巽は突進し、一瞬にして距離を縮める。
サイドスローの要領で、手にしたダンボールを投げ付ける。加速を得た重量物は軽々と宙を飛び、細身の男の腹を直撃する。
「うっ……!」
ナガヤは堪らず
巽は床に落ちた銃を蹴飛ばしつつ、大股で駆け抜ける。銃はスチールラックの下へと滑っていった。飛び道具さえなければ、どうということはない。
外へ。早く外へ。
四方を荷物に囲まれた、行けども行けども変わり映えのない景色が焦りを生む。
通路を渡ろうとしたところを自動リフトが横切っていき、にわかに足を止める。
それが不味かった。
パン、という短い破裂音が耳朶に突き刺さる。
同時に、右の上腕に走る熱。
振り返れば、銃口をこちらに向けたウズマキが背後に迫っていた。
「マジかよ!」
もう何度目かも分からないダッシュ。
スタミナで負ける気はしないが、追う側と追われる側では条件が違う。張りっ放しの神経とも相まって、疲労が身体を侵食し始めていた。
一つスチールラックの谷間を抜け、交差点に差しかかってはくねくね曲がり、つまりは遠回りをしながら、ウズマキに狙いを定められぬよう死角へ逃げる。
出口が、酷く遠い。
左手首の端末が震えた。ちらりと表示を見やれば、サイカからの着信だ。手探りで通話ボタンをタップする。
「サイカさん!」
『あっ……巽さ——』
「来るな! 逃げろ!」
それだけを叫び、通話を切った。
声を出したことにより、息苦しさをいっそう意識する。
今は何時なのか、確認する余裕もない。約束の六時までは、まだ少しある気がする。現状を伝えられたら良かったが、サイカはうまく逃げてくれるだろうか。
縦の列から横の列へ、横の列から縦の列へ。曲がろうとする瞬間に直線で捕捉され、そのたび銃声が轟き渡る。心臓が更に跳ね、それでも運良く弾は逸れ。
この決死の鬼ごっこは、いったいいつまで続くのか。
回り込んできたナガヤが、目の前に立ち塞がる。それを巽は、体当たりで跳ね飛ばす。彼はスチールラックの角に頭を打ち付け、昏倒した。
痩身で丸腰の男など敵ではないが、今の状況では立派な障害物だ。時間をロスしたわずかの隙に、ウズマキが距離を縮めてくる。巽は速度を上げざるを得ない。
ようやく、記憶にある非常口表示が目に入る。
スチールの扉を身体で押し開け、外へとまろび出る。懐かしい自然光が眩しい。
出入口の真横に、巽運送のトラックがある。
そのキャビンの中に、人影が見えた。
「あ⁈」
余所見した拍子に、足が縺れた。蓄積した疲労で、呆気なく転倒する。
地に沈みながら、運転席に座る男を凝視する。あの横顔は、巽を呼びにきた中年男に違いない。エンジンの始動に手間取っているらしく、セルモーターの空回りするカチカチ音が繰り返されている。あの車に時々起こる現象だ。
何にしても、立ち上がらねば。
心臓が、今にも破れそうな勢いで脈打っている。酸素が足りない。腕も脚も驚くほど重い。明日、いや明後日には、凄まじい筋肉痛が襲ってくるだろう。
なかなか体勢を戻せずにいるうち、背後で扉の開く音がした。振り返れば、ウズマキが倉庫から出てくるところだった。尻餅の状態からどうにもできず、そのまま後退る。
「鬼ごっこはここまでです」
そう言う相手も息が上がっていた。額には玉のような脂汗が浮かんでいる。
即座に撃たれるかと思いきや、タイミングよく前の道を数台の輸送車両が通りがかる。さすがに目撃されかねない状況では、彼も躊躇うようだ。
その時。
巽運送のトラックがようやくエンジン始動し、発進した。
あの野郎……!
だが、車を持ち去られることに対する怒りは、すぐさま恐怖に取って代わる。
なんと、こちらへ向かってきたのだ。馬鹿でかい大型トラックが。
「ンアアッ⁈」
「おっと……!」
いち早く逃げるウズマキ。
唸りを上げ、巽の元へと迫りくる巨大なヘッド。まるで凶暴な怪物だ。
あまりのことに、巽は疲労そっちのけで身体を持ち上げる。不安定な姿勢のまま駆け出そうとするも、足腰がうまく立たずに再び転んでしまった。
両目を見開き、接近するフロントグリルを凝視する。
ぶつかる……!
巽運送のトラックは、しかし真の持ち主を轢く一歩手前で停まった。
どうやらエンストしたようだ。
「お、おぉぉ……」
絶対死んだと思った。
巽は慌てて這い進み、トラックから距離を取る。一気に全身から力が抜けた。
そこに、銃を向けられる。
「せっかく命拾いしたところですがね」
ウズマキの太い人差し指が、引鉄にかかるのが見えた。
「終わりです」
あー……マジか。
最期だというのに、感想はそれっぽっちのものだった。虚脱感が恐怖を越えていたのかもしれない。
ただ、淡々と悟る。
筋肉痛どころじゃない。
自分にはもう、明日そのものが来ないのだ、と。
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