第22話 トラッカー 、再び美女(と子供)を拾う

 巽が小倉こくら駅に到着したのは、午後二時ごろ。

 少し前にサイカから、駅前のカフェにいるとメッセージが入っていた。

 ハザードランプを焚いて、駅前のロータリー脇にある広めのゼブラゾーンにトラックを停めた。伝えられた店も、ここからよく見える。


『着いたよ。ロータリーにいる』


 メッセージを送信して、待つこと数分。見覚えのある二人が店から出てきた。

 脱いだコートを片腕にかけたショートヘアの女性と、ドラグーンスの青いキャップを被った子供。名古屋が本拠地の野球チームの帽子だから、ここらでは珍しいはずだ。

 電話の時のサイカの様子から、何があったのかと心配したが、ひとまず二人とも無事のようである。


 辺りを気にしながら歩くサイカとは対照的に、巽運送のトラックを見つけたアトリは満面の笑みで駆けてくる。

 それを巽は車から降りて出迎えた。


「おじさん!」

「おう、アトリ。また会えたな」


 抱き付いてくる小さな身体を受け止める。こんなに懐いてくれると、素直に嬉しい。

 サイカは少し離れたところに立っていた。どこか遠慮がちな表情だ。


「巽さん……」

「ごめん、遅くなった。大丈夫か? アトリ、体調悪いって言ってたけど」

「えぇ、少し休んでお昼ごはん食べたら、すっかり元気になったわ。ごめんなさい、急に連絡したりして」

「いや、全然いいよ。それで、お姉さんとの話はどうなった?」


 サイカは軽く俯く。明るい日差しの中で、その白い顔が色濃く陰る。


「それが、ちょっと手違いがあって。……あの、私、あなたに伝えなきゃいけないことがあるの」

「ん? 何?」

「あの『街』の人たちに気を付けて。巽さんにも、どんな手を使って仕掛けてくるか分からないと思うから」

「うーん? 言ったと思うけどさ、ある程度の処罰とか仕事が一つ二つなくなるとか、それくらいはもちろん覚悟してるよ」

「いいえ、もしかしたら、そのくらいじゃ済まないかもしれなくて……ごめんなさい、全部私のせいね」


 長い睫毛の影が、血の気の失せた頬に落ちている。

 いまいち要領を得ない。らしくないな、と思った。


「まぁ、とにかく車乗ったら? 話聞くからさ」


 サイカはさっと顔を上げ、ぎこちない笑みを作った。


「あの、こんなふうに呼び出しといて申し訳ないんだけど。この先のことは、やっぱり自力で何とかするわ」

「え?」

「さっきはアトリが体調を崩してパニックになってたけど、もう大丈夫。巽さん、今お仕事中だし、これ以上の迷惑はかけられないわ」

「ちょっ……は? なんで? いや、俺はもう帰るだけだし——」

「本当にごめんなさい。大丈夫だから。さっきは私、どうかしてたのよ。あんな電話したりして。すぐに来てくれて嬉しかった。ありがとうございました」

「何だよそれ、どういうことだよ」


 巽の指先を掴むアトリが、大人二人の顔を見比べる。


「ねぇ、トラックのらないの? はやくのろうよ」

「アトリ、あのね……」

「あのなぁ、サイカさん」


 名を呼ぶと、サイカは驚いたように目を瞠った。


「何がどう大丈夫なんだよ。ちゃんと説明してくれよ」

「……ごめんなさい」


 巽は短く息をついた。


「なぁ……俺、言ったよな? わけも分からず振り回されたくねぇって」


 つい強めの口調になってしまった。こちらを見つめるサイカの瞳が揺れている。

 巽はばつが悪くなり、がしがしと頭を掻く。


「確かに、アトリはもう元気そうだ。でも俺には、サイカさんの方こそ大丈夫じゃないように見えるんだよ。そんな辛そうな顔して、放っとけねぇだろ」


 そっと外されたサイカの視線が、小さく虚空を彷徨った。かと思えば、その頬がかぁっと紅潮する。

 目の縁には、じわじわと盛り上がる涙。


 いやいやいや……待て待て待て!

 何か道行く人も責めるような目でこっち見てくるし!


「ま、まぁ、とにかく車に乗ろう。俺はいくらでも時間あるし、ちゃんと事情を聞いてからどうするか決めてもいいだろ? な?」


 サイカの肩を抱え、車へと促す。必要以上に身体に触れたりしないよう、細心の注意を払った。彼女は特に抵抗せず、素直にトラックの方へ歩き出す。


 こうして間近で見下ろすと、サイカは思った以上に細身だった。今まではコートで隠れていたので特段意識もしなかったが、薄手のカットソーに包まれた肩は頼りない。

 追っ手の車を執拗に煽って窓から銃をぶっ放した女と同一人物とは、とても信じられないぐらいだ。

 滑らかな白い首筋はどきりとするほど無防備で、巽はそれとなく目を逸らした。


 サイカとアトリがトラックキャビンに乗り込む直前、はたと思い出す。


「あ、しまった。一つ問題があった」

「え?」


 これはまずい。どうしてこんな最悪のタイミングで。完全な失策だ。


「あのさ……」

「えぇ……」


 巽は神妙な面持ちで告げる。


「俺さ……昼にラーメンと餃子食ったんだわ」


 サイカがぱちりと瞬きした。


「……えぇ」

「だからさ、今この中すげぇニンニク臭いと思う。ごめん」


 いろいろ台無しである。

 つい先ほどまで泣き出しそうだったサイカの表情は、今や全くの虚無だ。

 そして彼女は、クールに言った。


「大丈夫よ」




 換気のために両側の窓を全開にした巽運送のトラックは、中国高速道へと接続する海峡大橋を東へ向かって渡っていた。

 潮風が気持ちいい。車内に充満したニンニク臭も多少はマシになるだろう。

 だが、臭いの発生元である自分が運転席にいるので、残念ながら完全に原因を断つことは不可能である。


「行く宛てがなくなったの」


 出発して早々に、サイカからそう告げられた。

 その流れで、頼りにしていた姉に敵の手が回っていたことも聞いた。巽の会社もただでは済まないと言われたことも。

 二人が追い込まれた状況には、やり場のない怒りを感じる。勝手に自分を脅しの材料に使われたことも気に入らなかった。


「なんつーかさ、やり方が汚ぇよな。話聞いただけでも、お姉さんも結構キツい取り引き持ちかけられてるし。そんなふうに我が子を引き合いに出されちゃさ」

「……そうね」


 サイカの相槌は、溜め息にも似ていた。前髪で隠れた俯きがちの横顔は、酷く落ち込んでいるように見える。

 事情はどうであれ、実姉に裏切られたのだ。無理もない。


 巽は敢えて明るい声を出す。


「俺のことは、別に気にしなくていいよ。知り合いに弁護士もいるし、たぶん何とかなるだろ。とか言ってどうにもならなかったりしてな。ま、そん時ゃそん時ってことで!」


 もちろん、絶対に大丈夫という確証は何もないが、今あたふたしても仕方ないだろう。

 サイカが少しだけ微笑んだような気がした。万事オーケーだ。


 いつの間にか橋は終わり、車は中国地方に入っていた。窓の外を、鮮やかな新緑が流れていく。


「あ。そういや、一応追っ手は振り切ったってことでいいんだよな?」

「えぇ、あの黒い車もあれから見てないし、行きみたいに追いかけ回されるようなことはないと思う」

「んじゃ、まったり帰ろうぜ。いい天気だし、道も空いてるしな」


 金曜日の午後。夕方になればこの道もさすがにもう少し混んでくるだろうが、今はまだガラガラと言っていいぐらいだ。

 やけに静かだと思ったら、アトリはサイカにもたれてうとうとしている。


 あくまでのんびりした口調で、巽は続ける。


「とりあえず、うち来ればいいよ。二人とも疲れてるだろ。俺も疲れたし。後のことは、ちょっと休んでから一緒に考えようぜ。俺、明日は休みなんだ」

「あの……巽さん、どうして……」


 サイカの声は掠れていた。


「どうしてそんなに、親切にしてくれるの?」


 親切、か。

 大きなフロントガラスから見える道は、ひたすらまっすぐに前へ伸びている。


「んー、ほら、乗りかかった船だしな。っていうか、トラックだけどな。はは!」

「えぇ……」


 おどけた調子で放った一日ぶり二回目のトラックギャグは、やっぱり盛大に滑った。

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