第29話 起点へ戻る
サイカを乗せた巽運送のトラックが静岡駅に到着したのは、午後二時四十五分だった。
「俺はこれから荷物の積み込み行って、六時くらいには出発準備できると思う」
「分かったわ。それくらいを目処に、駅まで戻ってくる」
巽が告げた倉庫の場所を、サイカは端末にメモした。
その指先が、震えている。巽に気付かれないよう、小さく息をつく。
「何かあったら、遠慮なく連絡くれよ。すぐに駆け付けるから」
運転席の方を向けば、真摯な瞳と視線が合った。
心強いと感じるのと同時にみぞおちの辺りからほわほわ湧いてくる気持ちの正体を、今は考えないことにする。
代わりにサイカは頷き、微笑んでみせた。
「ありがとう」
「上手くいくといいな」
「えぇ、頑張るわ。……じゃあ、私はそろそろ。また後で」
巽に手を振り、ドアを開けてキャビンから降りる。
大きなエンジン音を立てて遠ざかっていく銀色のトラックを見送ってしまうと、サイカは一つ深呼吸して背筋を伸ばし、約束の場所へと向かった。
午後三時すぎ。
聞いていた列車の到着時刻から数分後、改札から出てくる人々の中に、待ち人の姿を見つける。
艶やかな長い黒髪をうなじで一つに束ねた、赤いフレームの眼鏡の女性。
サイカの姉、チカである。
つい一昨日、彼女の勤務中に会った時とは違い、本日はニットにジーンズというラフな格好だ。
チカはサイカに気付き、軽く片手を上げた。だが、わずかばかりの笑顔はぎこちない。
あのような別れ方をした後だから、無理もないだろう。サイカとてどんな顔をすべきか決めかねて、姉と似たような表情を浮かべた。
「サイカ、突然ごめんね。来てくれて良かった」
「まぁ、来る他ないわよ。ところで、ツグミちゃんは大丈夫だったの?」
「今日は旦那と留守番。二歳児連れて四時間半も新幹線に乗るのは、さすがに無理だからね」
「そう」
人質にされて大丈夫だったかという意図の質問だったのだが。こう返ってきたのは、大事なかったということだろう。
足を揃えて、バスターミナルへと向かう。
定刻通りやってきたバスに、二人は乗り込んだ。
日曜の午後。車内には家族連れが数組いる程度で、ゆったりした空気が流れている。ずっと張り詰めっぱなしの心中とは対照的だ。
空席はあったが、互いにそれとなく距離を測り合い、結局二人して乗車口より後方の通路に並んで立った。
会話を切り出すタイミングが掴めない。
間を埋める小さな子供の甲高い話し声やエンジンの重低音がありがたい。一方で胸には鈍い痛みが走る。アトリと一緒に巽のトラックに乗せてもらった楽しい珍道中のことを、どうしようもなく思い出してしまうから。
車窓の外を、見知った風景が流れていく。
サイカが高校卒業まで過ごした街。変わってしまったところももちろんあるが、記憶に合致するものの方が圧倒的に多い。空気の匂いや空の色、どこからでもよく見える富士山の姿などもその一部だ。
故郷を離れて十八年。あの研究所に勤め始めてからは、帰省は年に一度あるかないか。
帰ってきた、と思った。その気持ちは、何だか苦しかった。
「久しぶりでしょ、実家も」
チカからの言葉。心を見透かされたようで、どきりとする。
「そうね。余計に緊張するわ」
正直にそう言うと、チカが小さく笑った。
「お父さんには、一通り事情を話してあるから」
「……もう全部伝わってるってことね」
「それはもちろん。ツグミを解放してもらわなきゃいけなかったからね」
一層ずんと身体が重くなる。
手にも足にも、いろんな
「ツグミちゃんのこと、申し訳なかったわ。姉さんの言う通り、私、自分のことしか見えてなかった」
「……一旦あの『街』の一員になると、その輪から逃れにくくなるのよね。問題が起きても内々で処理するために」
姉の目は、じっと窓の外に向けられている。
「ほんと言うと、アトリとイカルのことは私もずっと気になってたの。研究とはいえ、私が作った子たちだから。……虫のいい話だって、自分でも分かってるんだよ。私、サイカに酷いことをした。信頼して来てくれたのにそれを裏切って、侮辱するような言葉まで。だから、許してくれなんて言わない。今からしようとしてることも、結局はツグミのためだしね」
「分かってるわ。私だって、アトリを助けたいだけだもの」
視線は交えぬまま隣り合って立ち、バスの揺れに従って同じ方へと身体を傾ける。
目的は違っても、互いの利害のために手を組むことはできる。そう思ったら、心が落ち着いた。
同じ研究所にいた時、姉とはずっとこんな関係だった。優れた素質を持つ子供たちを作り出すチカと、その子供たちの素質を伸ばすサイカ。それぞれの役割を適切に果たすために情報共有し、連携していた。
血縁者同士の情などよりも、よほど信頼できるもので繋がっていたのだ。
「でも、上手くいくかしら。お父さん、いくら運営に関わる決定権がないとはいえ、仮にも名誉理事なのに。『街』の決定に反するようなことを、了承するかな……」
「そのためにサイカにも来てもらったんだよ。あなたのしたことは、少なからずお父さんの立場に影響するから。その上で、協力を頼めるかどうかってところね」
「そうね……」
鼓動がにわかに足を速め始める。
気を抜くとすぐに不安が鎌首をもたげてくる。自ら退路を絶って、これしかないと思う道を選んでここまで来たのに。
振り払えない血の縁。何もかも侭ならない。それを恨みにすら感じる。今さらどんな顔して父親に対面するのかと、自分でも思う。
「ところで、アトリの様子はどうだったの? 二回くらい倒れたって」
声をかけられ、はっとする。
そう、それも大きな懸案事項の一つだ。
「発作みたいなのは割とすぐに治まった。でも、正直なところ心配よ。アトリも、イカルと同じようになるんじゃないかって」
うーん、とチカが唸った。
「うちの病院で血液検査と尿検査をしたでしょ。その結果を見る限り、特に問題なかったけどね。少なくともイカルの症状とは違うはず」
「そうなの?」
「もちろん、もっと精密な検査をしないと何とも言えないけど。『街』で調べるでしょ」
姉がそう言うのだから、ひとまずは安心して良いだろう。
「『街』の子供たち、少しずつ平均寿命は伸びていってるんだけどね。それでも突然体調が変わることがあるから。
「根本的に、技術に問題があるんでしょうよ。グロテスクな移植実験なんて無意味だわ。今の統括所長、
チカは刺々しく言うと、不愉快そうに眉根を寄せた。
「職場内のいわゆる政治的な決定って、下っ端がどう足掻いても覆らないよね。この国の技術や社会の進歩を阻んでるのは、自分の立場のことしか考えてないジジイたちよ。ほんと馬鹿みたい」
あぁ、姉だ、とサイカは思った。自分が正しいと思ったら、相手が誰であろうとこの調子で切り込んでいく。そういう姿勢は、以前と変わっていない。
「……でも、そのおかげで、イカルはまだ生きてるの」
「生きてるというか、生かされてるというか。正直、いい気分しないわ」
「そうね」
チカに同意しつつも、何となくモヤモヤしたものが胸に残る。姉はきっと、自分の作った実験体がおかしな扱いを受けていることが気に入らないのだ。
研究員に比べると、サイカら教育スタッフの立場は強くない。故に、今までどれほどのことを飲み込んできたか分からない。
それでも、譲ることのできないものがある。だからこそ、今、ここにいる。
——役に立つ人間になりなさい。
思い出したくもない、懐かしい言葉を思い出す。
先ほどとは一転、さざめく鼓動を深呼吸で落ち着ける。
誰のために、どんなふうに役立つ存在になるのかは、自分で決める。
バスは、駅を出発してから何個目かの停留所に着いた。一組の家族連れが降り、車内が少し静かになる。
運転手が、聞き慣れた停留所の名前をアナウンスする。チカが手を伸ばして停車ボタンを押した。次、停まります、と決まりきった音声が流れる。
「何にしても、今はできることをするしかない」
「えぇ」
もう一度、姉に同意する。目的は確かに一致している。それで十分だ。
バスが止まり、降車口が開く。姉妹はそれぞれ運転席横のセンサーパネルに端末をかざして会計を済ませ、外へと出る。
午後三時半。
緩やかに高度を下げつつある陽の光は、柔らかくアスファルトを照らしている。
目に映る景色は、いよいよ見慣れたものになっていた。緊張感は高まる一方だ。
「行こう、サイカ」
姉に言われ、足が止まっていたことに気付く。
再出発したバスが二人を追い越していった。
あれも前に進む乗り物だ。トラックと同じように。
「えぇ、行くわ」
サイカは顔を上げ、生家へ向かって歩き出す。
全ては、守るべきものを守るために。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます