第9話 二 邂逅と戸惑い

 四月十四日。時計の針がお昼を少し回った時間。私はJR京都駅で彼の到着を待っていた。

 お気に入りのアクシーズデザインである蒼い花柄が所狭しにポイントされているワンピースと、黒い蝶々が優雅に踊る髪留めを彩らせて、この人込みの中に佇んでいる。


『彼は一体、どんな服装を召し、そしてどんな顔を浮かべて私の前に訪れるのか…。』


 そんな想像と共に過ごす時間の美しく素敵な妄想を抱きながら、彼の姿が現れるのを心待ちに妄想に耽っていると、携帯の着信音が鞄の中で激しく鳴り始め、私は思わず我に返った。


 急いで電話を手に取り、ディスプレイを見るとそこには『黒木』と表記されていて私の胸は高鳴った。


「はい、もしもしっ!!」

「あ、椿?どこにおるん?」


 相変わらず優しい彼の声が耳に届いている。しかももうすぐ逢えるのだと思うと、思わず涙が零れ落ちそうになった。


「ダーリンっっ!!私、JR中央口にいるよっっっ!!早くここまで来てっっっ!!」

「ダ、ダーリンっ!!?。椿、ちょっと落ち着けっ!というか、その中央口の京劇の前におるんよな…。で、どこ?」


 京劇とはJR京都駅の中にある京都劇場の事であり、私もその付近にいる。すぐ側に彼の存在があり、もう少しで顔を見る事ができるのだ。この人込みの中から早く見つけ出したい。いや、救い出したいと私はそう思いながら必死に周りを見渡した。

 すると京都劇場と大きく表記された看板の前で、きょろきょろと辺りを眺めている彼の姿が視界へと映った瞬間、私はそこへ向かって全力で走り、そして飛びつくように彼を抱きしめた。


「ダーリンっっっ!!!逢いたかったわっっっ!!」

「おわっとっっっ!!!」


 ここは天下のJR京都駅。もちろんそんな事を仕出かしている私達の姿に周囲の視線が注目した。京都駅の中で一瞬だけでも皆の注目を集めている私達の姿は、まるで舞台上に立つキャストそのものだと思った。

 いきなりの行動に彼はうまく対応できなかったらしく、一瞬よろめきを見せたがすぐに体勢を戻し、両手で私の頭を優しく包むように撫でながら言った。


「椿、久々じゃな。俺も逢いたかったわ。」


 彼と前回逢ったのは確か三週間前くらいだったはずなのだが、まるで何か月も逢ってなかったかのように彼が只々愛おしく、胸が潰れそうな想いになった。

 こうして今、私を包む温もりが心の中に浸透している。彼の優しさ全てが伝わるこれだけあれば今はそれでよかった。


 街のざわめきが耳に心地よく、しきりに聞こえる人々の会話さえ歓喜の鐘が打たれているような感覚に浸り、私はきつく目を瞑り彼の胸へと深く身体を委ねた。


「椿、とりあえずこの場から離れんか?結構皆の視線が痛いけん…。」


 その言葉にふと我に返った私は周りを見渡してみると、群集の視線が私達を取り囲むように集められているという事実に今気がついた。


「あ、ごめんなさい…。こんな時、どんな顔をすればいいのか…。」

「笑わずにとりあえず外に出よう…。」


 お決まりの台詞が返ってくると思ったが、それは似て非なるもので、彼は私の手を徐に握りしめ、京都駅の正面玄関から急いで外に出た。目の前には京都タワーが大きい顔をして佇み、そして大勢の人だかり。

元々人込みは嫌いな私だけど、ここが大好きになった京都であるからそれも何となく許せるようになっていた。


 その人込みをかき分けながら、器用に私を先導する彼の姿。その昔、大阪に七年ほど住んでいたという事を依然聞いていて、地元に住んでいる今でも人込みはお手の物であるのだろうか。

 私の知らない知識と、それを対処する術を持ち合わせている彼が、頼りがいのある姿に見え、私の心は大きくときめいた。


 右手に地下鉄駅へと降りる階段口が現れ、そこを通り過ぎると、京都タワーがあるその場所と、京都駅を隔てる大きな道路が現れた。そこにはタクシーと行きかう車で溢れ返っていて、信号が青になるまで渡れる状態ではなかった。

 交通法では青になって渡るというのは定説であるが、田舎では赤でも余裕で渡れる交通量であると言いたかっただけです。はい…。


 それと、ここに来て驚いた事がもう一つだけあり、どこの横断歩道にも設置されている歩道信号に、後何秒で変わるのかを表示する信号が別にあるという事。きっと、せっかちな関西人に対しての行政がもたらしている配慮なのであろうか…。田舎育ちの私にはやはりその真意など分かるはずもない。

 気がつくと信号は青に変わっていて、相変わらず手を引く彼の温もりを嬉しく想いながら路を渡った。


「で、椿。哲学の路に行きたいって言よったんよなあ?」

「うん、そうよ。覚えててくれたのね。流石はダーリン♪」


 彼は怪訝そうな表情を浮かべて私へ再び視線を向けた。


「さっきからずっと俺の事ダーリンって言よるけど、どしたん…?」

「いえね、私の彼氏でしょ?昔から彼氏になる人をダーリンって呼ぶの夢だったんだぁっ!!いいでしょ?ねぇ…。」


 その言葉と共に視線を合わすと、彼は何故か視線を逸らしながら呟くように言った。


「いや、まあ…。ええんじゃけどな。」

「やったぁっ!!ダーリン、ダーリン、ダーリンっ!!」

「あーっ、もう何でもええわっ!!電車乗るのめんどいけん、タクシーで出町柳まで行こうっ!!」

「えっ!?」


 タクシー…。所謂大人の乗り物である。

 今までなら自転車でうろうろ…。少しながらでもお金を使う電車でさえ躊躇していた有様であったのだが、タクシーを使うだなんて今の私には考えられない。

 というより、未だ土地勘のない私にはどこまでの距離をタクシーで進むのか予想もできず、金銭的な恐怖が心を巣食った。


「何の心配もいらんよ。とりあえず、哲学の路の最寄駅は出町柳じゃけん、そこでこの荷物をロッカーに預けて歩いて行こう。途中京大もあるし、楽しいと思うけん。」


 深く思考している私に対しての考慮なのだろうが、そこへとたどり着くまで色々教えて欲しい事もあった。しかし、そう言われてしまうとそうせざるを得ない。

 私はまだまだ人生経験不足であり、お金の使い方も何もまだ知らない。親ならそのまま甘えられるけど、出逢ったばかりの彼にそこまで甘えていいのだろうか…。


『でも、彼がそう言うのなら…。』


 私はそう思い返し、彼の提案に笑顔で相槌して見せると彼はすぐ様、道の方へ視線を向けて手を上げた。

 すると、通り過ぎようとしていたタクシーが止まり、運転手が私達の荷物を運ぶ為に降りてきた。

 彼は堂々とそれに応じていたものの、私は違和感に心怯える事しかできず、あれよあれよとタクシーの中に誘われた。


「お客さん、どこまで行かれますか?」

「出町柳駅までお願いします。」


 運転手は笑顔で頷くと、無線に行先を告げ車は進み始めた。古都の街並みが素敵に流れ進み、私達を誘っていく。


 彼との京都日和一日目の始まりである。

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