第3話 一 あの日の僕、そしてこの空の下で…。
それからというもの、自分なりの傑作品をいち早く認めてもらうべく、様々な出版社へと精力的に出向く日々を繰り返していた。
とりあえず何事にも失礼のないように、アポを取って出向く事にしていたのだが、時折「持ち込みは硬くお断りさせて頂いております」と一方的に電話を切られてしまう出版社は幾所かあった。
いつもならそこで諦めてしまいがちの性格をしている僕であるのだが、この時だけは何故か「これは出版社側が新人の度胸をテストしているに違いない。」と、バカがつくほどのポジティブシンキング。
これも若さの故の愚かさなのか、まさかの行動に移すのであった。
それは電話にて断られた出版社へとそのまま乗り込み、新人担当者に自分の著を直接読んでもらおうとする何とも大胆不敵な…、もとい。迷惑極まる行動であった。
まるで当たり前のような顔をして現れた僕を、怪訝(けげん)そうな視線で門前払いした社はあったものの、大体はこの暴挙とも取れる態度に「面白い新人が来たではないか」と、失笑ならぬ表情で迎えてくれた出版社員様達の神がかる対応に、今思うと脱帽の想いである。
更に振り返ってみると、この時書いていた物語の内容なんて『ありふれた』という表現さえ使うのも申し訳ないくらいのずさんな物であり、文体に置いても起承転結がはっきりとしない上に、難しいだけの言葉を羅列させているだけ。明確に表現すると意味不明な物語。すなわち、乱文中の乱文であったと言えよう。
わざわざ多忙な時間の合間を縫って、拝見して頂いた担当者の表情が曇っていく様を、そして僕の文章をそのままゴミ箱に放り投げ、無言のまま踵(きびす)を返したあの背姿は今も脳裏に焼き付いている。
それでも僕は諦めなかった。
というよりも、『毒を食らわば皿まで』という、半ば悪ノリのような意地が、僕の魂に火をつけたのだった。
その悔しさをバネに、まずは純文学や現代文学、新書や辞典。雑誌や市報やフリーペーパー、何故か電話帳に至るまで、文章能力を高めるべく、他人が創造した様々な文章を片っ端に貪り続けた。
そして、現在自分の持つ文体構成センスと、文章力を客観的に見直す為に、あの時捨てられた物語を初めから入念に読み返した。適切ではないと感じた所に赤ペンで印をつけ終えると、プロットがずれない様にその場面の状況描写に似合う表現を思考しながら丁寧に書き直していく。
この作業からだと、新しい物語を書いた方が早いのではないかという事は確実に感じていた。しかしながら、この物語に執着する意味が確実にあったのだ。
悔しさ故に意地を張ったという感情は否めないのだが、当時、実はこのプロットに大層な思い入れがあり、それに肉付けしたこの物語が現時点では自身の最高傑作であったのだった。
だからこそこの物語で勝負したい。どうにか何とか認めて貰いたいという思惑があったからなのである。
いつしかあの担当者が自ら僕へと名刺を差し出し、熱い握手を交わす時が来ると信じて、懸命に思考を凝らしながら毎日毎晩、制作活動に専念していた。物語を進ませているにつれ、熱も高まり『もう三十分、もう一時間』と、制作時間が延びていく。
元来やるべき事、即ち学業も怠らず頑張っていたが故に、日々段々と痩せこけていった僕の姿を、友人達の眼にはどう映っていたのだろうか。
いくら続きを書きたくても、翌日の事を考慮し、無理矢理中断していたのであったが、物語が終盤に差し掛かった頃には制作意欲を押さえる事ができず、毎日朝方まで、叩くキーボードの指を止める事ができなかった。
『六人の漢達はそれぞれの顔を見合わせ、生きて再びこの地で逢おうと契りを交わすよう一つだけ頷き、それぞれに用意された路を進んでいく。もう相見えないと分かっていながら…。 終』
夏の匂いがすっかりと蔓延(まんえん)する明け方に、物語の終焉を告げるエンターキーを勢いよく押す音が鳴り響いた。
窓から差し込む眩い光をぼんやりと眺めていると、先程までたかぶっていた感情が嘘のように掻き消されていき、本来の自分に戻っていく。近くで慌ただしく軋ませ走る電車の音や、車やバイクのエンジン音のクラクション。そして、朝の眩い光。
完全に正気へと戻った僕は、全身から血の気が引く音が聞こえてきた。
『学校、どうしよう学校…。』
このままのテンションで行く事だけはできるとしても、一日乗り切る自信はない。授業中意識を失い、もしかすると還らぬ人になってしまうかもしれない。それは表現過多かも知れないが、そう思ってしまうほど心身共に疲労困憊であり、今はこの場から動く事すら儘(まま)ならない状態である。
両親の稼いだお金により、学校も、この生活も成り立っている。だからこそ蔑(ないがし)ろにするべきではないと大阪での暮らしを始めたその日から、一日一日を真面目に生き、もちろん欠席した事などない。
しかし、今は心が揺らいでいた。
今し方仕上がったこの物語を、今日中にあの編集社へと持ち込み、担当者の反応を見てみたい。懸命に思考を凝らし、今ある全ての知識と方法を用いて書いたこの作品を試したいという願望が心の中に強く宿っている。
夢と現。揺らゆれる心中。時を刻む針の音が今は何故だか心地よく、薄らぐ意識の中、僕は密かに祈りを捧げていた。
いかなる場合でも休まず登校するという鉄の掟を冒してしまう罪に対しての謝罪と、夢に対しての決意を胸に抱き…。
目が覚めると、時計の針は午前8時15分を少し回る所を指していた。
少々の睡眠でも身体から力がみなぎっているのはきっと若さだけではなく、夢というものが与えた活力とあいまっての事であろう。
僕はすぐ様、携帯電話を手に取り、学校へと本日欠席の意思を伝えた後、友人達に本日習った授業内容を後に教えて欲しいという旨(むね)をメールにて伝えた。
テキストを印刷させながら朝の支度を施し、いつもより長いシャワータイムを経て、食パンをかじり、刷り上がった文章を入念に読み返しながら来る時を待っていた。
一般企業が始まるのはそう遅い時間ではないはずで、現在九時半ジャスト。きっと慌ただしく動き始めたくらいであろう。
刷り終えたばかりの紙を封書にまとめ、なるだけラフではない(と思われる)服を身つけると、すでに温くなったコーヒーを一気に喉へと流し込んだ。
出版社へはあの時のようにアポなど取っていない。もしかすると摘まみ出されてしまうかもしれないが、この作品を見てもらうまで這いつくばってでもその場を動かないという覚悟があった。
どれだけ笑われても、罵られても、人の眼にカッコ悪く映ったっていい。自分の夢を叶える為、掴む為の鋼の如く固い決意。
財布、携帯、定期、提出するテキスト。そして愛嬌と度胸…。
何一つとして忘れてはいけないものをチェックし、僕はこの部屋を出ていった。
七月真っ只中の日差しはやけに眩しく、しかめ面のまま駅へと向かう僕の額には様々な意味の汗が流れていた。
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