第34話 五 風任せの夢
「黒木どうした?最近調子悪いのか…?」
スタジオにて曲合せが終わり、待合室で休憩している僕に、森高氏が心配そうな面持ちで近づいてきた。
「いや、大丈夫です。何でもないです。」
感情を覆うように、僕は作り笑いを向けた。
「ならいいんだけど…。まあ、季節の変わりだから体調管理には気をつけてな。君の他はいないんだからな…。」
そう言ってこの場を離れる森高氏の背姿を眺めながら、自ら心を戒めた。
驚愕の京都から一週間。僕はやるべき事を懸命にこなし、今を生きていた。
しかし、未だ消えていない心の隙間に残る不安や虚しさを否めず、それを払拭させようと、明日の日曜日の夜。バイクで久々の一人旅を計画していたのだった。
本番も半月後に迫っていて、どうにか何とかモチベーションを上げる為でもあり、その旅の途中で気持ちを高揚させる何かが起ればという思惑の元…。
スタジオ代を徴収する森高氏の声が聞こえ、僕は会計口へと向かった。
翌日。仕事を終え、自宅で旅支度を周到にすませた後、僕は意気揚々に車庫へと足を進ませた。
椿とのバイクデートから乗っていない愛車、ヤマハ社ドラックスター250。大阪時代から大切に乗っているバイクであり、様々な思い出を共に刻んできた戦友と言っても過言ではない。
バイクへとまたがり、僕は愛おしそうにタンクを優しく撫でた。これは、バイクに乗る時いつも施す仕草で、安全に運んでくれと願いを込めた所謂儀式のようなものである。
あれから乗っていないにも拘らず、素直に鳴り響くエンジン音。それに僕は嬉しくなり、勢いよく車庫を飛び出した。
行く当てなど特に決まっていない。むしろどこでもよく、出来れば遥か遠くまで行きたいと思い立った刹那、海を越えよういう考えが頭に過った。
確か高松ジャンボフェリーの最終便は午前一時。どれだけ遅くてもたどり着ける。
国道へと差しかかり、東へと指示キーを出した。
途中、信号待ちで立ち止まった時、並列した車の後部座席から笑顔でこちらへと視線を向ける子供に手を振って返してあげたり、塀の上でまどろむ猫の姿に癒されてみたり、はたまたコンビニの前にたむろする若者に舌打ちをしてみたり…。夏の湿った風が心地よく、テールランプがやけに眩しく闇に映し出されている。
このまま国道を突き進んでいくと、遠くに霞む街の明かりと、その向こうには悠然と連なる光の正体は瀬戸大橋。蘇ろうとしたあの日の思い出を掻き消すように、アクセル音を高らかに、道を進ませ続けた。
街を越え、トンネルを越えると、高速の陸橋が遠くに見えてきた。既にここは高松。フェリー乗り場まで後もう少しである。
すぐ様、陸橋が頭上に迫り、それを並行した道を走っていく。そこは飲食店のネオンが眩しく、時間もまだ早いせいか歩道にはちらほらと人の影、道には車の数。
この先の交差点を左折し、しばらく道なりに進めばフェリー乗り場までたどり着く。信号はタイミングよく青に変わり、心地よく左折する。
どれだけバイクを走らせただろう。ある大きな交差点に差しかかり、信号は赤。
『この先フェリー乗り場』という看板が目に止まった。
『海を渡った後、僕はどこに誘われ、何が待ち受けているのだろう…。』
仄かな期待と不安に心躍らせながら、信号が変わるのを待っていた。
ふと、遠くから激しいクラクションが鳴り響いている。そんな事など今の僕にはどうでもいい。前途洋々、順風満帆にフェリーへと乗るだけなのだ。
信号は青へと変わり、僕は未来を紡ぐ為にアクセルを絞り、交差点へと侵入したや否や…。
右側からヘッドライトの存在が妙に眩しい。それに違和感を覚えた僕は、ふと視線を向けてみると、そこにはこちらへと迫り狂うダンプの姿が垣間見え、僕はアクセルを絞った。
激しいクラクション。迫り狂うエンジンの熱。塩の匂い、乾いた風。誰かの悲鳴と、こちらへと笑顔を向ける椿の記憶。その瞳、長い髪、華奢な身体。そして、暖かな温もり…。
僕はバイク諸共、宙に飛ばされていていく中、椿と僕が談笑し合っているシーンを見た。何故か痛みはなく、風は心地よい。
僕はきっと笑顔で逝けたと思う。
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