第35話 最終章 残されていた手紙
『留守番電話サービスセンターへ、接続いたします…。』
彼が出ると思ってかけた電話から、いきなり電子ガイダンス音が流れてきた事に驚きを隠せなかった。これまで圏外や留守電に繋がった事がなかったから尚更である。
不可思議さを抱きながら、伝言を残した。
「ダーリン、お久しぶり。椿です。えっと…、この留守電を聞いたら連絡を下さい。」
彼と連絡をしなくなって一カ月が過ぎたその間、私は七月の講演の為、一心不乱に稽古に打ち込んだ。
先輩方の御心沿いで企画された私達、新入部員だけの初舞台を必ず成功させたいという熱い想いがあったからこそであり、別に彼から指摘された言葉に触発されたものではない。
勿論、夏季テストの勉強も懸命に勤しんでいて、文武両道の多忙な日々を過ごしている中で、待ちに待った合宿日当日を迎えたのだった。
滋賀県の山間にある静かな施設。一泊二日と少し短く思わなくもないが、一つ屋根の下でサークルメンバー達と、血よりも濃いものを築き上げるべく、大切な時間を過ごした。貴重な時間は刹那に過ぎ去り、翌日京都へと舞い戻ったのだった。
実は、皆に公言していない秘め事があり、それもこの合宿の醍醐味の一つであった。
先月、彼と会った数日後の出来事。稽古が終わり、帰宅しようとしていた私は、部長に呼び止められ、稽古場に残っていた。
誰もいなくなった稽古場に私と部長の二人ぼっち。これから何を話されるのかと思い、高鳴る胸を押さえながら待っていると、まさかまさか、部長から愛の告白を受けたのだった。
本当に予期していない事が身に起こった時、人は思わぬ行動や判断を仕出かしてしまうのは本当らしい。彼と付き合っているにも関わらず、私はその愛の告白を受理してしまったのだ。
単純に嬉しかった。確かにそうなのである。しかし、彼との関係を解消する前に受けてしまったという破廉恥極まる自身の行動がいささか信じられず、どうしようもない想いを抱きながら数日間過ごした。
もしかするとあのメールを彼へ送信し終わった時、私の中では彼との関係を解消したと感じていたのかもしれない。だからこそ、咄嗟に部長の告白を受理してしまったのかも…。
こうして不本意にも私と部長こと、東薫さんとの恋愛が始まり、サークルや、それ以外でもよく落ち合う中で、関係はより深さを増していく。
公言していない理由は、何らかの誤解や偏見を受けない為。それは薫さんからの提案であり、私もそう思った。
彼と連絡を取り合っていたのならここまでにはなっていなかったのかも知れないが、何の連絡もなくなったあの日から、彼との記憶、温もり、存在は心から急速に薄らぎ消えていった。
そして合宿を終えた次の日の夜、正式に彼へと別れを告げる為、薫さんとのより良い関係を深める為に、意を決して彼のダイアルを鳴らしたのだった。しかし、彼は電話には出なかった…。
もしかすると、恐ろしく察しのよい彼は、私からの決断を恐れて無視しているのかもしれない。もしそうだったとしても伝言を聞いた彼の性格上、次の日くらいに連絡してくるだろうと高を括り、これ以上何もせずに私は眠る事にした。
次の日も、また次の日も電話は鳴らず、それよりも間近に控えた夏季テストに意識を奪われていた私は、電話の事など忘却していた。
そして無事夏季テストを終えた。この日はテストの疲れを癒す為、稽古はお休みとの事。
明るい時間に下校するなどいつからしていなかったのか。一人、帰路を歩く中で彼の事をようやく思い返したのだった。
伝言を残したあの日から早一週間半。一度も鳴らなかった彼からの電話。
私は何故か不安感に苛まれ、急いで帰宅し、業務時間であるとは分かっているが、再び彼の電話を鳴らした。すると…。
『おかけになった電話は、お客様の御都合により、かかりません…。』
「えええっっ!!!?」
一体全体訳が分からず、私は狼狽える事しかできなかった。
同年代である友人の携帯からはこのガイダンスを聞く事がしばしばあるものの、彼の経済力からして携帯が未払いであるなど考えられない。もし、電話番号が変わったのなら、このようなガイダンスではない事など知っていたから余計に困惑したのだった。
お店に直接電話をするという方法もなくはないが、それだけはしたくなかった。何故なら、連絡を閉ざす提案をした私が、彼の心臓部である職場へと電話をする。それ即ち、私から歩み寄る形になるからである。自尊心のようなものが働き、それは避けたかったのだ。
しかし、彼の事をよく知る者の連絡先など思いつかず、右往左往している中、一人の人物に思考はたどり着いた。
そう、ラスクの存在である。
五月のあの日、私に見せたラスクは明らかに異常であった。彼へは優しく接していたが、私には明らかに冷たい視線を向けたラスク。
結局、あれから連絡がない事がやはり異常さを浮き彫りにしている。私と連絡を止めた刹那、もしかするとラスクの方に何かしらの連絡を施した可能性は十二分に考えられる。
私は迷う事なく、ラスクの電話を鳴らした。
「はい…。どうしたの?」
「あ、ラスク。お久しぶりっ!!元気にしてたぁ?」
「うん、学校が忙しいけど元気にしてるよ。で、どうしたの?」
やはりどこか歯に詰まったような物言い。私は気にせず言葉を続かせた。
「いや、あのね。単刀直入に聞くんだけど、黒木さんからの連絡、ラスクにあった…?」
「何言ってんのアンタ。意味が分からないんだけど。」
そんな事を言われて、苛立つラスクの心情に無理もない。それを分かった上で、敢えて私はラスクに電話をかけたのだから。
「ラスク、冷静に聞いてね。実は私もあの日から黒木さんと連絡してないのよ。」私は、少しだけ嘘をついた。
「はっ!?どういう事っ!?黒木さん、あの日にアンタと幸せになるって私に言ったのよっ!?なのにどうしてっ!!?」
「うん、ラスク。実は…。」
彼とのお付き合いが始まった経緯から今に至るまでの出来事や心情。そして薫さんの事も包み隠さず語った。
「ふーん。そういう事…。」
まるで呆れ果てたように、ラスクは深い溜息を漏らしながら呟いた。
「あのね、アンタにこの際、言いたい事があるのよ。」
「な、何…?」
「私、アンタの事ずっと昔から見てて思ってた事あるんだけどさ、アンタ、男の事嫌いとか言いながら、弄んでるだけじゃない。」
一度言葉を止め、ラスクは息を吸った。
「確かに黒木さんをアンタに紹介したのは私だけどさ、付き合う話になるだなんて予想もしなかった。アンタの悩みを大人である黒木さんが聞いてくれると思ったから紹介しただけ。ただそれだけなのよ。」
「うん、それは分かってるよ。」
私の肯定に、ラスクは更に噛みついてきた。
「はっ?ならアンタ、何で黒木さんと付き合ったの?アンタ、男嫌いってずっと言ってたわよねっ!?何でっ!?それよりも、アンタ、何で今も他の男と付き合ってるのよっ!?男とか、結婚とかどうでもいい。プラトニックでいたいって、ずっと私に言ってたのは嘘だったのっ!?何なのよ、アンタっ!!」
私の頭の中は真っ白になっていた。ラスクの言葉に何一つ嘘はなく、地元にいる間、そうラスクに語っていたのだ。
高校を卒業し、自由を噛みしめた私は独自に歩を進ませ、いつしかラスクを裏切っていた。
実は、ラスクは黒木さんに密かな想いを寄せていて、彼の彼女となった私に対しての嫉妬心からあのような態度を見せていたのだと思っていたのだ。しかし、この言葉の意味から察する所、そのような浮ついたものではなく、深い反目の感情。
私の全身に衝撃が走った。
「ラスク、ごめんなさい…。私、私…。」
「まあ、いいわ。それよりも黒木さんの話ね…。店に電話かければいいじゃないの?」
私の謝罪も余所に、打ち出した当たり前の提案。やはりそれは避けたいとやんわり拒否すると、ラスクは言葉を詰まらせ、何かを思考するように沈黙した。そして…。
「うん、一度地元帰って、ベルベッドルーム見てくればいいんじゃない?外から黒木さんの姿見て、納得したらいいんだし。」
まるで他人行儀なラスクの返答。しかし残されている方法は最早これしかないと思った私は、すぐに相槌の言葉を浮かべた。
その後、特に意味のない無機質な言葉を交わして電話を切った後、母親へと電話をかけた。
『無事テストも終え、講演前にリフレッシュしたいから地元に戻るよ』
そんな偽りの名目を伝える為に…。
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