第31話 五 風任せの夢
どこを寄り道する訳でもなく、京都駅からそのまま新幹線に乗り、地元へとたどり着いたのはそう遅くない時間だった。
明日も仕事だからと言えばそうなのだが、今はただ、安息を求めて地元へと逃げ帰ったという方が正しいのかもしれない。
食べ物も何も買わず家路を急ぎ、まるで穢れを払うように長い時間を掛けてシャワーを浴び、寝支度を周到に整えると、恵比寿ビールを煽りながら此度、我が身に起った出来事を思い返した。
佐々木さんに久々逢えた事はとても嬉しかった。しかし、それは置いといて、まずは唯ちゃんの話。
昨日、梅田にて唯ちゃんと再会した際、椿に対して冷たくあしらうあの態度は何だったのだろうか…。
その後も物憂げな雰囲気を醸し出していたような気がしなくもなく、椿が部屋を離れた時、それとなしに探りを入れながら会話していた。
「椿とこうして関係を築けたのは唯ちゃんのお蔭じゃけん、本当にありがとうな。」 という言葉に、
「いやー、そんな事ないですよぉっ!あいつも嬉しそうで何よりです。」と、どこか照れくさそうな唯ちゃん。
「あ、そういえば、黒木さんは、今日はどこで泊まられるのですか?」
その問いに僕は何を思う事もなく、素直に応えた。
「椿の家に泊めさせてもらうよ。先月京都に行った時も泊まったけん、これで二回目なんじゃけどな、はははは。」
ほんの一瞬だけ唯ちゃんの表情が凍てついたのを見逃さなかった僕は、誤魔化すように言葉をおどけ続かせた。
「いやー、今まで色々あったし、これでようやく幸せになれそうじゃわっ!ホント唯ちゃんありがとなっ!はははは。」
唯ちゃんは少し寂しそうな表情を浮かべながら、「二人が幸せになるのならそれでいいです。はい…。」僕と視線を合わさぬように呟いた。
「でな、唯ちゃん…。」
その後、取り留めのない話で何とかその場をやり過ごしていると、遠くの方からどたどたと騒がしい足音がここまで近づいてきて、勢いよく扉が開かれたそこには何故か嬉しそうな表情を浮かべる椿。
ふと唯ちゃんを見た時、我が目を疑った。
椿を何故かきつい視線で睨みつける唯ちゃんの姿を見たのだった。
とりあえず何か言葉をかけなければならないと思い、「あ、お帰りー。お母さん、大丈夫だった?」と僕の声に、椿は笑顔で頷いていそいそと自分の席に戻り、料理に再び箸をつけながら天真爛漫に振る舞っていた。
結局、唯ちゃんから何も聞き出せなかったのだが、椿に向けたあの視線が唯ちゃんの感情全てなのだろう。僕に対して二人の幸せを願うと言っていたものの、つまるところ願っていないという話になる。
『それなら何故、椿にだけ邪険な態度を示したのだろうか…。』
宴をお開きさせた後、唯ちゃんが見せた謎の不安定。僕は平然を装いながらタクシーを呼びに行き、唯ちゃんをそのままタクシーに乗せた。
一見スマートな対応に思われるだろうが、この出来事を周りが納得せざるを得ない方法で、強引に終結させただけの、所謂大人の対応と申しても過言ではない。平たく言うと金に物を言わせただけに過ぎないのである。
そして京都へと帰る電車の中、唯ちゃんの事を気にかける椿であった。それは当たり前だろうし、そうでなければいけないと思うのだが、それが余りにも感情的すぎたのだ。
憶測が話を拗らせてしまう事を恐れた僕は、何を咎める事もせず、只々椿の言葉を聞くに徹し続けた。
『僕がいない時、椿は何を聞き、何を感じたのだろうか。それよりも唯ちゃんの思惑は如何に…。』
謎が謎を生んだ出来事を思い返していていると、ビールがなくなっている事に気がつき、冷蔵庫を開けてもう一本取り出し、栓を抜いた。
この出来事は話の分岐点に過ぎず、此度の着目するところはこれではない。言わずもがなではあるが、その翌日の話である。
大学にて、いつも椿から熱く語られていた部長を、僕と付き合い始めた時のような輝く瞳で対応する椿の姿。そして、サークルの合宿の話。
言いたい事だけを、なるだけ冷静に伝えたつもりである。しかし、過敏に反応する椿の態度がある確信を裏付けたのだった。
あのまま家を飛び出した僕の行動も大人気なかったかもしれないが、あのままそこにいると自分が壊れてしまいそうで仕方がなく…。
椿の演劇に対する深い想いは一向に構わない。そもそも、ずっと演劇をしたいという切望をかつて聞いていたのだから。
だが、これまでの椿の物言いでは、部長の為に、部長にいい印象を与えたいが故に演劇をやっているとしか思えない。
かつて僕へと確実についていた嘘を暴露した時に見せた椿の態度が何よりの証拠であり、全てを物語っているように思えた。
だからこそ僕は堪らずあの家を飛び出したのだ。
これから椿は僕への想いを消し去り、新しいシーンを築き上げていくだろう。
もしかすると既に消えているのかもしれない。否、大学へ入学した時から薄らいでいる事を察知していたからこそ、自ら強引だと思わざるを得ない行動を仕出かしたのだ。状況や出来事。記憶と温もりで椿をがんじがらめにさせる為に。
それが椿の心を遠ざけてしまう要因になってしまうと、心の奥底で密かに感じていたにも関わらず、恐れながらやってしまった。
そうしてしまわなければ、自身の猜疑心に押し潰されそうになっていたのだ。それだけ気持ちを切迫させながらも、何故椿に拘ったのかというと、ただ、人を信じたかったと言わせて頂きたい。
しかし、こうなれば後の祭りである。これから僕と椿の行く末など、物書き的観点から察すると火を見るより明らかである。
居た堪れない感情が相まって、温くなったビールを捨て、今度はいつもより少し度数の強いウイスキーを取り出し、感情のまま煽った。
胸の中が焦げるような感覚と、すきっ腹にはやはりヘビーな代物であるが、それがやけに心地よく、今は全てを忘却したかった。
ほどよく酔いが回り、リビングの時計の針は十二時を過ぎた所を指していた。
そろそろ眠りにつく頃合いだと思い、寝室へ向かおうとした矢先、部屋着のポケットからメール着信音が鳴った。ディスプレイには『椿』と記載されていて、僕は恐る恐る受信フォルダーを開いたそこには、このような文面が記されていた。
『夜分遅くにごめんなさい。
今日はあんな終わり方で私は悲しかったけど、ダーリンはどんな思いで今を過ごしているのかなと思ってメールしました。
出逢ってもう二カ月なんだよね。それは高校卒業して、二カ月経ったって事になる。短い時間なんだけど、すごい濃厚な時間を過ごしてるんだよ、私。新しい友達もできて、色々な事があって、そしてダーリンの事。
あ、ダーリンにはホント感謝してんだよ?多分すごいお金使わせてるって知ってるから尚更。
でもね、合宿は私行きたい。だって、私、高校の時からこんな感じの事、夢だったもの…。
ダーリンがどう思ってるのかは分かったし、私の言葉に嘘はない。七月の演劇祭を成功させたいから合宿には参加する。
それと、嘘ついてた事は素直に謝ります。サークル内で起きた飲み会を色々と行っていました。嘘ついてごめんなさい。
でね、今日の事もあって、私思ったの。お互いの感情を確かめる為にしばらくの間、連絡しない方がいいと思うの。うん、電話だけじゃなく、メールも。
優しくしてくれたダーリンの温もりから離れて、確実に気がつける事があると思うから、だから…。
このメールもダーリンを傷つけてしまうかもしれない。でもね、お互いの未来の為に敢えてメールしました。合宿が終わって、帰ってきた次の日に必ず連絡します。それまで待ってて下さい。お休み、ダーリン。』
嘘と衒いが入り混じる文面。酒による酔いも相まってか、僕は怒りの感情が迸り、携帯をベッドへと投げつけた。
僕と椿との関係が解消された事などこの文面から明白であり、それがいい意味で覆されるパーセンテージは限りなくゼロである。何故、そのような事を断定できるかというと、このようなメールをわざわざ送りつけてくる事自体が異常であると思うからだ。
どうなっていくかなんて分かっているから何の期待も沸かず、只々無意味で、一人幽閉された時間が訪れようとしている。そして一か月後、死刑宣告を余儀なくされるのである。
きっと椿の無駄な優しさからの執行猶予なのかもしれない。もしかすると、唯ちゃんの手前上、今すぐは別れられないと思ったのかも…。
ただ、明確に言える事は、公に椿と会う機会は二度となくなったという事である。
悔しいやら、情けないやら。複雑な心境を抱えながらベッドへと滑り込み、しばらくの間一人泣いた。
宵中に啜り泣き響く自身の声が惨めさを更に深めているような気がした。
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