第20話 三 あの日の嘘
休憩の二時間を経て、僕は入り口にある清算機の前で財布を開いていた。
椿はやけにテンション高く、僕の後ろで騒いでいる。それは人生初であったモーテルに興奮したが故なのか、それとも椿なりに考えた僕への配慮なのかは分からない。 ただ、ここへ入る前と比べると明らかに違う態度が気にかかった。
清算機へと金を突っ込ませていた時、椿から悲鳴にも似た叫び声が唐突に上がった。
「ど、どうした、椿!?」
椿は身体を震わせながら携帯のディスプレイを凝視していた。
「お母さんからの連絡が何本も入ってた…。」
僕は椿が何を言い出したのか分からず、訝しげな表情を浮かべた。話は続く…。
「何で気づかなかったんだろう、こんなに何本も入っていたのに…。」
「椿、ほんまどしたん?」
戦慄かせながら椿はディスプレイをこちらへと見せてきた。
「高速バスが事故して、炎上してるみたい。それで心配してくれて何度も連絡くれてたみたいなの。私、どうしよう…。」
「いや、どうしょうもなかろっ!?大丈夫じゃってメールしたらええやん。」
「こんな所でっ!!?」
睨みつけながら叫び声を上げた椿の態度に、僕はなるだけ優しさを装った。
「それよりも、お母さんを安心させる方がええと俺は思う。」
椿の表情に一瞬苦渋の色が見えたが、僕はそれに気がつかないふりをして軽く言葉を続かせた。それは椿の苛立つ心を緩和させるものだと信じながら…。
「嘘も方便って…、いうやんか?」
椿は何か意を決した様子で携帯を打ち始めると、すぐ様、着信音がなり、もう一度こちらへディスプレイを向けた。
『もう京都へ着いとんじゃなっ!!お母さん安心したわ☆体に気を付けて、頑張りなよ。遠くにいて、とても心配じゃけど、お母さん、祈る事しかできんけんっ!!』
敢えてこのメールを見せてきたのは椿なりの意趣返しなのだろうと感じたのだが、僕にはどうする事もできなかった。
「うん、姫路駅、送る。はよ京都帰り…。」
モーテルから駅までは、それほど時間はかかる事もなくたどり着き、その道すがら、特に会話もなかった事は言うまでもない。
駅の駐車場に車を止めた時、ホームまで送ろうとした僕を制止したのだが、「いや、送るけんっ!」と突っぱねて、トランクから椿の荷物を取り出し、半ば強引に駅の中へと歩を連ねた。
椿の切符を買う背姿をぼんやりと眺めている僕。通り過ぎる群集と、ここまで来た道なりの記憶と、疲れきったこの心。
切符を手にした椿は、張り付かせたような笑顔をこちらへと向け、僕は椿の側まで歩いていった。
「もうここでお別れしよっか。」
僕がそう言うと、椿は無言で頷いた。暫し何気ない会話を施した後、「じゃあね、ダーリン。」「またな、椿…。」と、軽く手を振り合うと、椿は改札を潜り抜けていった。僕は椿の背姿をいつまでも追い続けていたが、彼女がこちらへと振り向く事はなかった。
人込みに取り残されただけとなった僕は、酒を飲んでいないにも関わらず何故だかどうして煙草が吸いたくなり、近くにある売店で煙草を購入し、エントランス端にある喫煙所で煙草に火を着けた。
既に辺りは宵闇が迫り、駅の光が妙に眩しく映るのは何故だろうか。仰ぐように吹かした煙が辺りに散漫し、白く濁る視界がやけに眼に沁みる。
これからは闇と静寂が待ち受けている。僕は少し恐れにも似た感情に苛まれながら車内へと足を進ませていった。
愛媛へとたどり着いたのは丑三つ時。
全てを払い除けるように熱いシャワーを浴びて、僕は眠りについた事を敢えて追記しておこうと思う。
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