第19話 三 あの日の嘘

 龍野西サービスエリアの側を通り過ぎた時、すっかり街の景色の中に車を走らせていた。


 椿からは口数は減っていて、流石にもう疲れたのだろう。窓の外にぼんやりと視線を移すだけとなっていた。幾ら若いと言えども、愛媛からここまで散々喋り尽くしたのだから無理もないと僕は思った。


 これまでずっと椿好みだと思われる激しいサウンドを流していたのだったが、それをそっとダウンさせ、我が店でたまに流しているスローボサノバに曲をチェンジさせた。


 暮れなずむ夕暮れの街並みと乾いた風。気だるい雰囲気が漂う車内に、しっとりとしたガッドギターのスローな刻みが流れ始め、旅の疲れや心を癒していく。

 きっとこのようなスローテンポの曲など普段耳にする事はないのだろうが、今の状況ならしっくりきているはず。

 椿はシートに身を委ねさせ、まるで聞き惚れているかのように目をつぶらせながら旋律に耳を傾けていた。


「なあ、椿。一番初めにデートした日の事覚えとるか?」

「美容室で約束した一週間後の話でしょ?覚えてるわ、当たり前じゃないっ!」


 それは突然椿からバイクに乗せて欲しいと申し出があり、一週間後に約束した時の話である。その日があったからこそ今があるというメッセージを密かに込めた質問であり他に他意はなかった。


「そか、覚えてるならそれでええ…。」

「えっ?ダーリン、どうかしたの?」


 

 僕は何も言わず、ただ手で制する仕草を見せると、椿からもそれ以上の言葉は上がらず、お互いの間に再び沈黙が訪れた。


 いつの間にか街を抜け、ここまでの道なりで幾度目か分からない山中の自然溢れる景色。ただこれまでと違うのは、山々がまるで訪れる宵に対しての準備を施していると思うほど、木々が深い影を覆い始めていた。


『1㎞先、山陽姫路西インター出口』という看板が見え、カーナビの画面へと視線を向けたと同時に、時刻は四時二十四分である事を知った。

 山陽新幹線姫路駅はこのインターとその先の『山陽姫路東インター』の微妙な間にあるらしい。距離的には『山陽姫路東インター』の方が近いように思われるのだが、『山陽姫路西インター』で降りた方が道的には複雑ではないと、あくまでカーナビ画面上の主観ではそう思われた為、とりあえず山陽姫路西インターで高速を降りる事にした。


 椿は今何を考えているのか、進行方向の先にぼんやりと視線を向けている。僕は…、僕の心中は正直晴れる事のない未だ蟠る気持ちが燻り続けている。

 その原因は言わずもがなではあるが、自ら有耶無耶とさせた椿の話。

双方納得の上で話を治めたと思わせただけで、僕の心に莫大な影を憑依させてしまったのである。

 今日を穏便に終わらせたとしても、その影は心の中に滞り、再び電話だけのやり取りが続く中、椿からの話が心を絶えずいぶし、日々を脅かしていくだろう。

 このままいくと僕の予想した通りに事が進んでいき、最悪の結末でこの幕が閉じる事必死。


 椿の視線の先にある情景と、その心に、そして未来に僕の居場所はあるという可能性は…。


 いつの間にか目の前には西インター出口の看板が見えていて、左指示キーを出し、ETC出口をすり抜けた。入り組んだ道を進んでいくと山陽姫路西インター東という交差点に差し掛かり、左方向へとしばらく道なりに進んでいく。

 カーナビによると、ここから姫路駅へは約十六キロ。幾カ所か道を曲がるだけの岐路であり、多分一時間も経たない内に姫路駅へたどり着く。


 その間に、椿に対して何かしらのアクションを起こさなければならないのだが、既に言葉も、話題さえもなくしてしまった今、僕の頭の中には椿へと浴びせかける一刀両断の言葉しか思いつかなかった。


 ここ姫路西バイパスの側は何の変哲もない田舎道が続き、その先にある太子竜野バイパスを東へと進んでいくと姫路市内入りするらしい。


 T字路に差し掛かり、左折し、市内へと続く道を淡々と進ませている中、車窓越しに一際目立つ看板が目に飛び込んできた。


 椿に是非を問うにはこれしかなく、また、自身の心を伝えるにはこの方法以外にはないと、文学者にはあるまじきほどの切羽詰まる心境に追い詰められていた。


「椿、まだ時間あるか…?」

「えっ?あるけど…、何?」

「なら、モーテル…、よらんか?」

 椿は表情を深く曇らせた。

「な、なんで…?何でそうなっちゃうの…?」

 僕の心中には既に迷う心はなく、あたかも当たり前のような口調で言葉を発した。

「時間あるんだろ?俺とできん理由ってあるん…?」

 椿からそれ以上言葉はなく、ためらいがちにためらいながら僕の横顔を只々眺め尽くすだけ。

 僕はそれに何も応えようともせず、車をモーテルへと走らせていた。

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