第12話 二 邂逅と戸惑い
私達はJR京都駅内の新幹線改札口付近にあるカフェにいた。
どうやら彼は十八時台発の新幹線に乗るらしく、それに合わせてここへと訪れたはずだったが、まだ出発まで三十分以上あるとの事で、たどり着いたところの側に丁度あったカフェで時間を潰そうという話になったのだ。
ガラス細工を並べた棚が玄関辺りにあり、白い壁紙で奥行きの広いカフェ。真ん中辺りのテーブルへと誘導され、彼はホット、私はダージリンティにチョコレートケーキを注文した。
カップルと思われる男女の楽しそうな談話が左右両側で繰り広げられて、これから離ればなれになる私達のロケージョンには決して似つかない場所だと思いながら何気なく辺りを見渡していると、注文した物が運ばれてきている事に気がついた。
テーブルを挟んだ所にいる彼は、心配そうにこちらへと視線を向けている。
「椿、どしたん…?」
「いや、何でもないわ。うわぁ、美味しそうっ。いただきまーすっ!」
誤魔化すようにダージリンにミルクと砂糖を入れ、チョコレートケーキを大きく口の中へと放り込んだ。
少しビターなチョコと、生クリームの味わいがほどよく中和させている甘味。ダージリンを口に運ぶと、ミルクと砂糖に負けていない茶葉の風味が口いっぱいに広がった。
「お、美味しい…。」
満たされた至福感はきっと表情に出ているのだろう。「そか、ならよかったな。」と、彼は満足そうな笑みを浮かべながら、カップを口に運んでいた。
ダージリンの表面に霞む照明の光を何となく見つめていると、この二日間で私に起こった全ての事が、走馬灯のように脳裏へと駆け巡った。
地元に残した彼を京都駅で見つけた時の胸の高鳴り。憧れていた哲学の路で、歩きながらした何気ない会話。最終地点で見た深い夕焼けと彼の温もり、初キッスとその後の出来事…。
人生初である出来事ばかり。これまでの全てを塗り替えられたと表現してもよいこの京都日和は、これからの私にどう影響していくのだろうか。
確かに大好きな彼である。でも、これまで護ってきた大切なモノを僅か一日にして覆させられたこの殊更の是非は…。
そんな自分に戸惑いを覚え、感情を流すようにダージリンを一気に飲み干し、チョコレートケーキにフォークを突き刺したその時、
「あっ!!」と、彼から素っ頓狂な叫び声が上がった。
驚いたのは私だけでなく、周りの者達の視線が彼へと一斉に向けられていた。それを気にする訳もなく、只々焦りながら言葉を続かせた。
「桜、新幹線が来る十分前になっとるっ!!」
「えっ!?マジっ!?」
彼の声より何より、流れる時の早さに驚いた私は、刺したフォークもそのままに席を立ち、素早く支払を済ませて店を後にした。
荷物を持つ手の反対で私の手を握らせ、改札を駆け抜け、エスカレーターを駆け上ったそこには、人の群れがごった返す新幹線プラットホーム。これまで幾度なく新幹線に乗った事があった私でも、ここまで人込み溢れるホームを見た事なかった。
彼はその人込みを掻き分けながら路を切り開き、搭乗口までたどり着いた時、天井からぶら下がる時計の針は新幹線がたどり着く五分前を射していた。
「いやー、間に合ったよっ!よかったぁ…。」
彼は膝に手をつき前のめりの体勢で、安堵の息を漏らしながらそう呟いていた。相変わらずの人込みに、私はドギマギさせながら彼のその様を見つめた。
「ダーリン、京都まで来てくれてありがと…。」
彼は顔を上げ、私へと視線を向けた。
「いや、椿。俺の方こそ、ありがとな。本当楽しかったわ。遠距離じゃけど、いつまでも一緒におろな…。。」
まるで奥歯に何かを詰めたような笑顔は、彼の照れ隠す時の仕草である。私はそれに無言のまま頷き返して、意味なく視線を別に移した。
空は暗く、京都の街はすっかりと闇夜に包まれている。駅の光はこの場にいる群集の歓喜余る姿を鮮やかに照らしている中、ふと、私達の間だけが止まっているように思えた。
私が抱く夢、人生は始まったばかりであり、彼が描く夢の中の私は、どこに誘われようとして、私達の最終はどこに治まるのだろうか。
これから起こりうる出来事の予想などできやしない。しかし、ここ京都でやりたい事、思い描いている事が山積している中、彼の存在は私の中でどう生きていくのだろうか…。
やはり今は分からず、思ってみてもただ虚しいだけ。なる様にしかならない。それより今は彼との別れの場面である。私はそう思い返して深く息を吸った。
彼は無表情のまま、背中から醸し出される雰囲気は淋しげで、どこかぼんやりと視線を浮かべて立ち尽くしている。それは古い映画のワンシーンのようで、それに応えるべく、私は彼の背中をそっと抱きしめると、無言のまま両手を後ろに私の腰回りで絡めてきた。
刹那の時が私達をそっと包んでいた。
また逢える事は分かっている。でも、この温もりが離れようとしている今にどこか淋しさを覚え、どうしようもない感情が雪崩のように私の胸の中に押し寄せてきた。
「ダーリン、GW必ず愛媛へ帰るから、それまで…。」
「わかっとるよ。離れとっても、心はずっと一緒におるけんな…。」
互いにそう言葉を交わし終えた時、突如後ろへ振り向いた彼の唇が私を捉えた。
それは何が起こったのか分からないほどの一瞬の出来事で、周りにいる人達にも気づかれていないだろう。目を見開かせたままの私の視界に、してやったりと言うような彼の表情が写った。
『一八時五十三分発、のぞみ二十五号博多行きが、間もなく到着します!』
何故か気合入る男性のアナウンスがホームへと鳴り響くと、車両と車両を軋ませる心地よい音と、ブレーキをかける甲高い音を上げながら新幹線がホームへとたどり着いた。
『プシューッ』という音がして自動に扉が開く。荷物を手に取り、デッキへと乗り込んでこちらへと視線を向けた彼の表情は、何の曇りもない晴れやかな笑顔だった。
「椿、またな…。」
その言葉が耳に届いた時、私の眼から涙が零れ始め、一瞬にして頬を激しく濡らしていった。
何とか笑い返そうとしたのだが、高ぶる感情によってうまく表現できない。小刻みに震える身体を自ら抑え、喉を詰まらせながらも何とか言葉を這わした。
「ダ、ダーリン…。げん…きで、ね…。わたし、寂しく…、なったら…すぐに電話するか…。」
『プシューッ』
まるで二人の間柄を遮断するかのように扉は閉じた。
窓越しに何かを叫んでいる彼の声は既に私には届かない。しかし、口の動きから『ツバキ、アリガトウ』と言っている事は理解できた。私は泣きじゃくる顔を何とか笑顔に変えて、大きく一つだけ頷いて見せた。
遂に新幹線がゆっくりと動き始め、目の前にあった彼の顔が、段々と流され消えていく。
彼はきつく表情を歪ませ、後方へとずらす視線とぶつかった時、懸命に身体を走らせた自分がいた。
しかしそれは束の間で彼の姿は一瞬にして視界から消え、車両が私の横を勢いよく通り過ぎていった。
新幹線が去った今でもホームには群集がごった返していて、アナウンスの音や付近で喋っている会話の声がやけに煩わしく思った。その場からすぐに離れたいと足早に路を進ませながら涙に濡れている頬をハンカチで拭ったその時、改めて気がついた事…。
『あれ?涙が止まっている…。』
不思議な感覚に陥り、ホームの先へと何気なく視線を向けると、雨の香りを乗せた風が私の長い髪を靡かせ突き抜けていった。風の行方に視界を奪われ、ふと我に返った時、騒がしいアナウンス音や物声が私を現へと引き戻した。
「私、何やってんだろ。ふふふ…。」
そう一人ごちながら階段を降りようとしたその時、バッグの中から携帯音が上がった。きっとそれは彼からのメールだろうと思い、何故か今は確認しようという気が起きなかった。
家路の地下鉄の中、スライドフォルムのように過ぎゆく闇を眺めながら、私はぼんやりと考えていた。
『妥協と徹底の関係…。』
本来なら幸せな気持ちでいなければならないのだろうが、私の心中は正直複雑だった。
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