第6話 一 あの日の僕、そしてこの空の下で…。
深夜に差し掛かる中、何とか依頼された文章を書き終える事ができると、それを再確認し、PCをダウンさせた。
冒頭にて説明しているのだが、これはあくまで副業。
帰郷して間もない時、何となく市報を眺めていたその端に『記事制作者募集』という欄を見つけた時、僕の手は意識せずとも電話のダイヤルを叩いていた。
そして、市役所広報課へと出頭せよと申し出があり、そこで大阪で過ごした文学人生のかくかくしかじかを出し惜しみなく語り尽くすと、面接官から熱い握手を施され、市報と契約書を目の前に、すぐ様仕事内容の説明に至った。
それはこの地域で催しを取材し、記事にまとめた文章が我が地方自治体が発行する市報へと記載されるという何とも名誉ある仕事である…らしい。
市から与えられたその仕事に対し、両親や親類は大層喜んでいたのだが、かつて僕の文章を散々けなしていたのは事実。
それを思い出すと決して共に共有する気分には至らなかった。
それはいいとして、地方自治体から貰い受ける仕事のギャラは一枠(いちわく)にして5千円という『viva大阪』の仕事と比べると格段に安く、経験者からしてみると、割のいい仕事ではないが、むしろそんな事などどうでもいい。
文学に触れている瞬間がとても幸せであるこの文学馬鹿一代と、そこそこの経験があり、尚且つ低コストで注文できる市側との思惑が満場一致しているのだから、結局は誰も何の損をしていないという話で落ち着くのだ。
二月に一度、こうして依頼を賜り続け、今回は山之江高校演劇部が先日シティホールにて開演した喜劇「次はお前の番だ!!」に対してのコラムで、先週前半に市の広報部から依頼書と共に、招待券が添えられた封書が届いていた。
『viva大阪』の仕事の大幅は舞台の取材であったが故、この依頼を頂いた時、僕の胸は大層高鳴り、何より本気で取り組もうという意欲に刈り起たされていた。
という事で、その演劇を先日見に行ったのだが、これがまた素晴らしい演劇内容で、キャストはもちろん素人高校生な訳なのだが、演技はまるでプロ顔負けの技術を絶えず繰り出していて、僕自身、思わず舌を巻いて見入ってしまうほどであった。
脚本内容はというと、演名からハードボイルドな内容なのかなと思いきや、とある青年が高校に入学し、男女問わず心から喜びを分かち合うソウルメイト(劇内では『たまとも』と表現していた)を創る為に、笑いあり、涙あり、時には憎しみあい、そして肩を叩き、励ましあいながら高校生活を過ごし、卒業式がクライマックスで、超大どんでん返しのオチがあるという、青春痛快友情物語であった。
内容の細々した色濃さはさておき、たまに織り交ぜられているシュールレアリズムが堪らなくいい。ライティングも多分かなり話し合って設定されていたのだろう。
時には真紅に包まれ怒りを表現したり、暗闇の中、3本のピンスポだけで心の切なさや孤独を照らすという、まさにニクい演出ばかりで、『これは電波に乗せておかんとあかんで!!』と幾度になく呟いてしまうステージングを表現していた。
まあ、これはシティホールスタッフによる正真正銘プロの演出なのだが…。
そして音楽。自身もよく知る人物が実は作曲をしていて、その方の作曲センス然り、実力も十二分に知っていた事から、逆に『まあ、普通に良いよね』と感じざるを得ない。
この間、この方と共に飲んだ時に、ゴジラの着ぐるみを身にまとい、踊り狂って周りの客へと突っ込んで行った出来事が記憶に新しい事から、音楽の事に関してだけ、皮肉たっぷりのパントマイムジョークを表現してやろうかなと思ったのだが、然る後に訳の分からない嫌がらせを一年かけて受けても困るから、思わず恐怖に止めた事はここだけの内緒である。
そんな演出全ての内容から感じた想いを丁寧に、お洒落に、綿密に、そして信憑性に決して欠ける事なく、未だ心から消えない臨場感を、このコラムの読者へと伝えるべく、ワードへと書き込めながら、僕は今宵を過ごしていた。
そうして記事を書き終えた後には、必ずと言っていいほど何故か酒が飲みたくなるのだった。
記事を書くアトリエはいつも和室で、その隣には広々としたダイニングがあり、その奥にはまるで世の中の奥様方がきっと羨むような悠々自適なキッチンがある。
その他にも部屋があり、まるで寂しさを紛らわすように置かれているモンステラと、ふてぶてしく空間にたたずむセミダブルベッドが存在するだけの寝室がリビングを出た北側にあり、廊下を進むと東側に連ねて二つの部屋がある。
一つは趣味でやっている音楽の機材と、中学生の時から買い続けていたCDと、手放す事なくそのまま読みっぱなしの小説や新書が所狭しに置かれている部屋が存在し、その隣はただ単に日当たりがいいという事で、洗濯物を干すだけの部屋がある。
所謂一軒家で、僕は一人で住んでいた。
何故かを問われると、更に聞くも涙、語るも涙の物語をおおよそ一週間余り語らなければいけないほどの情報量なので、今は語らずとして敢えて伏せておこうと思う。
キッチンへと足を運ばせ、馬鹿ほどでかい冷蔵庫を開けた。
少しの調味料と、アンプル剤と風邪薬。そして、お気に入りの恵比寿ビールだけが存在するという我ながら理想的な冷蔵庫である。
貪るようにビール缶を鷲掴みし、徐にピンを外し、そして感情のまま牛飲する。
感情が最高潮なのか、単に酒を欲してる欲望が勝っているのかは我ながら分からないが、一人一気飲みを見事に完了させて、次はジョッキ焼酎(焼酎をスリーフィンガーほど入れた後、午後の紅茶ストレート)を作り、換気扇の下で大好きなハイライトメンソールを吸いながら、酒を飲むのがとてつもない至福の瞬間であった。
さらに文章を仕上げた後の征服感に似た感覚があるなら尚更である。
それらを貪り終えて和室件アトリエに戻り、再び彼女の笑顔へと目線を向けた。当たり前に変わらない笑顔が僕の心を幸せにさせて、また再び窓の外へと視線を運ぶ。
多分明日は雨なのだろう。外気は湿気に満ち溢れ、やけに霧薫るこの街の雰囲気が好きだ。
季節には四季折々の表現が存在し、今は春。『春眠暁を覚えず』という昔の言葉がよく似合う訳で、先人の言葉が胸に沁(し)みる。
僕は、いつもはしないのだがふとそんな気分になり、アトリエの窓際で煙草を銜え、中学生の時から愛用しているキンピカのジッポライターで火をつけた。
吐く煙に切ない溜息を馳せて、いつも変わらない景色に自身の影を重ね合わる。壁際の無邪気な笑顔と、何も変わらないこの街と、そしてどうしても変われない、変えられないこの熱く下らない童心の…。
この瞬間、どうにか何とか居た堪れなくなり、僕は徐(おもむろ)に紙とペンを手に取った。
四月に再会した際に今のこの想いを形に残し、伝えたいと思ったからだ。しかしこの時だけは想いがこんがらがり、一向にペンが進む気配がない。
酒を飲もうが、煙草を吸おうが、立ち上がっては一人組み体操をしようが、ベランダへと焦り出て、いくら叫んでも返るは心の中に響くこだまと、向かいの住人の「こんな時間に何だーっ!!!」という怒鳴り声が聞こえてきただけで、全くもって言葉が降りてこない。致し方なく感じた僕は観念し、ペンを放り出してその場へと寝転んだ。
元々物を書く時、部屋は隣の間接照明を一つ付けただけの状態なので、アトリエ内は薄暗く、やけに静かだ。
PCをダウンさせた今、光の届かないこの部屋は何も見えなくなり、天井へと貼りついているような漆黒の闇をただぼんやりと眺めていた。
すると、まだ数回しか逢ってはいないのだが、確実に刻まれた記憶の中の彼女の姿が、まるで8mmビデオでスクリーンに表現されているような映像が流れるように映し出された。
助手席で見せたはにかむ笑顔、雑貨屋へと行った時の驚きの笑顔、海を二人眺めた時の穏やかな笑顔、帰りの車で見せた愛しい笑顔、別れ際に思わずおでこにキスした時に目を見開いた後の笑顔と、そして恥じらう姿…。
しばらくはその映像を懐かしむように眺めていると、ふと一つのワードが頭に過ぎり、突如跳ね起きてペンを握りしめた。
この感情を表現するのにセンテンスを用いる必要もなく、全ての想いを凝縮させた潔いワード。
これに想いの丈全てを込め、僕は感情のままペンを走らせた。
『 アナタ…。 2013・3・28 クロキコウキ 』
書き終えると何故か涙で頬が濡れていた。
溢れる感情が優しく施した暖かな涙。ここ数年間、凍てついた涙しか流した事のなかった僕には、どうすればいいのか、どうしたらいいのかさえ分からず、一人泣きじゃくるしかできなかった。
四月にまた逢える。逢えた時にまた、着飾らず素直に『愛している』と伝えよう。
そう思いながら涙を拭い、再び煙草を銜えて闇に佇んだ。
時計の針はどうやら深夜を指している。明日の予約状況は確か朝の内だけはノーゲストである為、朝早く出勤しなくてもいい。
酒に心を酔わせて、豊かな心のまま眠りにつこうではないか。
今宵寂しさにキスした時のような感覚には陥らないと、僕は素直に思えて煙草の煙を吐いた。
それに溜息は含まれていなかった。
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