第37話 最終章 残されていた手紙
『拝啓 雨宮椿様
季節は初夏。これから暑い夏が訪れようとしております。連絡が途絶えて、早1か月が過ぎようとしておりますが、どうお過ごしでしょうか?きっと文武両道の多忙な日々を過ごされているでしょう。きっと…。
私は貴女の事を思い出す隙を心に与えぬよう、毎日を必死に刻んでおります。夜遅くまで物語を書いても、次の日何とか身体が動くのは、身体が丈夫な証拠かと、いいのか悪いのか。
最近、貴女と始まったあの日々の事をよく思い出してしまいます。貴女をバイクに乗せて、私がよく行く居酒屋で食事をした時の事から…。
私と随分歳の離れた貴女の姿を見て、驚愕しつつも、鼻を伸ばしながら対応していたマスターの顔を思い出し、今でも綻んでしまいそうになります。
食事の味に感動して、盛り上がる会話の中、ついつい門限を忘れてしまっていた貴女の、その焦る横顔に密かながら見惚れてしまっていた私。
店を飛び出し、再びバイクに乗り、帰り道の最後の交差点。私の背中に広がったヘルメット越しの貴女の温もり。その時から私は貴女に想いを馳せ始めたのだと、今となればそう思います。
そして様々なメールの中で再び逢う約束をし、再会を果たしたあの日は確か雨模様でした。
貴女は海が見たいと言い、隣街にある私のお気に入りの場所へと連れて行った時、ロケーションが某アニメのようだと歓喜した姿。車から降りた時、先ほどまで降り注いでいた雨が止んだ事に驚いた姿。砂浜へと歩を進ませている中で、一面に咲き乱れている華を見た時の姿。
砂浜へとたどり着き、これからどうしたらいいものかと思いあぐねていた私へそっと近づき、腕を絡めてきた貴女に、私の鼓動は張り裂けそうになってしまっていた事を気づいていたでしょうか。
そして貴女は「貴方とお付き合いしたい。これから過ごす時間の中で、私をもっともっとドキドキさせてね…。」と呟きながら、私に見せた太陽のような笑顔を片時も忘れた事はありません。
再び逢う舞台は京都でという約束を残し、貴女は京都へと旅立っていきました。
私は貴女との約束をどう果たそうかと思考しながら日々を過ごし、そして4月第3日曜日。貴女と京都で再び出逢う日がやってきました。
貴女はどのような顔を私に向けるのかと、半ば心配気味だったところ、天真爛漫に私の元へと走ってきた貴女の姿を見て思わず安堵しました。まあ、勢いに任せて突っ込んできた事に驚愕しましたが…(笑)
その時歩いた哲学の路がこれまでより素敵に思えたのは、きっと貴女が隣にいたから。路の終わりで見た空の赤さと匂いと、貴女のたどたどしい唇。そしてその夜の事…。この全ては大切な宝物として私の中に刻み続けていきます。
次の日、学校を休んだ貴女と朝食を終え、上賀茂神社へと参拝した時、昨夜描いた未来の地図を、二人の永久を絵馬に写しました。私はこの時、貴女の手をきつく握りしめたのは、嬉しさの余り咆哮しそうになった感情を抑える為。それに他意はありません。
この時点で貴女は私の事を冷め始めていたのかも。いえ、もしかすると京都へ引っ越しと共に、貴女の気持ちも遠くに行ってしまっていた。当たり前の話です。それは何故なら、若い貴女にはまだまだ見えていない事の方が多すぎるが故、いとも容易く心変わりをするものなのです。嘗ての私もそうでしたから…。
考えなくても分かる事に私は目を潰してしまった理由。多分田中唯ちゃんから聞いているとは思いますが、私は、一人の女性を幸せにして差し上げられなかった過去があるのです。
その代わりと言ったら貴女には大変失礼な言い方ですが、今度こそ一人の女性を大切にしたい。愛し抜きたいと、その想いを骨に刻み、必死に頑張っていたつもりであります。
しかし、若い貴女には届かなかった。寧ろ、いつしか私から目を背けるようになってしまいました。逢う度に光が失われた目で私を見る貴女の姿に一人困惑の極みでありました。
それに気づいていたものの、ただ、口だけで喜ぶ貴女の姿を鵜呑みにするしかできなかった。それは今申し上げても後の祭りだという事は重々承知の上であります。申し訳ございません。
それと、もう一つだけ貴女に謝らなければならない事があります。
6月の第1日曜日のお話であります。実は、貴女の顔を一目見たい一心で、京都へと行ってしまいました。
京都地下鉄駅で北大路への切符を購入した時、それは偶然だったのか、はたまた必然だったのか。貴女と部長さんが楽しそうに肩を並ばせて私の側を通り過ぎて行きました。初めは目を疑ったのですが、お互いが呼び合う名前で確信したその時、私の中の全てが、ガラガラと音を立てて崩れていったのです。
何もかも時、既に遅し。私が何を申し上げても、貴女の心には届かない事や、もう貴女と私が再び顔を合わさない事など、充分理解せしめております。
この手紙を見ているという事は、無事合宿から戻られたという事ですね。お疲れ様でした。明日、私に連絡を頂けるという事でしたが、もうその必要はありません。
もう、貴女にこれ以上辛い想いをさせない為に、私はこうしてペンを取ったのですから…。
最後に一つだけ、伝えたい事があります。
貴女の事を心から愛していました。それと、貴女の未来に、どうか幸あれ…。
2013・6・3 クロキコウキ 』
私の頬はいつの間にか涙で溢れ返っていて、家族にばれないよう、声を殺して啜り泣いた。
彼は合宿日前にこの封筒をポストへと投函し、私が帰ってくる当日に届くようにしたかったのだろう。しかし予期せぬ事故により、そうする事はできなかった。何も知らない私は、のこのこと一人地元へと戻り、真実を知り今に至る。何となく不甲斐ない自分に今はただ、泣く事しかできなかった。
自殺ではなかった事は内容から明らかであり、ほうと息を漏らしたのだったが、この胸の中にある妙な安堵感の正体は、不謹慎ではあるが彼と折り合いをつけられたという事。何より彼はもうこの世にはいないらしいのだから…。
次から次へと溢れ出す涙。空虚感、嫌悪感、安堵感。様々な感情が入り混じるこの涙は何色なのだろうか、自身でも分からないほど、心中も脳内も混沌の極みだった。
ただ、弔いの気持ちが一番であると信じたい。
思い返してみると、何故私達は始まってしまったのだろう。三十二歳の男性と付き合うという話自体が歪で、この二人だけの路はもしかすると初めからなかったのかもしれない。
ただ頬は放漫に濡れ、伝い、顎から滴り落ちる滴、滴、…滴。
彼が書いた文字が滲んでいた。
二人だけの路 おしまい
二人だけの路 岡崎モユル @daggers39280
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