第28話 四 適合と、不適合な過去
タッチパネル形式のシステムを導入している店は私も、そしてラスクも初めてらしく、興味津々にメニュー表を操りながらさわいでいた。それを優しい表情で眺めている彼。それはまるで仏のように穏やかなものだった。
一人暮らしで食べる機会がめっきり減った魚と野菜料理を中心にオーダーしていき、アルコールメニューを眺めていた私達に、彼は「君らはまだ未成年じゃけん。」という指摘の元、敢えなくソフトドリンクを選び、彼は生ビール。少し理不尽な感覚に陥った事はここだけの内緒である。
出会い頭に見せた雰囲気から大分砕けた様子のラスクであったが、言葉や態度の節々にやはり物憂げなものがある事を感じざるを得ない私は、若干テンション高めの演出でその場の雰囲気を和ますように努めていた。
まずはオーダーしたドリンクが運ばれてきて、それぞれに頼んだグラスに手をかけた。
「では、俺と椿の出逢いをもたらしてくれた唯ちゃんに対してお詫びするという事で…、乾杯っ!!」
重ね合せたグラスから冷たく甲高い音が鳴り響き、皆それぞれに少しだけ口をつけ、笑い合いながら宴はスタートした。
まずは三人が共通する話題を肴に、そして然程時間も経たない内にオーダーしたメニューがテーブルを埋めていく。運ばれてきた順番に箸を進めながら談笑し合っていた。
美味しい料理は笑いを産むとは誰の言葉なのか、それを理論づけるほど、何よりこの場が和やかな雰囲気に包まれている。従来私に見せていた表情に変わっているラスクを見て、そっと胸を撫で下ろした。
刺身、煮魚、季節の野菜サラダ。各種お握りと、私が愛して止まない鳥の竜田揚げ。嬉しそうに料理を貪る私達を、終始笑顔でお酒を嗜んでいる彼の姿と、間合いよくかけてくれる言葉。そして笑い声…。
宴も竹縄に進む中、ふと私のカバンから携帯が鳴り、ディスプレイには『お母さん』と表示されていた。
「あ、お母さんから電話だからちょっと外で話してくるね。」
私はいそいそと部屋を後にした。
「はい、もしもし。お母さん?」
「あ、椿?今何してるの?」
「うん、友達とご飯食べてるところなの。で、どうしたの?」
「あ、そうなの?いや、何してるかなって思って電話しただけなのよ。お友達と食事してるなら邪魔しちゃ悪いわ、じゃ切るわね…。」
そう言って電話を切ろうとした母に、「私だけじゃないから大丈夫だからっ!!私も丁度お母さんの声を聞きたいと思ってたの。」と呼び止め、少しの間、会話を続かせていた。
実のところ、私には思惑があった。
それは、ラスクが私に見せる態度と明らかに違う彼に対しての態度の真相に迫りたい。私がいない場所で、二人の間に何かが語られ、私が戻った後に醸し出す雰囲気が全てを物語るだろうと思ったのだった。
だからなるだけ時間を稼がなければならないと、取り留めのない話題を繰り広げていると、逆に母からの気遣いで電話を切った。
ディスプレイには『通話時間、三十二分三十四秒』と表示されていて、これだけ時が流れたのなら充分だと思い、呼吸を整えながら部屋に戻った。
「あ、お帰りー。お母さん、大丈夫だった?」と平然に言う彼のテーブル越しでラスクの表情は…。
彼から何かを語られたのだなと確信した。自分にも嘘をつくように平然を装いつつも席について、料理に箸をつけた。私が部屋を後にした時から然程減っていない様子の料理を…。
料理も大分なくなった時、「もうお腹一杯になったか?」と彼の声に私達は頷いた。彼は笑顔でタッチパネル上の会計ボタンを押すと、すぐ様部屋へと店員がやってきて伝票を彼へと渡した。
「唯ちゃん、今日はありがとな。また、三人で飯食おうな。再来年になったら、酒呑めるし、その時を楽しみにしとるけんなっ!!」
ラスクはとても嬉しそうに頷き、私達は部屋を後にした。
出入り口側にあるキャッシャーで彼はお金を払おうとしていると、財布を手に持ちながら彼の側へと寄っていくラスクを彼は優しくけん制していた。どこか納得のいかないような表情を浮かべながら店員から自分の靴を受け取り、玄関側に座ると、長い長い溜息を吐きながら項垂れて、何故か動かなくなった。
元より私に対しての態度がおかしく、私が一度席を外して戻った時、更に殺伐となった態度。一体彼と何を語ったのか…。
「ラスクどうしたの?」
私の声にどう応ずる事もなく、只々頭を抱え座り込んでいるラスクの身体は少しだけ震えていた。
私はどうしたらいいか分からず狼狽えていると、会計を済ました彼がこの場の異変に気がついた様子で、一杯の水を店員へと注文し、ラスクへとコップを差し出した。
しかし、「いや、大丈夫ですんで。そんなんじゃないんで…。」と、頑なに拒否しながら起ち上がろうとするが、力なくその場にへたってしまう。
「きっと、外の空気を吸えば元に戻るはずです…。」
苦しそうに呟くラスクの肩を、彼と私は支えながら外に出た。
辺りはすっかりと暗くなっていて、一面に散りばめられる都会のネオンと、陽気な声を上げながら通り過ぎる群集を疎ましく思えた。
「もう、大丈夫です…。ご迷惑をおかけしました…。」
確実に大丈夫ではないその言葉にも関わらず、何を思ったのか彼は支える力をふと離すと、ラスクはバランスを崩し、膝を割りその場に平伏せた。
「おい、椿。唯ちゃんを見とってな。」彼はそう言ってどこかへと走り去っていった。
しゃがみ込む女の子。困惑する私を気に止めず通り過ぎる群集。時折、私に茶化すような声をかける男性を睨みつける私と、その場に吹く乾いた風が都会の世知辛さを醸し出していた。
「ねえ…。」
ラスクのか細い声が聞こえた。
「何?ラスク…?」
下品なネオンと感じるからそう思うのか、ラスクは憔悴した表情を浮かべながら私に問いかける。
「今夜も黒木さんは…、あんたの家に泊まるのね…?」
「そ、そうよ…。何?」
ラスクの表情に苦渋の色が走った。
「そか、やっぱりそうよね…。あんた、ずっと私に言ってた事とは違うようになったんだね。そか…。」
その言葉に、今まで私へと見せていた雰囲気の全てを悟った。
男性に対しての嫌悪感を唄っていた私が、彼に心を寄せ、抱かれてしまったという事が浮き彫りになったが故の猜疑心。
彼との初めての京都日和にて見た幻影は、私の心の中のラスクに対しての背徳感。
私は何も言い返す言葉もなく、只々ラスクの顔を眺める事しかできず、これ以上ラスクから何も言葉はなかった。
すると、どこかへ行っていた彼がこの場へと戻って来て、再びラスクの肩に手を入れた。
「タクシー捕まえてきたけん。」
「いや、黒木さん。私大丈夫ですから…。」
「唯ちゃん、大丈夫じゃないけん。とりあえず、おっさんのいう事に従っときなっ!」
彼の声でラスクは神妙になり、私達の肩を借りてタクシーの側まで誘われた。
タクシーに乗せ、彼は運転手に「この子を江坂まで、料金はこれでお願いします。」とお金を手渡していた。
「いや、黒木さん。そんなの悪いですからっ!」と言い放つラスクに対し、「また今度何かで返してくれたらええけんな。唯ちゃん、気ぃつけてお帰りな。」と言ってドアを閉めた。
滑るようにその場からいなくなった車の背を私達はぼんやりと見尽くし、消えた事を確認すると、「俺らも行こうか。」と彼の声に私は無言で頷いた。
梅田駅のJRへ歩を進ませ、京都へと帰る道の中、ラスクの安否を心配する会話を這わす事しかできなかった。
そして家へとたどり着き、寝る支度をし、電気を消した。
ラスクの事で一杯だった感情は彼との重ねた唇と、抱かれた熱さに忘却し、艶めかしい宵を過ごした。
目覚めた後、携帯を見た時、ラスクからの連絡がない事に溜息をつきながら、全てから目を覚ますようにシャワー室へと歩を進ませていく。
寝息を立てる彼の温もりを拭い去るように…。
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