第25話 四 適合と、不適合な過去
彼が言うところ、正午一時前に新大阪駅へとたどり着く電車に乗ったという事で、私はそれに合わすように京都を出た。
そして今、新大阪の中央改札口前で彼がたどり着くのを待っている。
関西の電車マップを片手に、未だ不慣れな電車を一人で乗り継いでここまでやってくるのは相当な労力だったのだが、どうにかこうにかたどり着く事ができた事実が何より感無量であった。
改札奥内から、がやがやと声が聞こえてきたと思うと、まるで蜘蛛の子を散らしたかのように改札口から群集が溢れ返ってきた。
京都駅も確かに人は多いが、ここ大阪は更に酷い。まるで熱風がこちらに迫って来ているかのような人だかりの中に彼の姿を懸命に探した。
しばらくすると蔓延していたフロアの真ん中辺りに隙間ができたそこで、携帯を触る彼の姿が見え、バッグから私を呼ぶように携帯音が鳴り始めた。
「はい、ダーリンっ!」
「椿、どこや?」
「うん?私、すぐ側にいるよっ!」
そう言って私は彼に向かって大きく手を振り、それに気がついた彼はすぐに携帯を切って私の元へと近づいてきた。
「ダーリン、お疲れ様っ!!」
「おお、椿。ありがとな。時間も余りなさそうじゃし、行こうか…。」
フロアの真ん中辺りにぶら下がっている時計の針は一時十五分前を指していて、それを彼も確認していたのだろう。
彼を待っている時、このフロアを出たすぐの所にタクシー乗り場があるという事を確認していて、前回の京都の時同様、今回もタクシーでその編集社まで向かうのかと思いきや、彼はタクシー乗り場とは反対方向へ歩を進ませていき、私はその背を追いかけた。
階段を下り、色彩に彩られたコンクリートの通路を潜り抜け、たどり着いたそこは『地下鉄御堂筋駅五番出入り口』。ぶら下がっている看板を見たここで初めて件の場所へ地下鉄で向かう事を知った。
「そこの中改札前で待っとって。俺、切符買ってくるけん。」
彼はキャリーバッグを預けて切符売り場の方へと駆けて行き、私は改札口の前で大阪の地下鉄マップを眺めながら待っていると、時間をかける事なく戻ってきた彼から切符を渡され、交換するようにキャリーバッグを渡した。
そして改札を抜け、少し長いエレベータを登るとホームへとたどり着き、彼は私をエスコートしながら乗り口の列をなす後ろで荷物を下ろし、言葉なく笑顔で一つ頷いて見せた。
何気ない会話を交わしながら電車を待っている中、私にはどうしても感じざるを得ない疑問があった。
それはこのホームの情景である。地下鉄にも関わらず、遠くには摩天楼が一望できるここは果たして地下鉄と評していいのかという素朴な疑問。
日の光に翻弄されるように揺れるビルディングを眺めていると、ホームへと電子音が鳴り響き始め、アウンスと共に赤い線を這わした電車が目の前にたどり着いた。
列は電車へと吸い込まれるように私達もそれに続くと、車内は混雑を極めていて、扉のすぐ側で私達は寄り添うような形で電車は発進した。
彼は荷物を地面に置き、乗客から私を護るように立っている。相変わらず何気ない会話を小声で続かせている中、あの日の地下鉄の情景がふと脳裏に過ったのだが、それを悟られぬように、自身をも欺く万遍の笑みを彼に見せた。
数駅通り過ぎた所から窓に映る景色は闇と化し、『梅田』とアナウンスが流れた駅で鮨詰め状態の車内から一気に人が流れ出ていく。扉付近に立っていた私達は、乗り降りする客の邪魔にならないように身を端によせ、彼は私を護るように、軽く覆い被さってくれている。
人の流れが止むと扉が閉まり、電車は再び動き始めた。
出ていった人の数と更に乗り込んだ人も多く、車内は変わらず人でごった返していたのだが、彼との距離が密着していないだけスペースにまだ余裕があるのだろう。彼は自分の場所を確保して、大きく息を吐きながら「やっぱ満員電車は堪えるのぉ…。」と呟きながら私に笑顔を見せた。
電車は淀屋橋駅を通り過ぎ、本町という駅へたどり着くアナウンスが流れた時、彼はキャリーバッグの柄に手をかけ、「この駅で降りるけん。」と私に耳打ちした。
窓の外に薄暗いホームの景色が流されてきて電車が止まると、そこを降りる人の流れに身を任せるように電車を降り、改札口前でその流れが止んだ。
きっと私一人ならどこか訳の分からない所へ弾き飛ばされているのだろうが、彼がしっかりと繋いでくれていた手のお蔭で何とか迷う事なくここへたどり着けている事ができている。
京都とは違い、切迫する雰囲気と何より人の数に若干気分が優れないのだが、これも関西を生きていく為の試練の一つだと思い、私は心に気合を入れた。
人込みの改札を抜け、薄暗い通路の中。そして階段を上った所には日中にも関わらず両進行共に車が混雑する大きな道。白く辺りへと充満する排気ガスや脳へ直接刺すような甲高いクラクション。それらを切り裂くような夏の斜光がこの街をより派手に彩らせている。
流石は都会だと私は思った。
「ここまで来ると十分も歩かんくらいでたどり着くけんな。」
彼はそう言って自分の荷物と、私の手のバッグを持ち、ゆっくりと道を進み始め、私もそれに続く。本当は彼の横を歩きたかったのだが、歩道がやけに狭い上に、進行方向関係なく行き交う人に一列で進まざるをえなかった。
こうしてしばらく道なりに進んでいくと、彼はいきなり立ち止まり「さあ、着いた。」と、笑顔で振りむきながら建物の方へと指を差した。
規律よく敷き詰められている白いタイルの空間の向こう側には、まるで空を隠すほどの超高層ビル。そこへ絶え間なく人が出入りしているのが見え、立派な佇まいの門の側には『株式会社、門山文庫社』と大きく書かれた銀色の看板が目に止まり、私は思わず驚愕した。
この社が出版している本を何冊か読んだ事があり、所謂メジャー中のメジャーである出版社。彼がお世話になっていた出版社がまさか門山文庫社だとは夢にも思っていなかった。
「どしたん?椿、いくで。」
身を固め、圧倒されている私の手を取り、ビルの元へと歩を進ませていく。自動ドアを潜り抜けると、清潔そうな白い壁に囲まれた広いエントランスが視界へと広がった。
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