聖女とカーテン
「ふぅ……すっかり遅くなっちゃったな」
ふとした偶然ですれ違った姫川とファミレスで駄弁って。
その後、諸々の買い物を終えて帰宅したころには、壁時計が22時を指し示していた。
窓からも薄墨を垂らしたかのような闇が覗いている。
せっかくの休日が外出で潰れる形になってしまったけれど、不思議と後悔はない。なんだかんだ楽しく過ごせたし、友達と休日を遊んだような充足感に満たされている。
あとは今日買ってきたドアプレートを浴室やトイレの前にかけて。
カーテンを天井のカーテンレールに取りつけさえすれば――
「よしっと。出来た」
丁度部屋の真ん中を区切るように、カーテンを取り付けることに成功する。
薄っぺらな布でしかないし、壁には断然及ばないけど。
これがあるだけで、俺と冬葵の、お互いのプライバシーはある程度守られること間違いなしだ。
ぺこり、と冬葵に頭を下げられる。
「ありがとうございます、沢野さん」
「いやいや、このくらいどうってことないよ」
「これでわたしも、沢野さんも、これまで以上に自分の時間を大事に出来ますね」
「はは、そうだな……」
冬葵の言葉に、胸がちくりと痛む。
彼女は顔に出さなかったけれど、やはりこの狭い密室で異性がふたりきりという状況はストレスを感じさせるものであったらしい。
さっき姫川に、俺と冬葵の間に何かがあるだなんて言ってもらったけれど、そんなものは到底あるように思えない。
むしろ今まで警戒していたのだ。
そりゃあそうか。未遂とはいえ以前、俺が冬葵に手を出しかけたこともあったし、無理もない。
そんなふうに落ち込みかけていたのだけれど。
冬葵はお星さまのようにきらきら光る目で、嬉しそうな声で――
「ここはもう……ふたりの家ですからね」
唇が優しく、やわらかくほころんだ。
あまりの不意打ちに、どきっ、と心臓が跳ね上がる。
なんだかその言い方は、まるで同棲してるカップルみたいで照れくさいにも程がある。
冬葵も自分がおかしなことを言ってしまったことに気づいたようで、ちょっと焦ったように両腕をぶんぶんとさせながら、
「かっ、勘違いしないでください。このカーテンのおかげで実質別居状態というわけですし、それ以上の意味はありません」
「別居って、それ仲冷えてるじゃん」
恥ずかしがる冬葵の様子があまりにも微笑ましくて、苦笑が漏れる。
「そ、そういうわけでは……とにかくっ、これはわたしたちが生活をするうえで大事なものだと! そういうことを言いたかっただけです!」
浮ついた気持ちを誤魔化すようにくるりと振り返りながら、
「わたしっ……御夕飯の準備してきますね!」
逃げるようにぱたぱたと足音を響かせ、カーテンを取っ払って、台所へと駆けていった。
俺は華奢な背中を眺めながら、ソファーにゆっくりと腰を落ち着ける。
その途端、
――あんたは冬葵ちゃんの何なの?
ふいに、姫川の言葉が脳裏によみがえった。
初めは……家に帰れないという冬葵への同情だった。
けれどあれから色々あって、それだけではなくなっている。
俺たちは恋人でもない。にも関わらず、同居を続けている。
世間一般では、この関係を何と呼ぶのだろう。
考えてみるが、俺の頭では適当な言葉が見つかりそうにない。
ちらりと台所を見やる。
カーテンの隙間から、冬葵が熱心な顔で調理を続けているのが見えた。
「なあ……」
俺と君ってどういう関係なんだろうな?
そう口にしようとして、やめた。
それを言葉にしてしまうと、俺たちは果たして今のままの関係でいられるのだろうか。もしかしたら今のままではいられなくなるのかもしれない、そんな気がした。
……考えすぎだろうか。
何度目かもわからない、笑みが漏れる。
「なんですか?」
冬葵が不思議そうな顔で、台所から俺を見つめている。
俺はさっきの問いかけの代わりに、別の気になっていたことを尋ねてみた。
「なんで姫川はあんなところにいたんだろうな」
「それはわたしの口からは言えません。直接、姫ちゃんに訊いてください」
どうやら姫川なりに何か目的があったらしい。
だが冬葵の口ぶりから察するに、姫川のプライバシーに関わるもののようだ。
とりあえずそこには踏み込まないようにして、話の切り口を変えてみる。
「今日のご飯、なんだ?」
「オムライスですよ」
ほら、一緒に食材買って来たでしょ、と冬葵は呆れたように言う。
「それは楽しみだ」
色々と気になることはあるが……まあいいか。
冬葵が来てからというものの、ひとりで暮らしているときよりもはるかに充実している。
現に、俺は冬葵の手作りオムライスが楽しみで楽しみでたまらない。
今は、それだけで十分だ。
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