聖女とひとつ屋根の下


「あの……これはどういうつもりですか?」


 気づいたときには俺の家の前に、冬葵とあを連れていた。

 つい勢いで彼女の手を引いて、家まで連れてきてしまっていたが、家に入れてあげるべきなのだろうか?


 しかもただの女の子じゃない。

 学園の聖女と、である。

 この死ぬほど訳の分からない状況はなんだろう。


 ていうかこれってよくよく考えなくても誘拐だし……結構やばくね?

 迷子の犬猫を拾ったのとは訳が違う。

 ガチの犯罪じゃね?


 とはいえ……この辺にはビジネスホテルも満喫もカラオケもないから、終電を逃せば夜を明かせる場所はない。

 こんなところまで連れてきてしまったのに「はいじゃあね」と見捨てるのはあまりにも無責任だし。

 そんなふうに考え込んでいると、


「あの……沢野さん。聞いてますか?」

「え? ああ、ごめん」


 冬葵さんの声で現実に引き戻される。

 無視されたのが気に障ったのか、彼女はちょっと怒ったようにぷくっと頬を膨らませている。


「手、いつまで握ってるんですか」

「あっ……! わ、わりぃ!」


 ばっと手を放す。

 どうやら冬葵さんの手を握りっぱなしだったらしい。ずっとここまで無我夢中で走ってきたからそこに気が至らなかった。

 はあ、と自分の考えなしの行動にため息をつきながらも、


「帰る場所ないんだろ? 上がんなよ、ここ俺の家だからさ」

「え……?」


 冬葵さんは心底、俺を見下し切った目を向ける。

 その眼力の強さに心が折れそうになるのを堪えながら、


「大丈夫だよ。変なことはしない」

「……ふーん」


 冬葵はきっと訝しげに俺を睨んだ。

 俺の心を探ろうとでもいうふうに、目を細めている。

 警戒、動揺、困惑……その瞳に、様々な感情がよぎるのが見て取れた。

 けれど熟考の末に――


「……わかりました。どうせ他に行く当てもありませんからね」


 と頷いた。

 

「でも、変な気を起こしたら絶対に許しませんからね」

「ばっ! 馬鹿にすんなよ! そ、そそそんなこと考えてねーし!」

「……」


 冬葵の冷ややかな眼差しから逃げるように、俺は自宅のドアを開ける。

 そしてすぐに後悔した。

 玄関から廊下の先に至るすべてが――散らかったゴミで埋め尽くされていた。雑誌や衣服が散乱しており、足の踏み場はどこにもない。


「げっ」


 しまった! 忘れてた!

 普段人が来ることがないからってまったく掃除してなかったんだ!

 ど……どうしよう。


「うわ……何ですか、これは」


 案の定というべきか、乱雑な部屋に、冬葵は顔をしかめている。

 完全にドン引きだ……ど、どうしようなんて説明すれば。

 おたおたと戸惑う俺の前で――


「ふ……ふふっ、ふふふふっ!」


 ぷっ、と冬葵は吹き出した。

 まだあどけなさの残る桜色の唇をほころばせて。

 止めどなくあふれ出る笑い声を抑えきれんと言わんばかりに。

 華奢な身体をぷるぷると震わせて。

 口元を手で押さえながら爆笑している。

 有り体に言うなら、冬葵さんが壊れた。


「え、何? 急にどうしたの?」


 何がそんなに可笑しいのだろう。

 何が彼女をそこまで笑いに駆り立てているのだろうか。

 というか近所迷惑だし、もう夜中だし、そろそろ声を落としてもらいたい。


「あー……笑いました。笑いすぎて、疲れてしまいました」

「えっと、冬葵さん?」

「女子にいかがわしいことをしようとする人の部屋がこんなに散らかっているわけないですもんね」

「はい……?」


 俺への警戒を解いてくれたのは嬉しいけれど。

 なんだろう。

 同時にものすごく罵倒されたような気もする。


「いや、ほんと今日は一日に色々と起きる日だなぁ、と思うとなんだか無性に可笑しくなっちゃいまして」

「その、大丈夫?」

「いえ、むしろ安心しました。ありがとうございます」

「はあ……そっすか」


 はあ、と肩で息をしながら、冬葵はゆっくりと玄関に腰を下ろす。


「よくわかんないけどさ……お疲れみたいだし、早く休んだ方がいいんじゃない?」

「いえ、その前にご両親に挨拶させてください。夜分遅くに訪ねてしまった非礼をお詫びしたいので」

「あ、大丈夫。うち両親いないから」

「……えっ? あっ……」


 冬葵は気まずそうに目を伏せた。

 まずいことを言ってしまったとばかりに、申し訳なさそうに頭を下げる。


「ごめんなさい。わたしったら、つい無神経なことを言ってしまって」

「いや、そういうのじゃなくて。俺ひとり暮らしだし、なんならうちの両親普通に生きているから」

「へっ、そうなんですか?」

「そう。マンションの一室借りて気ままに自由を満喫してんの」


 ただのワンルームマンションだし実家に比べたら狭いけど、それでもうるさくあれこれ言ってくる人間はいないのでとても楽だ。


「なんだ、そういうことだったんですね」


 もうっ、勘違いしちゃったじゃないですか、と冬葵は息を吐く。


「悪かったよ。言葉が足りなかった。それよりもこんなところで立ち話もなんだし、上がんなよ」

「はい。ところで足の踏み場もない感じですが……これ、どこを進んでいけばいいんでしょうか?」

「遠慮しないで普通に上がっていいよ」

「え……あ、はい」


 一通りの事情を話して納得してもらったところで、俺は冬葵を居間へと案内する。


「うわ……予想はしてましたけど、ここも散らかってるんですね」


 冬葵は散らかった部屋をおっかなびっくりと言った様子で歩いていたけれど、それでも家主の俺に遠慮してかそれ以上の文句は言わなかった。


「悪い。足の踏み場ができるくらいには片づけるよ」


 そうは言ったもののかなりの量がある。脳みそが麻痺して、どこから手を付けたものか分からない。

 ……女の子が家に来ると分かっていたらちゃんと綺麗に片づけていたんだけどなぁ。

 腕組みをしてゴミ山の前でうんうん唸っていると、


「わたしも手伝います」

「え? いや、いいよ。こんなのやってもらったら悪いし、そこでゆっくりしててくれ」


 意外な申し出に面食らう俺に、冬葵は腕まくりをしながら言う。


「お家に泊めてもらうわけですし、このくらいはお安い御用ですよ。それにわたし、こういうのは得意ですから」

「冬葵さん……」


 正直ありがたい。

 何を捨てたらいいかわからないし、俺一人では終わりそうにない。


「あ、何か見られたらまずいものがあるというなら一旦、外に出ますが」

「大丈夫。そんなものはないから」


 見られたらまずいものはPCに隠してあるから部屋を掃除される分には何の問題もない。


「そうですか。ならさっと済ませちゃいましょう」



 ◆



「だいぶ片付いてきたな」


 冬葵さんの手際はあっぱれというべきだった。

 ゴミを前にどれを捨てたらいいのかと思考停止する俺をよそに、冬葵さんは持参していたビニール袋を取り出すと、手際よく生活ごみを放り込んでいく。


 しかも俺に必要か不要なものかどうかをひとつひとつ尋ねてきながら、脱ぎ散らかした衣服を折りたたんでくれたり、しっかりと雑誌の分類わけまでしてくれるという至れり尽くせりといった気遣いまで見せてくれている。


 そこまでしたら時間もかかるだろうに、本人は面倒な顔ひとつすることなく丁寧に仕分けていく。

 あまりにも気が利きすぎてありがたいを通り越して申し訳なさを覚えてくる。


「とはいっても、衣服を畳んだり、雑誌をビニール紐でしばった程度ですけどね」

「それでも足の踏み場が出来てるし……見違えるようだ」

「まだまだ課題は山積みですし心残りはありますが、今日のところはこのくらいにしておきましょう」


 とはいっても全てのゴミを片付けられたわけではないし、まだ廊下や玄関は手つかずだし課題はいろいろと山積みだが……もう深夜一時だし、ご近所のことを考えると、このくらいが限界だろう。

 念入りな掃除はまた今度時間を改める必要がある。


「まったく……これでよく生活できますよね」

「はは、なんだか照れるな」

「褒めてません。呆れてるんです」

「大丈夫。ベッドやソファーの上だけは空けてるから、寝るには困らなかった」

「そういう問題じゃないと思います」


 ふう、さすがに疲れました、と冬葵は目元をこすりながら眠たげに欠伸をする。


「ありがとう、冬葵さん。こんな夜遅くまで手伝わせて悪かったな」

「いえ、お礼を言われることではありません」


 むしろお礼を言いたいのはわたしの方なのです、と冬葵は頭を下げる。


「え、何で?」

「その、ちゃんとお礼……言えませんでしたから」

「お礼って?」


 なんかしたっけ。むしろ俺がお礼を言いたいくらいなんだが……と首を捻っていると、冬葵は照れくさそうに顔をそむけてから言った。


「……今日、二度も助けて頂いたので」


 もう忘れたんですか、と不満そうに頬を膨らませて抗議してくる。


「ああ――」


 そのことか、と納得する。

 冬葵さんの無くした財布を見つけ、不良に絡まれる冬葵さんを助け、帰る家のない冬葵さんを連れ帰ったことか。


 あれ……本当にこれ一日で起きたことなんだよな?

 嘘とかドッキリじゃないよな? なんか自信を無くしてきた。

 

 そしていま俺はあの学園の聖女と。

 一つ屋根の下でふたりきり。

 そう意識した途端、顔がぼっと真っ赤に染まりあがった。


「あの、わたしの話、聞いてますか?」

「き、気にするな! 別にお礼言われたくてやったわけじゃないし!」

「はあ? 何ですか急に大声上げて。落ち着きない人ですね」

「いやー……なんか静かだなって思って」

「そりゃあ真夜中ですし、わたしたち二人しかいませんし」

「そ、そそそそんなこというなよ!」


 せっかく意識しないようにしていたのにどうして的確にそこを突くのかな!?


「?」


 だが当の本人は、首をかしげている。

 本人が意図しているかは分からないが、それが俺を下から上目遣いで見上げているような態勢になっていて、とても落ち着かない。

 シャツの隙間から、ふっくらと膨らんだ胸の谷間が覗いて、目のやり場に困る。

 しかも女の子特有の、いい匂いまでする。


「……っ!」


 ごくっと唾を飲み干す。

 あざとい。あざとい冬葵さん。

 略して、あざとあ……って何考えてんだ俺は。


 やばい。心臓がものすごい勢いで早鐘を打っている。

 心臓の鼓動を聞かれてはいないか不安でたまらない。

 もし聞かれていたらどう反応していいのかわからない。


 息が出来ない。

 苦しい。

 胸が詰まって今にも死んでしまいそうだ。


 くそっ! こんなことなら女の子とたくさん遊んでおけばよかった!

 そうしたらこんな状況も楽しむことが出来ただろうに!


 困った。

 とても困った。

 困ったときはそう、あの手に限る。


「もうこんな時間だし……悪いけど俺、そろそろ寝るわ」


 くわっ、と喉の奥から欠伸がこみ上げてきた。

 瞼が重い。

 演技とかではなく、実際バイトと部屋掃除でだいぶ疲れているし……明日も早いしでもう寝ておきたい。

 ソファーで横になり、目を閉じる。


「あ、待ってください。わたし、いったいどこで寝ればいいでしょうか?」

「あー……?」


 そうだった。

 そういえば掃除に気を取られていてその辺り気が向いていなかった。

 うーん……来客なんて今までなかったから予備の布団なんて用意してなかったし。

 かといって女の子を床で寝かせるわけにはいかないし。

 駄目だ、眠い。

 眠気がひどくてひどくて頭が回らない。


「俺の部屋にベッドがあるからそこ使っていいよ」

「え?」

「俺、ソファーここで寝るから」

「えっ? ちょ、ちょっと待ってください! ええええええっ、もう寝てるし!?」


 彼女が何かを叫んでいるがもう何も頭に入ってこない。

 意識が、途切れる。

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