学園のアイドルが、ルームシェアで俺を養っている件

黒絵耀

第一章

春咲

聖女の落とし物

 夜の駅前で、財布を拾った。

 もちろん俺の財布ではない。

 女の子の財布だ。


 持ち主の名前は春咲はるさき冬葵とあといった。

 なぜ財布の所有者が分かったかというと、中身を確認したとき、彼女の学生証が出てきたからだ。


 冬葵とあは聖女と呼ばれており、俺の学校のアイドル的存在だった。


 彼女は誰にでも分け隔てなく優しい。

 電車で妊婦を見つければ席を譲り、重い荷物を持った老人がいれば肩代わりしてあげたり、病に臥せる重症患者のために迷わず自分の臓器を差し出したとか。


 そんな輝かしい伝説が語り継がれている。

 そこに多少の誇張はあれど、彼女がとてもいい人なのは疑いようのない事実だ。


 ある日、俺と彼女がお互い廊下ですれ違ったときのこと。

 俺のような何の接点もない陰キャと目が合ったとき、彼女は嫌そうな顔ひとつすることなく、挨拶を返してくれたことからも証明できよう。

 彼女から天使のような極上の微笑みを向けられたとき、不覚にも俺の胸は否応なしに高鳴った。


 その笑みの破壊力たるや、思わずちょっと優しくされただけでころっと堕ちてしまいそうなちょろいオタクになりかける程だった。

 危うく恋に落ちかける一歩寸前で、正気に立ち返った俺は、彼女が本物の聖女であることを悟った。


 あと彼女はおっぱいがでかい。


 ……まあそれ以来、何の会話もないのだけれど。

 俺のような平凡な高校生と、彼女とではそもそも住む世界が違うのだからしょうがない。

 とにかく、まさに絵に描いたような聖人ぶりから、彼女がクラスの人気者としての地位を得たのは最早必然であった。


 そして俺はいまバイト帰りに、学校一の美少女の財布を手にしている。

 素材が綿で軽く、なぞったときの手触りが心地いい。

 表面にはウサギをモチーフにした可愛らしいキャラクターがプリントされている。女の子らしいといえばそうなのだが、女子高生が愛用してるにしてはファンシー感が強い気もする。


 しかしそんな可愛らしい見た目に反して、彼女の財布はずっしりとした手ごたえを俺の手の平にこれでもかと自己主張してくるではないか。

 重い。なんか分厚い。

 おそるおそる広げてみると、めちゃくちゃ万札が入っていた。


「うわ……マジかよ」


 1、2、3、4……ざっと数えただけで30枚。いや、それ以上はあるのだろうか。

 目を疑うような厚みに、ごくり、と喉が鳴る。

 どう考えても一介の学生が手に出来るような金額ではない。

 これだけのお金があったらガチャ運が悪くても天井を目指せる。★6キャラが当たるまで課金なんて力業も出来る。

 

 冬葵とあさんは裕福な生まれのお嬢様なのだろうか。

 そんなことを考えているときだった。


「嘘っ……!? ないっ! ないっ! ないっ!」


 甲高い悲鳴が聞こえてくる。

 聞き覚えのある声に振り返ると、そこにいたのは制服の女子だった。

 それも俺の通う高校のものだ。


 ……知り合いだろうか?


 ここは俺の通う学校から離れているし、地元に同じ高校の生徒がいるなんて話は聞いたことがないのだが。


 じっと目を凝らしてみると。

 ――そこにいたのは春咲はるさき冬葵とあだった。


 腰まで垂れさがるプラチナブロンド。

 整った綺麗な眉。

 すっきりとした鼻梁。

 赤ちゃんのように小さくて柔らかな唇。

 そよ風に吹かれて揺れるたびに、くらっとくるような彼女の甘い匂いが漂ってくる。


 この世のものとは思えない造りものめいた美しさは。

 ――まさに聖女と呼ぶにふさわしい。


 だが、聖女は。

 改札口の前で、整った美貌を焦りに歪め、学生鞄や、スカートのポケットをひっくり返し、てんやわんやの騒ぎを繰り広げているではないか。

 見た目が美少女であるせいか、会社帰りのサラリーマンやOLたちが、遠巻きから珍獣でも見たような目でみつめられている。

 俺はそっと自分の手のひらの重みを見やった。


「……」


 ここは素直に財布を返してあげるべきだろう。

 冬葵とあも助かるだろうし、俺も感謝されるしで良いことづくめだ。

 勢い込んで駆け込もうとして、足が止まった。


 ……いや、でもあれ本当に本人なのか?

 他人の空似ということもある。

 本人かどうかも分からないし警察に届けるのが無難だろう。謝礼に一割くらいもらえるし一石二鳥だ。


「いやいや……」


 俺は邪まな考えを振り払うように、ぶんぶんと首を振った。

 彼女はいま、助けを求めている。

 こんなことをしたら、彼女と顔を合わせるたびに脳裏をよぎるに違いない。

 彼女の真っすぐな笑みと共に、己のしでかした罪がこれでもかと突きつけられるのだろう。


 そうなったとき、もう二度と彼女を直視できなくなる。太陽から目を逸らしながら生き続けなければならないのだ。

 そんなやるせない思いをしたくない。

 俺は財布から目を離し、冬葵とあの元へと走った。


「あのー」

「……何ですか」


 ぎろり、と睨まれた。

 俺を出迎えたのは、およそいつもの聖女からかけ離れた、身も凍るような眼差しだったからだ。

 あまりの気迫に、ぞっと背筋が震える。

 思考が真っ白になる。


 だが、彼女のそんな怖い表情も不思議と様になっていた。

 美人というものは何をしても絵になるらしい。

 そうして数秒見合っていると、


「あなたは、同じクラスの……沢野さわのあきらさん?」


 ようやく得心がいったように、冬葵とあは俺の名前をつぶやいた。

 どうやら聖女様は光栄なことに、廊下であいさつを交わした程度の、俺の名前と顔を覚えてくれていたらしい。

 けれども彼女は変わらず、警戒の眼差しを俺に向けている。


 もしかして俺の目の前にいる冬葵とあはよく似た別人なのだろうか?

 だって、あまりにも真反対だ。

 太陽と月くらいに違う。


 ……いや、考えてみろ。

 そもそも見ず知らずの他人の口から俺の名前が出てくるだろうか。

 知り合い以外に、そんなことが有り得るはずはない。

 

「えっと、冬葵とあさん……だよな?」

「はい、そうですけど」


 見て分からないんですか? あなた目が腐ってるんですか? って感じの、底冷えするような瞳で俺を見る。

 彼女の瞳は全てを見透かすかのように青く、透き通っていた。

 やはり目の前の女の子は冬葵とあで間違いないようだ。

 しかしあの聖女様がこんな目をするなんて思いもよらなかった。いつものような太陽の笑みはどこいってしまったのだろう。


 もしかして俺の邪念も、あの瞳に全て見透かされているのだろうか。

 大量の札束を前に、心を揺り動かされたのは事実。

 だとしたら、聖女が俺に辛辣な態度を取るのも当たり前というもの。

 彼女にとって俺は罪深い悪魔だ。許されざる罪人に他ならない。


「……なんでこんなところにいるんですか」

「こんなところって……」


 冬葵がそういうのも無理はない。俺の最寄り駅から学校までおよそ一時間くらいかかる。

 そして駅前にはコンビニとファストフード店くらいしか店らしい店はないのでバイト先がここになるのも必然だと言えた。

 それ以外はずっと住宅街が建ち並ぶだけの退屈な場所だ。


「っていうか、そっちこそなんでこんなところにいるんだよ?」


 こんな田舎で、という冬葵の言い分から察するに、彼女はこの辺の地理には明るくない。

 地元の人間ならもっと違う言い方をするはずだ。


「家だと集中出来ないので、駅前のマックで勉強していたんです」


 あれ、駅前のマックって。


「あれ? さっきまで俺そこにいたけど……冬葵さんいなかったよね?」

「えっ……なんでそんなの知ってるんですか? もしかしてわたしのストーカーですか!?」

「いや、そこ俺のバイト先なんだよ。その帰りで、冬葵さんを偶然見つけただけなんだが……」

「バイト? こんな田舎で、ですか?」

「何もないド田舎で悪かったな。ここ、うちの最寄駅なんだよ」

「なるほど……」

「で、わざわざこんなド田舎に何で冬葵さんがいるんだ? ここは君の最寄り駅とは真逆のはずだ」


 ……たしか俺の記憶している限り、冬葵の家は俺の最寄り駅とは反対側の方向だったはずだ。

 彼女の正確な住所までは把握できていないが、学校から帰宅する際、駅の反対側のホームでたまに冬葵を見かけることがあった。


 ここで冬葵を見るのはおかしい。


「何か文句でもあるんですか?」


 冬葵は目を逸らし、俯いた。

 表情にこそ出てないが、動揺している。

 かと思うと、俺を氷のような眼差しで捉えた。


「そういえばうちの高校、バイト禁止でしたよね?」

「あれー? そうだっけ? ……そうだったかなー?」


 目が泳ぎだす俺を見て、冬葵はふっと笑う。

 どうやら彼女なりの意趣返しのつもりらしい。


「黙っていて欲しかったら、このことは他言無用ですよ」

「いきなり脅しかよ……」


 ため息をつく。

 学校の規則で禁じられている以上、そこを突かれると俺も弱い。


「はあ……わかったよ。俺たちは互いに何も見なかった。それでいいんだろ?」

「話が早くて助かります」


 冬葵は勝ち誇った様子も、満足した様子を見せることなく、俺から視線を逸らした。

 はい、これで話はお終いですと言わんばかりに、話しかけるなオーラが全身から立ち昇っている。

 俺としても彼女の意思を尊重し、ここで会話を打ち切ってもよかったのだが……つい気になって訪ねていた。


「ていうか家、帰らないの?」

「……」

「明日、普通に学校だぜ。大丈夫なのか?」

「さっきから何ですか、あなた。わたしの保護者にでもなったつもりですか?」


 異様な気迫に、俺の肩が震えた。

 保護者。

 吐き捨てるような語調で、そう口にしたのが妙に気になった。


「いや、違うけどさ」

「だったら放っておいてくれませんか?」

「なあ。もしかして親と喧嘩でもしたのか? だから家に帰れないとか?」


 冬葵の顔がこわばった。

 白磁のような肌が、目に見えて青ざめていく。


「それは……」


 冬葵は真っ白な指で、きゅっと自分の身体を抱きしめた。

 瞳も、悲しみで潤んでいるように見える。

 それを傷つけられたら、消えてなくなってしまうような、そんな恐れに震えていた。

 彼女は苦しいものを吐き出すように、小さな肩を揺らしながら、


「見ての通り、わたしは忙しいんです。用が無いのでしたら放っておいてください」


 冬葵はぷいっとそっぽを向く。

 さくらんぼ色の唇をきゅっと噛みしめて、黙り込んでしまった。

 ……返答はない。

 どうやら何か事情があるらしいが、そこに触れて欲しくはないらしい。


「わかったよ。邪魔して悪かったな」


 ちくりと胸が痛む。

 ……なんだか悪いことをしてしまったな。

 彼女にこれ以上、不快な思いをさせないように俺みたいな汚物は一刻も早くここから立ち去るべきだろう。


「これ、あんたの落とし物だろ?」


 そう言って彼女の手に財布を押し付けると、冬葵とあの目が丸くなった。


「え……これを、一体、どこで?」

「拾ったんだよ。で、そしたら冬葵とあさんがすぐそこにいたってわけ」


 何も嘘は言っていない。

 駅前に落ちていた財布を拾ったらたまたま所有者が冬葵とあだった。それだけのことだ。

 冬葵とあは信じられないものを見たといわんばかりに、俺と財布を交互に見比べている。

 てっきり物が物なだけに、もう二度と帰ってこないものだと思っていたのだろう。


「あの……」

「財布、見つかってよかったな。じゃ、俺も急ぐから」


 冬葵とあは何かを言いたそうな顔をしていた気がするけれど、俺は冬葵から目を逸らし、立ち去る。


 ……相手は高嶺の花。

 本来なら俺なんかが気軽に話せる存在ではないし、住む世界が違うのだ。

 たまたまこんなことがあったけれど、もう互いの世界が交じり合うことはないだろう。


 最後に、いい思い出を作れてよかった。

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