聖女と屋上、そして光。
そうして待ちに待った放課後を迎える。
俺は屋上の扉を開けて、フェンスに背中を預けるような態勢で寄りかかっていた。
現実だと屋上は閉め切られているものらしいけれど、うちの学校は被服部や天文部が使用する関係上、放課後だけ開放されている。
白い物干し竿。丸い円形のドーム型をした天文台が備え付けられており、ここを最初に訪れた生徒たちは誰もが驚きに目を見張ることだろう。
まあだとしても。
屋上が開放されているとはいえ、部活動と何の関係もない俺がここにいるのを見られたらあまりよろしくない。
幸いなことに、被服部も天文部もまだ誰も来る気配はないので咎められはしないだろうけれど、時間をかけすぎるのはまずい。
「……」
しかし、遅い。
冬葵から『少し遅くなります』と連絡はあったけれど、それにしたって遅すぎる。
別に俺はいつまでも待たされたっていい。たとえ夕日が落ちて、夜になろうとも俺は待ち続けられる。冬葵にはそれくらいの恩義がある。
でも校内をふたりきりで接触するのはあまり賢明とはいえない。
出来る事なら一刻も早く、用事を済ませてすぐに立ち去りたい。
彼女だってその危険性を分かっているはずだというのに。
それでも彼女は俺に何かを伝えたくて、いてもたってもいられないという様子だった。
一体、何の用件があって俺を呼びつけたのだろう。
吹きつけてくる風に、一抹の肌寒さを感じはじめたとき。
「お待たせしました……!」
開け放たれたドアから、冬葵が入ってきた。
はちみつ色の髪を揺らしながら、俺の近くに走り寄ってきた。
ここまで急いで走ってきたのか、玉のような肌にはうっすらと汗が浮かび上がっている。
「申し訳ありません。まさか……こんなに、時間がかかるとは思っておらず……」
「いやいや、気にしなくていいよ」
その言い方から察するに、別の用事に時間を取られていたらしい。
いつも男から言い寄られているし、ラブレターの対応にも忙しいみたいだし、その全てに断りを入れていたら遅くなってしまったというところだろうか。
「で、用事って何?」
「それは……」
冬葵はそこで言葉を切って、うつむいた。
羞恥によるものからか、ほんのりと頬が赤く染まっている。
――放課後、屋上で、美少女とふたりきり。
何かが起こるシチュエーションとしては申し分が無い。
家の中とはまた一味違った新鮮味があるというか。
なんだかラブコメらしくて、とてもドキドキしてしまう。
「居候させて頂いている身の上で……その、こんなことを言うのは、とても心苦しいことなのですが……」
小鹿のようにほっそりとした膝をもじもじさせて。
上目遣いでこちらを見上げてくる。
「でも、どうしてもあなたにしか頼めないことで……」
「俺にしか、頼めないこと?」
「は、はい……わたしのことを、深く知っているのは……あなただけですから」
胸の奥からこみ上げてくる恥ずかしさを堪えきれないとでもいうふうに、鞄をぎゅっと抱きしめている。
「ずっと、ずっと授業中も我慢していました。……この気持ちを……一刻も早くあなたに伝えたくて」
そんないじらしい姿を見せつけられると、こっちまで心臓が高鳴ってくる。
……それほどまでに言いづらいことなのか。
ごくり、と緊張に生唾を飲み込む俺の前で。
冬葵は意を決したように顔を上げると、言った。
「どうか……わたしのはじめてを、もらってはいただけないでしょうか?」
「―――――」
……聞き間違いだろうか。
なんだか、とんでもないことを言われたような気がする。
まるで行為のお誘いをせがまれてしまったような。
落ち着け。
落ち着くんだ、俺。
そもそもそれはこの前、一度断られたばかりで。
まあ俺の暴走が原因だったわけだけど。
冬葵からもはっきりと好意は抱いてないと断言されてしまったし。
……いや、待てよ。
もしかして。
もしかすると。
まさか野外でないと、そういうことは出来ない特殊な性癖の持ち主だったのか!?
だから俺は、断られたのか!?
「まっ、待ってくれ! そのっ、どうしても外じゃないとダメなのか?」
「はい。誰も来ない場所、ここ以外に知らなくて……」
「いやっ、俺としても君みたいな子からのお誘いは嬉しいんだけどっ、どうしても外で、というのはハードルが高すぎるというか」
「そう……ですか?」
冬葵の表情が、しゅん、と悲しみに曇る。
「では、もらってはくれないのですね……」
どうしよう。ものすごく残念そうだ。
なんだかそんな顔をさせてしまったのが申し訳なくなる。
「……いや、わかった」
ええい、ここで据え膳食わぬは男の恥。
そう、俺は彼女に多大なる恩がある。
女の子の特殊な性癖の一つや二つくらい受け入れられないで、何が男だ!
今こそ勇気を出して、名実ともに本当の男になるのだ!
「俺も男だ。君の全てを受け入れよう」
俺の重々しい頷きに、
「ほんとうですか!?」
冬葵の顔が、喜びで華やいだ。
まるで子供に立ち返ったかのように、ぴょんぴょんとその場を小さく跳ねまわっている。
こんなに喜ぶとは。
何が彼女をそうさせるかは分からないが、よほど外が好きなのだろう。
「では、鞄から取り出しますので少々お待ちください」
「と、取り出す?」
な、何を取り出すというのですか?
まさか道具を使うつもりか?
本格的に特殊じみてきたぞ!
戸惑う俺の前で、冬葵が鞄から取り出したものは――
「ふつつかものですが、よろしくお願いします」
……大量の、原稿の束だった。
◆
「えっと、冬葵さん。これは一体……」
冬葵から手渡された原稿をぺらぺらとめくる。
ざっと300ページくらいはあるのだろうか。ずっしりとしていて、手の平にかなり重みを訴えてくる。
上から下まで、びっしりと手書きの文字で埋め尽くされていた。
見たところ、何かのお話のように見える。
「それはわたしが書いた、小説です」
「小説」
……ああ、はじめてって、そっちの意味か。
処女作っていうもんね。
「その、誤解を招くような言い方だからやめた方がいいぞ」
「誤解、ですか?」
冬葵はきょとんと目を丸くしている。
「うん。その……はじめて、とかいう言い方、勘違いするからやめてくれよな」
「ですが、こうして誰かに作品を読んでいただくのは、わたしにとって、はじめてのことですから」
そっか。よく知らないで言ってたんだな。純粋とはかくも恐ろしい。
無駄にドキドキさせられて心臓に悪いというか。
まあ……そこを追求するのは話が進まなくなるから、一旦やめておこう。
しかし、まさか冬葵が小説を書いているとは。
でも今思い返せば、彼女のラノベに向ける情熱は並々ならぬものだったように思う。発売したばかりのファントムエッジを四回も読み返していたり、地の文を暗記していたし。
そこから自分の小説読んで欲しいと頼まれるのは正直意外だったけれど。
「で、これをどうすればいいんだ?」
「はい。沢野さんに、わたしの作品を読んでいただいてその感想を教えて頂きたいのです」
感想? 俺が?
自慢じゃないがラノベはたくさん読んでいる。
そんじょそこいらの学生よりかは活字に慣れているという自信も自負もある。
特に嫌いなジャンルもないし、異世界モノや学園モノのテンプレも一通りは把握している。
その道のプロには劣るだろうけれど、彼女の力にはなれると思う。
それはいいのだけれど――
「なぜ、俺なんだ?」
「沢野さんだからです」
「俺、だから?」
「はい。この間、あなたと好きならいとのべるのお話をしたときから、決めていたことです」
冬葵は胸の前で、手の平をぎゅっと握りしめた。
「あなたの語りには、作品への愛がありました」
「愛?」
「そう、愛です。頼むなら、あなたしかいない。あなた以外に、こんなことはお願い出来ない。そう確信したのです」
それが理由ではダメですか? と冬葵は言った。
「いいよ」
そうまで言われては、俺も彼女の頼みを無下には出来ない。
彼女に頼まれるのは素直に嬉しいし、それに三食、家賃、掃除つきの恩もある。
その全てに報いきれるとは思えないけれど、全力でサポートするとしよう。
「ありがとうございます。沢野さんが抱いた、忌憚のない感想をいって頂けたら幸いです。もしつまらなければ途中で読むのをやめていただいても構いません」
「いや、そこは大丈夫。ちゃんと全部読むからさ」
唯一、
「わかった。帰りに電車の中で読むよ。それでいいかな?」
「はい、よろしくお願いします」
冬葵はぺこりと頭を下げてから、
「ここに留まり続けるのもまずいですし、一足先に先に帰りますね」
「ああ。じゃあ俺は五分後にここを出るよ」
ふたり揃って同じ方向で帰るところを見られるとあらぬ噂が立つかもしれない。
そこから俺の家にふたりで住んでいるのを特定されでもしたらまずいことになる。
だから面倒でも帰る時間をずらす工夫は必要なことだ。
俺たちの暮らしを守るために。
「それでは御夕飯の準備して待ってますね」
周りを気にするように小声になる冬葵に、俺は笑いかける。
「うん。楽しみにしてる」
冬葵はいまにも踊り出しそうな軽やかな足取りで、屋上から出ていった。
……さて、時間を潰すためにも彼女から渡された原稿に目を通すとしよう。
「タイトルは何だろう?」
ぺらぺらとページをめくってみる。
最初の方に『転生したらウサギさんだった件』と丸っこい文字で書かれていた。
なにそれかわいい。
というかウサギのグッズやスタンプを使っている時点で思っていたけれど、君めっちゃウサギ好きだな。
そんなことを考えて、冬葵の可愛さに悶えていたときだ。
――きらり。
と、遠くで何かが光ったのを見た気がした。
誰かいるのか?
慌ててフェンスを掴んで、そちらに目を向けるけれど、そこには通学途中にある、鬱蒼とした雑木林が広がっていた。
あれでは誰かがいたとしても、到底分かりっこない。
逆も然りだ。
あんなところからでは、誰かがいるということが分かっても、俺と冬葵だという個人の判別はつかないだろう。
双眼鏡でも使わない限りは、確認できないはずだ。
「……」
しかし、それでも気味の悪さは拭えなかった。
冬葵に頼まれごとをして嬉しかった気持ちに、水を差されたような気分だ。
彼女には悪いけれど……もらった原稿をその場で読む気にはなれず。
俺はこそこそと身を隠すように小走りになりながら、屋上を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます