聖女の恵み



 鬼の風紀委員長の抜き打ち検査という嵐が過ぎ去り。

 教室にいつもの平穏が戻り、昼休みを迎えようとしていた。

 ぴろん、と俺のスマホが鳴った。


「ん?」


 珍しい。

 いつも何の音沙汰もない俺のスマホが鳴るだなんて。

 一体、誰だろう。

 スマホのメッセージアプリを立ち上げてみて、思わず声を上げる。

 なんと……冬葵からだった。


 春咲冬葵:『こんにちは、沢野さん。いまお時間、よろしいでしょうか?』


 文章まで敬語だし、馬鹿丁寧だ。

 あと言い忘れていたが、俺たちは互いに連絡先を交換していた。

 もちろん俺が言い出したとかではなく、冬葵からの提案だった。


 彼女いわく、自分がご飯を作る関係上、俺の帰宅が遅くなったりするとき連絡が欲しいとのことだった。

 わたしもお友達との用事で帰宅が遅れる可能性があります。ですから、連絡先の交換は大事なことです、というのが彼女の言い分だった。


 ……たしかに一理あると思った。


 誰かにスマホを覗かれたとき、冬葵の名前が載っていることをしつこく追及されるデメリットはあるが、まあ見られなければ何も問題ない。

 俺は一も二もなく、冬葵の申し出を了承した。


 そう、女の子と連絡先を交換するのは初めてで、舞い上がってしまっただなんてことはない。メッセージが飛んできたのが嬉しかったとか、そんなことは絶対にないのである。

 

 沢野陽:『いいけど。どうかしたの?』


 春咲冬葵:『わたしのシャンプー、使いました?』


 だらだらと冷や汗が流れる。

 どうしよう、さっきの会話を聞かれていたのか!

 ……ここは素直に謝るか。


 沢野陽:『ごめん』


 打ち込んですぐに、冬葵から返信がきた。


 春咲冬葵:『冗談です。そんなことで怒りません』


 ……よ、よかった。ほっと胸を撫で下ろす。

 しかも「てへペロっ♪」って舌を出してる可愛らしいウサギのスタンプまで来た。

 なにそれ、かわいい。


 春咲冬葵:『実は、相談したいことがありまして……』


 沢野陽:『相談?』


 春咲冬葵:『はい。今日の放課後……ふたりっきりでお話しできませんか?』


 ふたりっきり、という文字に心臓が跳ね上がった。

 いや、いつもふたりっきりじゃないか。何ドキドキしてるんだ俺は。

 だから彼女に深い意味はないはずだ。……多分。


 スマホを手に、わなわなと震えて硬直していると。

 冬葵からメッセージが来た。


 春咲冬葵:『メッセージでもいいのですが、出来れば直接口に伝えたくて』


 沢野陽:『いや、それなら俺の家でいいんじゃないか?』


 そう、何かを話したいならわざわざ学校で会話するリスクを冒す必要はない。

 せっかく俺たちの間に何も接点はないよう振る舞っているのに。

 放課後に顔を突き合わせるところを誰かに見られたらいかにも何かありますよ、と喧伝けんでんしているようなものだ。


 春咲冬葵:『でも……わたし、我慢できなくて……』


 が、我慢? ……どういう意味だろう。

 何かそれほどまでに伝えたい緊急性の高い用事があるのだろうか。


 こっそりと、冬葵を横目で見やる。

 彼女はスマホを手に、机に腰かけていた。

 小枝のように細い脚をぶらぶらとさせながら、しきりにきょろきょろ視線をさまよわせている。


 何だかそわそわと落ち着きがない。誰の目から見ても、明らかに挙動不審だ。

 おしっこを我慢しているとかじゃ……ないよな?

 いや、そんなわけないか。さすがに。

 そんなことをわざわざ俺に報告する必要もないし。


 俺はしばし考えた末に、


 沢野陽:『まあ……いいけど』


 春咲冬葵:『ありがとうございます。それでは昼休み、屋上でよろしくお願いします』


 彼女は笑みを浮かべ、スカートのポケットにスマホをしまった。

 なんだか嬉しそうだ。


 美少女とふたりっきりで屋上……そう考えると意味深だ。

 いったい何をされてしまうんだろう、俺は。


「冬葵ちゃーん!」


 背後からそっと忍び寄った姫川が、冬葵のお腹に抱き着いてくる。


「どしたの? なんかめっちゃご機嫌じゃーん?」

「そんなことはないですよ」

「もしかしてカレシ出来たとかー?」

「そんなものはいません」

「えー? あんだけ告白されてまだ拒否ってんの?」


 姫川が疑問を抱くのも無理ないだろう。

 冬葵の下駄箱の中や、机の中に、まるで郵便ポストみたいにラブレターがぎっしりと詰め込まれているのを見たことがある。

 それがほぼ毎日のように繰り返されている。


「はい。お付き合いしている方はいません」

「なんでなんでー? よさげなオトコいたら、お試しに付き合ってみればいいじゃん」

「好きでもない人と付き合っても、その方に失礼だからです」


 大量のラブレターを見て、冬葵が何を思っているかは分からない。

 ゆっくりと目を閉じて、ふうと息を吐いてから、差出人の名前を確認し、ひとりひとり丁寧に断りを入れているのだとか。


「ふうん? 相変わらず真面目だね、冬葵は」


 姫川が八重歯を覗かせながら、小悪魔みたいな笑みを浮かべる。


「じゃあー……ウチと付き合っちゃう?」

「お断りします」

「えー? なんでよー?」

「姫ちゃんに申し訳ないからです」

「はあ~~っ、もうっ! ほんとに冬葵は良い子だなぁ! 尊いわぁ~!」

「別に尊くないです」

「間違えた。とあとい!」

「そんな単語もないです」 


 そんな冬葵と姫川の、百合百合としたやり取りを眺めていると、


「おーい、沢野。何やってんだよ。いいから飯、食うぞ」


 霧谷が手を振って、呼びかけてくる。

 冬葵の意味深な約束に、気を取られて忘れかけていたけど。

 今は昼時だ。


「ああ。今行く」


 鞄を手に、席を立ちあがる。

 霧谷の隣の席に腰かけた。


「そういや沢野。お前、今日購買行かなくて平気なのか?」

「うん。昼用意してきたから」


 俺は鞄から弁当箱を取り出す。

 もちろん冬葵のお手製だ。

 カップラーメンやコンビニ弁当三昧だった俺に料理なんてたいそうなものを作れるわけがない。

 朝早く起きた冬葵が、俺のためにわざわざ用意してくれたのだ。

 何が入っているのか楽しみで仕方がない。


「あれ? 珍しいな、沢野が弁当だなんて」

「毎日購買だと金がかかるし、たまにはな」

「へえ。お前って料理出来たんだな」

「そんなたいしたものじゃないけど」


 そう言ってフタを開けると、驚きに目を見開いた。


 なぜならまず目についたのは、伊勢海老らしきものの頭が見えたからだ。

 その横にはカツと、ローストビーフやマッシュポテトとサラダらしきものなど……普段ではなかなかお目にかかれない色彩豊かな、豪華な食材たちが並んでいた。


 えっ……これ本当に全部、冬葵の手作りなの?

 普通の弁当に気合い出しすぎじゃない?

 霧谷が感心したような声を上げる。


「ちょっ、おまっ、すげぇな。……これ、本当にお前の手作り?」

「いや、その……ごめん、嘘ついた。おかんに作ってもらったんだ」

「だよなー」


 びっくりしたわー、と霧谷が笑う。


「しかし、めっちゃうまそうだな。俺にも海老くれよ」

「それは駄目だ」


 せっかく冬葵が俺のためを思って作ってくれたのだ。

 いわばこれは聖女の恵みが含まれているといっても過言ではない。

 それを他人に施すなど、とんでもない。


「なんでだよ。ちょっとくらいいいだろ」

「駄目なものは駄目だ」

「ケチケチすんなよ。減るもんじゃないだろう」


 ちぇっ、と霧谷が不機嫌そうに唇を尖らせる。

 そのとき、姫川の甲高い声が響き渡った。


「ちょっ! 今日の冬葵の弁当やばくね! めちゃんこでかい海老が入ってるー!」


 さーっ、と血の気が引いていくのが分かった。

 霧谷が不思議そうな顔で、姫川の方を振り向く。


「何? 今って伊勢海老がブームなの?」

「さ、さあ?」


 美味いはずの冬葵のお弁当は。

 ……まったく味がしなかった。

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