転生したらウサギさんだった件
「わたし、読者の声を聞くことが出来るのは初めてのことで……とてもワクワクしているんです」
冬葵に背負わせているものを考えれば、とても釣り合っている条件とは思えないのだけど。
とっても嬉しそうな顔の彼女を見たら、俺としても頷かざるを得ない。
「わかった」
かくいう俺も冬葵の小説が楽しみだ。
彼女がどんな物語を描くのか、心の中に描かれた原風景は何なのか、それを想像するだけで心惹かれるものがある。
一日で全部読み終わるのは難しいけれど、冬葵が料理を作り終えるまで、読めるところまで読んであげるとしよう。
そうしてソファーに腰を落ち着けて。
しばらく原稿をめくっていたのだけれど。
……落ち着かない。
なんか台所の方からものすごく視線を感じる。
気になって顔を上げると、冬葵がこっちをじーっ、と凝視していた。
こちらの様子が気になっているようで、台所から冬葵がちらちらと俺を見ている。
顔を上げる。
俺と、目が合った。
はっと目線を逸らされる。
包丁の音が再開されたのを確認してから、原稿に再び目を落とすのだけれど。
またしばらくして、包丁の音が止まった。
顔を上げる。
目が合う。
目を逸らす。
顔を上げる。
目が合う。
逸らされる。
顔を上げる。
目が合う。
逸らされる。
……さっきからその繰り返しだ。
めちゃくちゃ楽しみにしてくれるのは分かるんだけど。
まったく集中して読めない。
「あの、冬葵さん」
「なんですか?」
「その、気が散るんだけど」
「ご、ごめんなさい」
そう言って、いそいそと調理を再開するのだけれど。
結局俺の方が気になっちゃうらしく、何度も何度もこちらの様子をうかがっている。
なにそれかわいい。
でもごめん、やっぱり集中出来そうにない。
はあ……俺の後をつけていたストーカーの正体もこんなんだったりしないかな。
実は俺のことが好きで好きでたまらない女の子とかで。
でも恥ずかしいからそんな思いを打ち明けられなくて。
好きな感情が高まるあまり、そっと背中を追いかけはじめたとか。
けど追いかけている途中で、自分がエスカレートしていることに気づき、罪悪感に打ちひしがれながらもと来た道を引き返し始めたとか。
で、自分の寝室で枕に顔を埋めながら「はわわー! 私のバカバカ! 先輩にあんなことしちゃうだなんてヘンタイさんみたいだよぉぉぉ!」って足をジタバタさせてるとか。
そんなオチねぇかなあ。
……あるわけねえか。
◆
そんなこんなで。
作者から読書を妨害されるという思わぬハプニングがあったけれど、どうにかこうか半分くらい読み進めた頃には、冬葵の夕ご飯が出来上がった。
食卓には、味噌汁が並んでいる。
やはり俺の予想していた通り、アサリとねぎの味噌汁だ。
他にも、生姜とかつおぶしの乗っけられた
メインは鮭ときのこのバターホイル焼きだろうか。
どれもこれも白米とよく合う逸品ばかりだ。
いただきます、と冬葵と手を合わせた。
そのままアサリの味噌汁に橋を伸ばそうとしたけれど――
「沢野さん沢野さん沢野さん。どうでしたかどうでしたかどうでしたか?」
すかさず身を乗り出した冬葵に、遮られた。
目がお星さまみたいにきらきらと、はちきれんばかりの好奇心で輝いている。
ち、近い。やばっ、めっちゃいい匂いがする。
落ち着いて欲しい。
あと緊張するから離れて欲しい。
聞くまでもなく分かる。
彼女が求めているのは自作の感想だろう。
「それなんだけど……結論から言わせてもらうなら面白かったよ」
「ほ、本当ですか!?」
がばっと立ち上がる。
嬉しいのはわかるけど食事中は座ってような。
すぐに冬葵は自分がはしゃぎすぎていたことに気づき、ほんのりと顔を赤らめ、軽く咳ばらいをしながら腰を落ち着ける。
「ああ。冬葵さんの文章も平易でとても読みやすかったよ。だからつっかえることもなく、すらすらと読めたかな」
別にお世辞というわけじゃない。
文章もこなれていたし、説明に描写をしっかりと割いていたり、盛り上がる所はしっかりとテンションを上げていたし、緩急のつけ方が絶妙にうまかった。
読み手のことを考えられた気持ちのいい文体だったように思う。
だからこの短時間で読み進めることが出来た。
「あ、ありがとうございます。そう言って頂けると、その……嬉しいです」
「内容も、冬葵さんらしさがあったと思うよ」
「わたしらしさ……ですか?」
「うん。とっても優しい世界だったなって」
冬葵の書いた物語をざっくり説明すると。
トラックに轢かれたウサギ好きの女の子が、異世界でウサギに転生するというお話だ。
まず人里に向かおうとするのだけれど、その道中で、猫さんや犬さんや鹿さんや小鳥さんといった――森の動物たちと遭遇する。
彼らの後を夢中になって追いかけていると気づけば森の奥深くにいて遭難してしまう。
途方に暮れていると、さっき森の動物たちが魔物にいじめられているではないか。
怒った主人公は魔物を魔法でこらしめる。
すると、森の動物たちからそのお礼に人里まで案内してもらう。
やっとのことで主人公が人里にたどり着いた途端、街の人から可愛がられてたちまち人気者になる。
それから主人公は街の人のために汚染された井戸の水を魔法で綺麗にしたり、街の人を困らせる魔物を、冒険者ギルドで仲良くなった女の子だけのパーティで退治しに行ったりと。
そんな感じのほのぼのとした物語だ。
特徴的なのは、嫌な人間がまったく出ないという点だろう。
主人公たちにとって都合のいい展開が続くのは好き嫌いが別れそうだが、ストレスフリーで楽しめるし、美少女たちとキャッキャウフフしているのもそういうのが好きな層からはウケがよさそうだ。
現実の嫌なところを徹底的に排除した、癒し系路線としてはありだと思う。
「優しい人柄が滲み出てる良い作品だったよ。まさに聖女だなって感じで」
まさに冬葵らしい優しい世界だ。
そういう評価を込めて称賛したつもりだったのだけど――
「聖女ではないです」
聖女という単語が出た瞬間、なぜか明確な拒絶になったような気がした。
褒められるのに慣れていないよいうよりも、その名前事態を嫌っているような反応だ。
学校では広く知れ渡っているあだ名だけど、本人はお気に召していないらしい。
「ああ、ごめん。気に障ったのなら謝るよ」
「いえ、こちらこそ申し訳ありません」
そもそも誰が聖女呼びを始めたのだろう。
気にはなったけど……そんなことより、いまは冬葵さんの作品の方が大事だ。
「他に気になるところはありましたか?」
「そうだなぁ。料理の描写が少し気になったかな」
料理の説明が凝り過ぎていて、小説と言うよりもレシピ本を見ているようだった。得意分野だから説明したくなる気持ちもわかるけれど、もう少し描写は控えめでいいかもしれない。
まあここは文章量を調整すればどうとでもなるし、許容範囲といえるだろう。
「なるほどなるほど、勉強になります。他にはありましたか?」
「あとは魔法が全部ピンクの煙しか出ないのが気になったかな」
それが主人公だけの能力なら個性としては面白いけれど。
そう。異世界の住人や冒険者、魔物も含めた全員が、なぜか魔法でピンクの煙しか出さないのだ。
そういう異世界なら、そういう異世界だとわかるような独自の世界観説明や描写があればいいのだけれどそこに関して一切何も触れられないのだ。
「魔法、ですか……」
そこを指摘すると、冬葵はなにやら難しそうな顔で唸っている。
もしかして俺の指摘がキツ過ぎただろうか?
「その……わたしには魔法を使った経験が無いので、どういう魔法がいいのかよくわからないのです……」
えっ?
引っかかってる部分、そこ!?
「いや、そこは想像でいいんだよ」
「想像、ですか?」
「ほら、手から炎出したり、地面を凍らせたりとか、雷を落とすだとかさ。そういうのゲームであるじゃん。そんな感じのでいいんだよ。あとはファイヤー! とか適当に詠唱させればそれっぽくなるよ」
そんなふうに説明したけれど、冬葵は訳が分からなそうに眉根を寄せている。
「ごめんなさい……わたしには難しいです。やはり体験してないことはどうにも……」
「ええ……」
「異世界モノに手を出したのは、間違いだったみたいです……」
「そ、そこまで深刻かな!?」
うわあ、めちゃくちゃ思い詰めてしまった。
たしかに経験は大事だと思うが、世の中それが全てというわけじゃないと思う。
経験でしかものを書けないなら、異世界モノは書けないし。
小説を妄想の産物だという暴論を言うつもりはないけれど。
もれなく異世界モノを書いている人間は全員、異世界に行ってるというとんでもない事態になってしまう。
だから経験にこだわり過ぎずに、普通に思うまま書いてくれてもいいと思うんだけどなぁ。
そもそもトラックにも轢かれたことあるのかって話にもなるし。
……いや、それを口にするのはやめておこう。
もし「あります」って返されたらどういう顔をすればいいのか分からない。
とにかく魔法はなしだ。
魔法以外の何か別のアプローチを見つけなければならない。
うーん、経験。経験かぁ。
冬葵の経験を生かせる題材ってなんだろう。
ん? 待てよ。
経験さえあればいいんだよな。
それならうってつけの題材があるじゃないか。
「冬葵さん。それなら学園だ! 学園モノなんていいんじゃないか?」
「学園、ですか?」
冬葵はきょとんとした顔で小首をかしげた。
「ああ。俺たちは学生だ。誰よりも学校のことは詳しいし、それは最早学園モノのプロフェッショナルといっても過言ではない」
「それはたしかに……一理ありますね」
「ああ。これならミステリーも、ラブコメも――そこに学校さえあれば何でもいけるんじゃないか?」
俺の出した案はまさに冬葵の弱点を補う打開策になり得ると思ったのだけれど。
それでもまだ冬葵は気になることがあるのか浮かない顔をしたままだ。
「でもわたし、ラブコメは無理です。誰かを好きになったこともありませんし、恋愛モノなんて書けるはずがありません」
「冬葵さん……」
なぜ彼女はそこまでして経験にこだわるのだろうか。
文章力は申し分が無いし、話の構成も問題が無かった。
だから良いものを書きあげられるだけの実力は十分あると思うのだけれど。
何がそこまで冬葵を駆り立てるのかは分からないけど、その思い込みは根深いようだ。
たぶん彼女はおそらく自分に自信を持てないだけなのだ。
だから経験という呪いに縛られている。
でもそれなら――
「大丈夫だよ。ネタ集めなら俺も手伝う」
「……え?」
これが異世界モノとかだったら異世界の経験を積ませてあげるのはどうあっても無理だけれど。
現実世界なら話は別だ。
「俺と一緒に、学園モノを書こう!」
出来る事なら何でも手伝おう。
経験に不安を抱えているというのならば、経験させてあげればいい。
そんな俺の熱意が通じたのかはわからないけれど。
「はい。喜んで」
俺の言葉に希望を見い出したかのように。
冬葵は笑顔を浮かべたのだった。
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