聖女会議
冬葵さんの小説のお手伝いをする。
そのネタ集めのためなら何でも協力しよう。
そう宣言してから、どたばたと慌ただしい日々が過ぎていった。
とはいっても、翌日からすぐにネタ集めをしましょう、というふうに動けるわけでもなく。
まずはふたりで暮らしていく上でのルールから考えていく必要があった。
今までなあなあとなっていた部分を、明確にするために話し合わなければならない。
俺たちは異性だ。
考え方も、体つきも、何から何まで違う。もはや別の生き物だといってもいい。
そんなふたりが、同じ部屋に居続けるために、対等に、日々穏やかに暮らしていくためには。
しっかりとしたルールが必要だ。
そこに関しては、俺も冬葵も、同じ考えだった。
特にそれを意識させられるような出来事が……ここ最近立て続けに起こっていたからだ。
俺は冬葵と暮らし始めてから、偏った食生活は改善され、生活は満たされていった。
そのせいか寝不足や不摂生で荒れていた肌も、健康そのものになった気がする。
しかも汚かった俺の部屋は、いつの間にか整理整頓され、すっかり様変わりしていた。
冬葵はビニール袋を縛りながら、おでこの汗を拭っている。
「足の踏み場はどこにもないし……虫が出てきたときはびっくりしましたよ」
「面目ない」
「いいえ。この散らかりっぷりでしたし、ある程度は覚悟していましたから」
その割には、なんだかご機嫌ななめだ。
やはり俺の汚部屋を掃除させてしまったのは、いろいろと手もかかるだろうし大変だったのだろう。
そう思ったのだけれど、机の上に並べられている数冊の本を見て、俺は全てを瞬時に悟った。
……ベッドの下に隠していた、俺のエロ本だ。
絶対に見つからないと思っていたが、その考えは甘かったらしい。
なんと申し開きをすればいいものかと凍りつく俺に、冬葵は軽蔑しきったような、氷のように凍てついた眼差しを向けてくる。
その日、彼女はしばらく口を聞いてくれなかったのは言うまでもない。
また別の日のことだ。
朝起きて、俺が顔を洗おうとしたときのこと。
洗面台で着替え中の冬葵に、運悪く出くわしてしまったときがある。
危うく大事なところを見てしまうようなことはなかったけれど、彼女を怯えさせてしまって、すごい気まずくなった。
冬葵はお風呂が好きらしく、朝と夜に二度入っているらしい。
いくら知らなかったとはいえ、申し訳ないことをしてしまった。
そのまた別の日のことだ。
洗濯機に服を放り込もうとしたときだ。
冬葵の下着が洗濯機の底にあるのを見つけてしまった。
それ自体はまあ……仕方ないだろう。不可抗力というものはある。
だけど、果たしてこの中に自分の下着を入れていいのかどうか、一時間ほど迷ってしまったこともある。
俺の汚れを、彼女に移したくない。
ならば俺と冬葵の下着は別々に洗うべきだ。
そう結論が出たのはいいけれど……そのためには彼女の下着に俺が触れて分別しなければならない。
そんな恐ろしい行いをすることなんて出来るはずもなく、俺の下着は次に回すことにした。
そんなふうに、ひとつひとつ挙げていくとキリがない。
とにかく悲しい事件を避けるために共同生活をしていく上で、互いにルールを決めていかなければと思い立ったというわけだ。
俺は冬葵なしでは生きられない。
だからこそ彼女から逃げるのをやめて、今度こそ真摯に向き合うと決めた。
互いに話し合った。
まず最初に議題に上がったのは、パーソナルスペースのこと。
浴室やトイレなどのドアを開けるときは必ずノックや声がけを徹底することを決めた。
風呂のときはドアに『使用中』のプレートをかけたり。
事前に声がけをすることで、使用者の有無を確かめる。
とても些細なことだけど、大事なことだ。これで互いの恥ずかしいところを見てしまうなんて悲しい事件を未然に防ぐことが出来るようになるはずだ。
あとは互いの境界線を決めること。
ここまでが俺の領域で、どこから先が冬葵の領域なのかを決める。
互いのプライバシーを守るためには、1人の時間は大切だ。
けれど問題なのはここがワンルームしかないということだろう。個室と呼べるものがそもそも存在しないし物理的にも不可能だ。
……こればかりはどうにもならないと思われたのだけれど。
「カーテンで区切りを作るのはどうでしょうか?」
冬葵のその提案は、悪くない試みだと思った。
むしろそれ以外に方法はない。
さすがにお互いの生活音は防ぎようもないしある程度は筒抜けだけど、カーテンがあるだけで遥かにマシだ。
見てはいけないものを見なくてもいいようになる。
それは互いの精神を安定させ、守ることに繋がる。
いま俺の家に、カーテンとドアプレートはないので、今度の休みに近くの大型デパートで買いに行くことになった。
次に話し合ったのは、家事の割り振りだ。
大まかに分別すると、料理、掃除、ゴミ出し、買出し、洗濯――この五つだ。
「家事はお互い助け合ってやろう」
曜日に分けて、それぞれ分担していく。
俺はそう言ったのだが、冬葵は首を縦に振ろうとはしなかった。
「わたしは居候の身です。全てお任せください」
との一点張りで、頑なに譲ろうとしない。
たしかに俺に料理は出来ない。
この生涯で手がけてきた料理といえばカップラーメンにお湯をいれることと、パスタを茹でることくらいだ。というかこんなの料理ですらない。
むしろ冬葵に料理を任せた方が全部美味しいまである。
けれど、それでも彼女に任せきりというのは申し訳ないし……なにより俺が落ち着かない。
そこを強調してごねにごね続けて、彼女は渋い顔をしていたけれど。
皿洗いの権利だけは勝ち取ることが出来た。
その次に話し合ったのはお金のことだ。
現状、俺は冬葵に家賃だけでなく、食費まで全て肩代わりしてもらっている。
彼女はそれを気にしたふうもない。
それどころか、
「沢野さんが気に病む必要はございません。返していただかなくても結構です。お世話になっている以上、その迷惑料と思って受け取ってください」
「けど、それはさすがに申し訳ないかな……」
ただでさえ冬葵には甘えてしまっている部分があるわけだし、お金のことも任せっきりになるのはなんか自分がヒモになったみたいで嫌だ。
以前、彼女はもう働く必要なんてないですよ、と言ってくれたけれど。
だからと言って、はいそうですかと、首を縦に振ることもできるわけがない。
「だからさ、バイトは続けさせてよ。稼ぎなんてたかが知れてるけどさ、俺、週6で頑張るから。それでちょっとずつ返していくよ」
冬葵が来る前から、バイトは週6で働いていたし、風邪から立ち直って快復したこれからもそうするつもりだったけれど。
それを告げたとき、冬葵に険しい目をされてしまった。
「働きすぎは駄目です。そんなに働いたら、また倒れてしまいますよ!」
「大丈夫、このくらい普通だったし。それに少しでも働いて君に返さないと悪いしさ」
冬葵を安心させるようにちょっとオーバーリアクション気味に笑ったのだけれど。
はいそうですね、と彼女は首を縦には振らなかった。
「そのお気持ちは嬉しいです。ですが、そのお金は受け取れません」
それどころか底冷えのするような声で、
「無理のしすぎで死んでしまったら元も子もありません。まずはお金を返すことより、自分のことを考えてくださいね」
と怒られてしまった。
エロ本が見つかったとき以上の、本気の怒りだ。
そこまで言われてしまっては俺も従う他ない。
冬葵に迷惑と心配をかけたお詫びとして、バイトの日数を減らすことにした。
今さら言うまでもないことだが、俺には彼女への大恩がある。
冬葵がいてくれたおかげで、俺が無理していたことや、自分の生活力の無さを、これでもかとばかりに痛感させられる。
冬葵が来てくれなかったら俺はこの先どうなっていたんだろう。
ゾンビみたいに不健康な日々を送り続けていたのだろうか。
まったくもって下げた頭が上がらない。
改めて彼女の偉大さを……思い知られされるばかりだ。
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