姫川の真意
姫川に連れて来られたのは、大型ショッピングモールの一階に併設されていたファミリーレストランだった。
イタリアンメニューが多く、学生の財布にも優しい値段だ。
大勢の人で賑わっていたので待たされるのを覚悟していたのだが、幸いにも4人がけの席が空いていたのでなんなく座ることが出来た。
皆それぞれ適当なパスタと、ドリンクバーを3人分注文する。
席を立って3人分のジュースを持ってこようとしたけれど、以外にも姫川が率先して全員の分を運んできてくれた。
「ありがとうございます。姫ちゃん」
「いいよ、このくらい。そんなことより冬葵ちゃんも隅におけないなー?」
「何がです?」
「何ってそりゃあ決まってんじゃん」
姫川がちらりと俺を見る。
面白いものを見るような顔で。
「オトコなんか興味ありませんって顔して、まさか裏でカレシつくってたなんてねー? その相手がオタク君だっていうのが意外だったけど」
そりゃあれだけ告白受けても全部断るわけだ、と姫川は肩をすくめる。
「ウチにも内緒だなんて水臭いぞ」
「彼氏じゃないです」
「彼氏じゃない? じゃあなんでこんなところにふたりでいるのかなー?」
さて、ここからが正念場だ。
まさかふたりで同居してます……なんて馬鹿正直に言えるはずもないし。
姫川になんと説明すれば上手く引き下がってくれるだろうか。
とりあえず適当に誤魔化すしかない。
「それはだな……」
そう思って口を開きかけたとき。
「大丈夫です、沢野さん」
冬葵に遮られる。
「わたしが説明しますので」
ここはわたしに任せてください、とでもいうふうに目配せを受ける。
たしかにここはあまり話したことのない俺よりも、友達の冬葵が適任かもしれない。
不安はあるが、それなら彼女を信じて黙っているとしよう。
ドリンクバーの紅茶をすすってから、冬葵は言う。
「姫ちゃん。実はわたしには夢があります」
「夢……それって将来の夢とか、そういう系?」
「はい」
冬葵が頷く。
何かの覚悟を固めたかのように。
その目はまっすぐに、姫川へと向けられている。
それをどう受け取ったのか、姫川から茶化すような、おどけた態度が消えた。
真剣な表情で、冬葵の次の言葉を待っている。
「ずっと黙っていましたが――わたし、小説家になりたいと思っています」
冬葵が大のライトノベル好きだというのは知っていたし、その好きが高じて小説を書いていることはなんとなく察しがついていたけれど。
――小説家になる。
冬葵の口からはっきりと聞かされたのは、俺もこれが初めてだった。
しかも彼女は自分の趣味を話して、引かれた辛い過去がある。
だからこそライトノベルを読んでいることや書いていることは、学校の誰にも内緒だ。
俺も冬葵にそんな趣味があるのを知ったのは、ふとした偶然というか、ほとんど事故みたいなものだし。
それゆえに、いくら相手が親友の姫川といえども、大変な勇気がいる告白だったに違いない。
「ふーん……」
対して、姫川は目を閉じたまま、腕を組んでいる。
「わたしのこと。軽蔑、しましたか?」
「ううん、むしろその逆。すごいじゃん、まだ高一なのにちゃんとやりたいことがあるなんて、さすがだよ」
「そう……ですか?」
えへへ、と冬葵は恥ずかしそうに、嬉しそうに笑う。
「いやー、ウチはまだ将来とかいわれてもさ、まったくピンとこないし、自分が何やってるかなんて想像つかないし。すごい偉いと思うよ」
羨ましいな、と姫川がまぶしいものでも見るように、目を細めた。
「……まあ、冬葵ちゃんに夢があるのはわかったよ。でもそれが、このオタク君とどう繋がるわけ?」
「沢野さんは、わたしのお手伝いさんです」
「お、お手伝いさん?」
姫川がぽかんとなる。
「はい、わたしの小説のネタ集めをしてくれるお手伝いさんです」
成るほど、これは上手いと思った。
まず将来の夢という秘密を打ち明けることで、真面目な雰囲気を作り出して相手を引き込んでいる。
しかも冬葵はなにひとつ、嘘をついていない。
同棲という事実だけを伏せて……あくまでも真摯に、真実だけを語っている。
ならば俺も、これに便乗する他ない。
「ああ、そうだ。俺は春咲さんの協力者だ」
「はい。沢野さんがパンをくわえて走っていたのも、全て小説のためなんです」
「え、なに? ウチよくわかんないんだけど……パンをくわえるのって小説と関係あるわけ?」
姫川は目をぐるぐるとさせている。
「あるに決まってるじゃないか! パンをくわえてごっつんこなんてラブコメだとド定番だろうが!」
「そうですよ、姫ちゃん! それどころか定番すぎて最早化石レベルなんですよ!」
「え……どうしたのふたりとも? なんかめっちゃテンションやばくね?」
姫川は呆気に取られた顔をしていたけれど、はぁ、と深いため息をついた。
降参です、とでもいうふうに肩をすくめ、苦笑する。
「はあ……ラブコメがどうとか、そゆのはわかんないけどさ。あんたらが
それを見て、ふう、と内心でほっと胸を撫で下ろす。
どうにか切り抜けることが出来た。
「そんなこと言って、ほんとに分かってますか姫ちゃん。もし分からないことがあればわたしが教えてあげますよ」
「いや、いいってば」
「遠慮しないでいいんですよ」
「遠慮なんてしてないっつーの」
珍しい。
いつも教室だといじられている冬葵が、逆に姫川をいじり返すという逆転現象を起こしている。
そんなふうにふたりの女子高生のじゃれ合いを眺めたり、ときどき会話に混ざったり。
俺たちは時間を忘れ、しばらく雑談にのめり込む。
教師の事だったり、クラスメイトのことだったり。
好きな教科や、苦手な教科の事など色々な話題で盛り上がり、楽しいときを過ごした。
そうしてなんとなく話題も尽きはじめた頃を見計らうように、座り続けて凝り固まった身体を伸ばすように姫川が大きく伸びをした。
「やっば……もう18時じゃん。ウチ、門限あるから遅くなるとママがうるさいんだよね」
「だな。そろそろ出るか」
雑談に花を咲かせすぎて忘れかけていたけれど。
俺たちはまだ買い物が済んでないから上のフロアに寄らなければならない。
まあ、この時間なら全然余裕を持って買い物は出来るので問題はない。
「あ、ごめんなさい。わたし、お手洗いに行ってきます」
「おっけー。待ってるからいっといで」
冬葵が遠慮がちに片手を上げて、そそくさと席を外した。
彼女が遠ざかるのを見計らったように、姫川が口を開いた。
「ねえ、オタク君。ひとつだけ聞いてもいい?」
「なんだ?」
「あんた、冬葵ちゃんの何なの?」
「何って……さっきも言ったように小説の協力者だよ」
「いや、そうじゃなくてさ。ほんとは小説づくり以外にも冬葵ちゃんと、なんかあるんでしょ?」
「それは……」
核心を突いた姫川の言葉に、喉が詰まる。
「カレシとかじゃないならさ、あんたは冬葵ちゃんの何なの?」
俺と冬葵は、どういう関係なのだろう?
友達、とも違う気がする。
それともただの同居人だろうか。
……よく、わからない。
俺たちの関係を言い表せるものが、わからない。
俺は冬葵の……何なんだろう?
「いや、ごめん。ウチの言い方が悪かったかも」
別にあんたを責めたいとかってわけじゃなくてさ、と姫川が申し訳なさそうに頬をかいている。
「ウチもうまく言語化できないんだけどさ。なんていうか……あんたと一緒に話してるときの冬葵、すごい楽しそうだったよ」
「……楽しそう?」
「うん。ウチと一緒に遊んだときもあんな笑顔見たことない」
口から出まかせというわけでもないのだろう。
最近話すようになった俺よりも、冬葵との付き合いは長いだろうし。
きっと誰よりも、春咲冬葵のことを知っているからこその言葉だ。
「ほら、あの子ってさ。学園の聖女とか、なんとかってあだ名つけられて周りから持て囃されて人気者だけどさ……いつもひとりっつーか。他の誰かに心許してますよー、みたいな顔、ウチはみたことないわけ」
「そう、なのか」
いつもあれだけの人間に囲まれれば人生楽しいんだろうな、と勝手に思い込んでいたけれど、そういうわけではないらしい。
当人には当人にしか分からない苦労があるのだろう。
「だから冬葵ちゃんと楽しげに話してるあんたが気になって、ついちょっかいかけちゃった」
「なるほどな……」
それでやけに突っかかって来たのか。
「まあ、あんたは悪い人じゃなさそうだし安心してる。……そんなあんただからこそ、お願いしたいことがあるんだけどさ」
そこで姫川は声を落とし、ちょっと照れくさそうな声で言う。
「よかったらさ。その……これからもあの子と、仲良くしてやってよ」
「――」
あまりの出来事に、言葉を失った。
意外だ。
あの姫川がこんなことを俺に頼むだなんて。
俺はやや面食らいながらも、
「ああ、わかった」
頷いた。
姫川が八重歯を覗かせて、満足そうに笑う。
「ありがと、オタク君」
「それと俺の名前はオタク君じゃない。沢野陽だ」
「ああ、ごめんね。
「……おい、何でいきなり名前呼びなんだ?」
「何でって、ウチらもう友達じゃん」
「と、友達?」
たしかに楽しく話したけど、名前呼びに抵抗がないとか距離感の詰め方がすさまじい。
陽キャのノリはすごいなぁ。
「そ。冬葵ちゃんで繋がった、友じゃん。いわゆる、とあともってやつ?」
「なんだそれ……」
こいつのノリは独特過ぎてよく分からない。
分からないけれど……一応俺のことを友人として快く思ってくれているらしい。
なんとなく、それだけは分かった。
「じゃ。お先に失礼するわ」
「春咲さんを待たないのか?」
「いや、お邪魔虫は退散するよ」
財布から自分のお金だけを取り出して机に置くと、席を立ちあがった。
「じゃ、また学校でよろしくね。陽くん」
ひらひらと気安く、手を振って去っていった。
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