傾国の姫川
「あ~きらく~ん」
昼休み。
またもや既視感のある甘ったるい声がした。
かと思うと、俺の隣の空いた席に、ひょっこりと姫川が腰かけてきた。
「お昼、一緒に食べよーよ」
にっこりと八重歯を覗かせながら、弁当箱を取り出してくる始末だ。
俺は警戒するように後ろへと身を引きながら、言った。
「……どういう風の吹き回しだ?」
「そりゃあ決まってるじゃん」
俺をどこへも逃がさないと言わんばかりに、前のめりに身を乗り出してくる。
蜜のような甘い香りに、身体が硬直する。
冬葵とはまったく違うシャンプーの香りが、
俺の耳元に、姫川が囁きかけてくる。
「冬葵ちゃんの小説の、作戦会議だよ」
ふぅっ、と耳に息を吹きかけてきた。
「っ……!」
感じたこともないような快感の電流に、身体をよじる。
そんな俺の醜態を楽しむかのように、姫川がけたけたと笑う。
「さっきから何なんだよ」
「あきら君、おっかし~」
睨みつけるが、姫川はいたずらっぽい笑みを崩さない。
それどころか獲物を前にした肉食獣を思わせる、どう猛な笑みを浮かべている。
くそっ……なんなんだこいつ。
朝の一件といい、めちゃくちゃ距離感をぐいぐいと詰めてくる。
もしかして俺のことが好きなのか?
いや、落ち着け。
姫川に限ってそんなことはないだろう。
こいつはモテないオタク男子の純情を弄ぶような性悪だ。
俺に好意があるとちらつかせてきて、いざこちらから迫ろうものならばあっさりと身をかわし、泣きを見る羽目になる。
姫川の考えはまったく分からないが……ここで感情的になっても、こいつの手の平の上で踊らされるような気がしてそれはそれで面白くない。
ここはあくまでも冷静にいこう。
こんなことで俺は動じないと表明しなければ。
「で? 作戦会議って何だ? というか、ここでそれを話し合う必要はないんじゃないか? その、人目もあるし……」
今まであえて触れないようにしてきたが……教室中のいたるところからクラスメイトたちの視線が集まっている。
まるで公衆の面前でいちゃつくカップルを見るかのような、殺意のこもった眼だ。
霧谷は死んだ魚のような目で俺たちを見ている。
……冬葵がなぜか不機嫌そうな表情で、キッと俺を睨みつけている。
当の姫川はというと。
そんなものなど、どこ吹く風だといわんばかりに弁当箱を開けて、箸でおかずをつついている。
「ふーん、あきら君ったら人目のない場所にウチを連れ込んでどうする気なのかなぁ?」
「いや、そういう意味じゃなくてだな……」
「あきらくんのエッチ」
「……」
冬葵の小説作りは、俺と姫川しか知らない秘密だ。
彼女のプライベートを、おいそれと他人に話すわけにはいかない。
それを姫川も分かっているだろうに……何でこんな悪目立ちするようなことをしているんだろうか。
頭を悩ませていると、姫川が箸でつまんだ唐揚げを、俺の目の前に持ってきて――
「はい、あきらくん。あーんして」
「……」
「あーん!」
「…………お前さあ、もういい加減そういうのやめろって」
「えー、やだー」
「だだをこねるな。子供か、お前は」
「あきらくんはやめてほしいの?」
「ああ」
頷く。
うーん、と姫川は考え込むように人差し指を顎に当ててから、言う。
「じゃあ、ウチのお願いを叶えてくれたらやめたげる」
「なんだ」
「ウチのこと、名前で呼んでくれたらいいよ」
「姫川」
「ちがーう。そっちじゃなくて」
秋葉っ、て呼んでくれるまでやめたげないよ、と姫川は唇を尖らせる。
ほんとうに何がしたいんだ、こいつは?
俺に恥をかかせるのが趣味なのか?
迷いに迷ったが……姫川の提案に乗らない限り、状況は改善しそうにない。
俺は深いため息をつきながら、
「…………あき、は」
と口にした。
これで気が済んだか、とでもいうふうにぞんざいな口調で言ってやったのだが、それでも姫川は大層お気に召したらしく、嬉しそうに八重歯を覗かせる。
「ありがとう。あきら君!」
――あろうことか、俺の腕に抱き着いてきた。
「おいっ、やめろよ、そういうの!」
「やだー」
やめるどころか、もっと密着してくる。
俺の腕に、ぐいぐいとやわらかなものを押しつけてくる。
頭の中が真っ白になりかけたそのとき、
「姫ちゃん。離れてください」
業を煮やしたように、冬葵が肩を震わせながら近づいてきた。
何が原因かは分からないが……ちょっと怒っていらっしゃる。
だが姫川はそれに慌てるどころか、笑みを深めた。
極上の骨つき肉を前にした獅子のように、鋭利な歯をぎらつかせる。
「えー、冬葵ちゃんは恋愛小説のネタが欲しいんでしょ? それなら恋人同士の男女がイチャイチャしてないとおかしいよね?」
「たしかにそうですけど……」
冬葵の言葉が、詰まる。
成る程、意味不明だった姫川の猛烈なアタックは、冬葵のために小説のネタを提供する意味合いがあったのか。
こんな人目のあるところで悪目立ちするようにバカップルを演じたのも、周囲の反応も含めてリアリティを演出するためだったと考えれば、一連のおかしな行動にも納得がいくというものだ。
すでに小説作りのネタ集めは始まっていたというわけか。
これは一本取られた。
って……そんな訳あるか。
いくらなんでもこれはやりすぎだ!
「でもおふたりは付き合ってないですよね? それなのに、そんなことするだなんて不潔です!」
冬葵は眉をつり上げ、憤怒の形相になる。
そう、冬葵の言う通りだ。
そろそろ小説の充分なデータは集まっただろうし、もうこの辺で終わりでいいんじゃないか?
そういう意図を込めて姫川を見たのだけれど、彼女は不敵にも小悪魔みたいな笑みを浮かべている。
「ふーん、どの辺が不潔なのかなぁ? 具体的に言ってくれないとウチ、わからないなぁ」
「人目も憚らず、身体をくっつけあってるところです」
「えー、それじゃあわからないなぁ。どこと、どこのことなのかなぁ?」
姫川はさらに力を込めて俺の腕に、胸を押しつけてきた。
肘の先に、小動物は暴れまわるような感触に、息が詰まりかける。
……姫川のものは、服の上からでもぱっと見では分からないほど目立たない。
けれど押しつけられると、たしかにそこにやわらかなものがあるのが否応なしに意識させられる。
大きすぎず、小さすぎず。
手の平に収まりそうな、丁度いい質量だ。
振り払おうにも、身体を無理に動かせば、よけいに姫川の胸が当たって身動きが取れない。
「――っ!?」
そんなものを目の前で見せつけられて、冬葵の顔がみるみると赤くなっていく。
「は、破廉恥です! 沢野さんもっ、そんなにデレデレしないでください!」
……なぜか俺まで理不尽に怒られてしまう。
そんなこんなをしている間に、クラスメイトたちのざわめきが広がる。
羨望やら嫉妬の入り混じった目を、痛いほど突きつけられる。
「なに? あのふたり、カップルなの?」
「てっきり春咲さんと姫川さんが付き合ってると思ってたんだけどなぁ」
「嘘だろ……俺、姫川さん結構タイプだったんだがなぁ。先を越されていただなんて……」
「百合の間に挟まる男とかマジないわー。殺人バクテリアに足から喰われて紫色に変色しねーかなー」
なんか1人やばい声が聞こえた気がするが……それはさておき。
姫川は暴走してるし、冬葵は怒ってるし。
この死ぬほど訳の分からない状況、どう収めたらいいのだろう。
かと思うと、姫川は俺の腕をあっさりと手放して、俺から離れた。
「たしかに冬葵ちゃんの言う通りだね。付き合ってもない男女が身体をくっつけ合うのはよくない」
「ようやく分かってくれましたか」
「うん。でもウチ、こうも思うんだ」
うんうん、と訳知り顔で頷きながら――
「その理論で行くならさ。冬葵ちゃんとあきら君が恋人になれば、何も問題ないんじゃない?」
そして、姫川は唇の端をにやぁっと、つり上げ、いやらしい笑みを湛えた。
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